「恋の熱源を活写」近松物語 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
恋の熱源を活写
香川京子が、「山椒太夫」と同じ女優なのかと疑うほどに色香を発散させている。商家の若い後家の着物が彼女の体の線をくっきりと浮かび上がらせている。これでは若い職人が密かに憧れてしまうのも無理はない。しかも本人は自分が住む世界で性的な象徴性を帯びていることなどに少しも無頓着なのだ。
物語は貞節という規範が建前に過ぎず、色恋の情念に憑りつかれた人間はその規範をときに打ち破るということを複数のエピソードで示す。
最初は、どこか他所の武家で起きた奥方と下男の不義密通が露見して、この二人が磔になるというもの。次に、この商家の主人が店の使用人の女に夜這いをかけていたことが後家の耳に入る。この時の香川の反応は、亭主を奪われた女の嫉妬や怒りではなく、自分の家で重大な掟破りが行われていたことへの衝撃であろう。ここまではこの後家にとってはまだ色恋による規範の消滅は他人事なのである。
しかし、金の無心に絡んで、誤解がさらなる誤解を呼ぶに至り、当家の職人兼手代である長谷川一夫との不倫の嫌疑をかけられるに至る。そして、本来は何も疑われるような事実はなかった二人が、追い詰められた挙句に規範を超える当人となってしまうのだ。
近松の物語には状況が恋の情念を生み出すというパターンが多いが、これもその代表例だろう。不条理な運命を観念したときに、その傍らでただ真実を知っている者と共に人生の最期の道を行きたいという強い希望が性愛へと転換するのだ。
溝口健二によるこの作品は、この不条理からの逃避行を小舟を使って表現している。自分たちの意志では決定できない運命は水に浮かぶ小舟であり、その行き着く先には悲劇が待ち受けていることをこのシーンで強く印象付けている。
このシーンを観た時にとっさに思い出したのは、「山椒太夫」の親子が別々の船で連れ去られる海岸の場面である。ここでの2艘の船も引き裂かれる運命を痛切に表していた。
主人公の二人が京の周辺を逃げ惑うあたりは、主従の関係を越えて男女の関係になっていくことを観客に思わせる、エロティックな表現に満ちている。
足を挫いた香川を長谷川が背負うシーンでの身体の密着。一度は香川を置き去りにしようとしたものの、転倒した香川を放ってはおけずに助け起こすシーンではついに長谷川は香川の痛めた足の口づけすらするのだ。これらのシーンは、二人が主従の礼節を脇へ置いて男と女の欲情に身を任せた可能性を観客に想起させるのに十分な役割を果たしている。