劇場公開日 1963年10月27日

「本作のテーマはヨットの航海を描くことではありません」太平洋ひとりぼっち あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5本作のテーマはヨットの航海を描くことではありません

2020年6月28日
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1962年、23歳の堀江謙一青年が世界初の単独無寄港での太平洋横断を、小さなヨットで成し遂げた実話を映画化したもの
彼が帰国後に出版した手記が原作

よって94日間の独りでの航海を描くわけですから、登場人物が一人だけの映画になってしまうのは確定しています

出港するまでの、経緯を回想シーンで入れる、雄大な海洋シーンを観せる、もちろん嵐とかシケとかの自然の猛威のシーンをいれるなどといった工夫をこらしても、猛烈に退屈なシーンが連続するだろうことも同じく確定しています

この難しい仕事を、さすが市川崑監督が乗り越えて見せています

回想シーンには森雅之、田中絹代を父母に据え、浅丘ルリ子を妹に、学校の先輩にハナ肇、船大工に芦屋雁之助を配して、観客の印象を強くしています

撮影も工夫があり、出港までの国内シーンは、屋外シーンでは曇天を選び、室内撮影では照明を暗くして彩度も落とした陰々滅々な雰囲気で撮影しています
領海内は悪天候です
それにより外洋に出たときの、眩しい陽光、大海原と開放感との対比を大きく見せています

またサンフランシスコ到着前は寒流による霧のシーンを挟むことで、パスポートを持たずに日本を出国しアメリカに入国しようとする不安を表現しています

もちろん演技もそれに合わせてあります
航海中は石原裕次郎だけの独り芝居です
モノローグだけの芝居です
これで大半の時間を持たせることが必要になります
容易なことではありません
しかし、さすが大スターは写っているだけで画になっています
モノローグと演技も、関西訛りで滑舌をわざと良くない一般人のものにしています
態度も腰の低い普通の青年にしてあります
そして航海の始めの頃の張り切った口調、中盤の航海が進まない焦燥感と孤独感に心身滅耗状態に陥っているところを棒読み風での表現、終盤の成し遂げた充実感と疲労感のある口調と演技の使いわけをしてみせています

サンフランシスコ入港シーンは実際にロケ撮影していて素晴らしいです
金門橋をくぐり抜け、アルカトラズ島を横に見て湾内を進むシーンは感激します
カタルシスがあります

今ではグルメスポットの観光地で有名なフィシャーマンズワーフの西側の方にある桟橋に沿岸警備隊に曳航されたように見えます

本作のテーマはヨットの航海を描くことではありません
敗戦して占領下に置かれ自信喪失していた日本の自信回復です
この航海の丁度10年前1952年に日本は独立を回復したのですが、まだ日本人は自信を回復してはいませんでした
しかしこの青年は誰も成し遂げたことのない単独無寄港太平洋横断に挑戦することで日本人の自信回復を目指そうとしたのです
だから米国を目指したのです
サンフランシスコは日本が独立を回復をしたサンフランシスコ条約締結の地だからです
だから無意識にそこを目指したのです
サンフランシスコでなければならなかったのです

そして中盤では、丁度20年前ここから南に1000キロのとこでミッドウェー海戦があり、そこで多くの海の先輩が犠牲になったと長い黙祷をしたと美しい夕焼けに染まる大海原のシーンで語られます

サンフランシスコでは好奇の目で集まる米国人達の顔を大勢アップで写して、世界に再挑戦していく緊張を表現しています

市川崑監督はこの航海の本当の意味をキチンと読み解き映画に仕上げみせていることがわかります

本作公開の翌年1964年、東京オリンピックが開催されています
前回の東京オリンピック自体、敗戦で焼け野原になり自信喪失した日本が、復興をとげ再度国際社会に乗り出していこうという、日本人全員が自信を回復する意味を持つ祭典でもあったのです

その意味で、この航海は東京オリンピックの先取りしたものと言えるのです

本作を撮った市川崑監督が、1964年の東京オリンピックの公式映画を撮影し日本映画空前の大ヒットを記録したのは偶然ではなく、必然であったのです

あき240