「好きなら好きと素直になれば・・・」大怪獣東京に現わる odeonzaさんの映画レビュー(感想・評価)
好きなら好きと素直になれば・・・
怪獣といえばゴジラからウルトラマンに至るまで多くの人が観て育った共通の仮想体験、日本型エンタテインメントの根幹を成すシンボルと言ってもいいでしょう。故にパロディやオマージュ作品が生まれるのは必然です。特に戦後世代にはへそ曲がり文化と言うか自虐的な死生観に興味を持つ人は多いでしょう、従って怪獣の出ない怪獣映画と言う企画だけで飛びつくスポンサーが出てきても不思議はありません。これが怪獣でなくアイドルの出てこないアイドル映画だったら皆引くでしょう。
原案・脚本のNAKA雅MURAは石川県生まれ、芸術家一家に生まれた故か感性を重んじる傾向、地元紙のインタビューの中で「ストーリーが面白いだけの作品よりもストーリーを超越した一編の詩のような映画をつくりたい」と語っている。
本作も型破りでありながら型破りという制約、型を課し怪獣の映像を執拗なまでに排除する、物語性でなく自身の原体験のような故郷の市井の人々をスナップ、コラージュする手法である。
登場人物は感性のまま右往左往、おしなべて知性は驚くほど低い。
恐怖に錯乱する変態教師(田口トモロヲ)、終末思想の似非宗教家 ノストラばばあ(吉行由実)はディザスター映画のお約束、お約束と言えば定番のお役人も政治家も皆無、昔なら鬱屈した若者の動乱待望論が絡むのだが無関心世代に様変わり、怪獣は出ないがクワガタから犬、イルカまで生き物はOK、おまけに竹内力扮する日本神話の神もどきまで登場、ゴーギャンの名画のタイトルを自伝の一節に引用する文化人気取りの大沢彦二郎(高松英郎)、怪獣怖い反面、怪獣が襲うのは大都会、怪獣にも見向きもされない屈折した地方の心理、原発は安全と避難したものの怪獣攻撃支援の北朝鮮戦闘機の放ったミサイルが飛んでくる(本当に誤射だったのか?)、怪獣憎しかと思いきや畏怖の念、獣神崇拝の原始信仰に逆戻り、文明は進んでも本質は進化と退化のリフレイン、「われわれはどこから来たのか。われわれは何か。われわれはどこへ行くのか」というテーマでしたか。
主演の桃井さんは個性的な語り口に加えて石川弁、ほとんど聞き取れないのには閉口しました。
作家性が強いので好き嫌いでしょう、もっと素直にゴジラ、ガメラだーい好きと言えばいいのに・・。