曽根崎心中(1978)のレビュー・感想・評価
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2回目で思った事
1回目の際に、とんでもない迫力の映画だと感動をした印象が強い。とりわけ梶芽衣子の視線がとにかく印象的で常に遠くを見ている。その先は、死を見つめていると何かの解説で読んで納得した。初回はそういうことを知らず、舞台台詞っぽいというのかそんな言い回しで衝撃的だった。それが初回ははまってる!と感じたと思うのに、2回目は2025年6月2日に早稲田松竹でやや疲れてたのもあってか、もっと落ち着いた感じの言い方で見てみたいかなと思った。とはいえ、それは特徴をまるごと消す事なので良くない。
改めてストーリーを把握した上で観ると、徳兵衛が不合理過ぎて可哀想になった。しがらみがなければ、好き同士が結婚して幸せになったであろうから報われないまま、死ぬしかないという結論しかないとお互いに信じ込んでいって心中したのが痛々しく感じた。1回目はそういう結論もあるよねって思いつつ日本人らしい美学に見えてたような気がする。
改めてみて、友達だからと金を貸していたけど、平気で騙してて、それまではどんな奴だったんだろうと思った。あの時までずる賢いところが見えないわけないよな、とか。なので、お前は信用ならんとかのエピソードあったんじゃないのかな、と思った。それでも信じたのかもしれないけど。徳兵衛に梶芽衣子についてムカついてたようだったけど、あんな卑劣な事をする原因になるのか?と思った。
初見の時に感じた事をしたためておけばよかったなぁと後悔した。
死への欲動
人は生きることにも死ぬことにも意地が必要だ。希望を無くして死を選ぶ一方で、自らの名誉や尊厳の為に死を欲する人々がいる。
近松門左衛門の原作のこの心中物語は、色恋のために命を懸けるというよりも、名誉の為に自死を選ぶ男女を描いている。映画は、この二人の男女が、死に向かって迷わず進んでいく様子を、形式的な台詞とアクションで淡々と描いている。ここで淡々と言うのは、平板であるとか、抑揚がないということではない。二人の激しい死への欲動は、男と女それぞれの危うい立場から必然的に生じていることへの説得力が強いのだ。その説得力の強さゆえに、観客は二人が死へと近づいていく様子を、淡々と受け止めることが出来るのだろう。
騙されて名誉を失った徳兵衛への嫌疑が晴れるのは、二人が遊郭を出奔した後になる。真実を知った彼の叔父が、観客に代わって、騙した九平次を打擲するが、お初と徳兵衛の命は救われない。
いままで一直線に死へ向かっていた物語は、ここで初めて、二人を死へと追いやった周囲の人物や、社会状況へ視線を向け直すことになる。淡々とした流れが、ここで一気に逆流するのである。この逆流こそが、観客が体験する初めての葛藤ではないだろうか。ただし、この葛藤はもはやわずかな嘆息も受け入れないほどに固く大きい。だからこそ、二人の死を最後は静かに受け入れることができるではないだろうか。
人物の細々とした葛藤をあえて排した描写が、二人の死を納得できるものにしている。
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