劇場公開日 1993年6月5日

「 北野作品は「首」しか観たことなかったが成程。これが欧州で高く評価...」ソナチネ 悠さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 北野作品は「首」しか観たことなかったが成程。これが欧州で高く評価...

2025年1月16日
Androidアプリから投稿

 北野作品は「首」しか観たことなかったが成程。これが欧州で高く評価されている映画監督北野武の神髄かと思わされた。
 この映画は映画芸術として極まっている。素晴らしい音楽と圧倒的な映像がそれを保証している。
 序盤はあまり感心しなかった。カメラが動きすぎているし人物との距離が近くて少し凡庸に見えた。しかし北野武の売りは何も映像と音楽だけではない。彼の書くセリフは常にシニカルな笑いに満ちている。常に笑えて気持ちがよかったし、常に死の恐怖も感じることができた。「次はどの人物が死ぬのだろう。」と。命の軽さがこの序盤で強制的に観客の頭に焼き付けられる。そのことが観客の頭の中に常に冷たい何かを埋め込む。
 中盤に入ると圧倒的な映像美が観客を魅了する。沖縄で映画を撮りたかっただけなんじゃないか?そもそも沖縄に行きたかっただけじゃないか?と、思わせるほど美しかった。あまりにも美しいもんだから白昼夢なんじゃないかと思わされる。序盤があまりにも陰惨としていたから。
 映像の使い方が独特なのは多分即興で演技をさせるのを続けていたからだと思う。ショットサイズがまるでゴダールのように極端だ。狭いか広いかの二択しかない。普通のサイズはあんまりなかった。
 死生観がこの作品のテーマだ。「あんまり死ぬのを怖がりすぎると、死にたくなる」が作品上の意味において重大に思われた。
 まだほかの作品を見ていないので何とも言いきれないところがあるが、この作品が北野武の最高傑作と言ってしまって間違いないと思う。冷たい笑いと映画としての強度の高さがあなたを陶酔させるだろう。

悠