全身小説家のレビュー・感想・評価
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嘘つきみっちゃん
冒頭の女性達のインタビューから、みんな佐藤光晴氏にぞっこんなところが興味深い。
しかしなんとも言えないカルト臭を感じて、気持ち悪いなーと思いながら観ていくと、後半は氏のウソが暴かれはじめ、そこが面白いというかなんというか、変なカタルシスがある。
こういう嘘つきいるしいた!
奥さんはどのくらい勘づいていたのかも気になるところ。
そして寂聴さんとの関係は、最後の弔辞に語ってたように肉体関係の無い男女の友情だったのか、それとも、寂聴さんも大嘘つきなのか、が気になるところだが、、
特典映像の精神科医の斎藤学氏と原一男監督の対談があることで、より作品の深みを増している。
斎藤学氏の鋭い洞察と下世話な?監督ならびに業界関係者の邪推の対比が本当に面白かった。
監督が「業界では2人の関係を知らない人が誰1人としていないという話なんですよ」と言うと「しているところを見ましたか?」と返す齋藤学氏。
かくいう自分も関係を邪推していた方なのだが、齋藤学氏の話を聞くうちに、それも(肉体関係がない事も)あるかも、と考えを翻した。
何もないからこそ、ゾッコンに惚れさせたままでいられるのかも知れないとも思った。
本当に「キスするだけ」なのかも。
真実はどちらなのか。
このようにいろいろと想像を膨らませてしまうところもこの作品の面白さにつながっている
あちらにいる鬼という佐藤光晴氏をモデルにした映画ま出ているようです。
小説より奇なり
寂聴さん
ネット社会になってショーンKの様なあからさまな詐称はバレやすくなってしまってますが、井上光晴の様な嘘は昔から普通にあると思います。
井上さんはロマンチックな人生の方が小説家としても箔がつくだろうし、本人がそう思い込んでいれば自分の中でも真実になってしまうだろうし。だから、ノンフィクションもドキュメンタリーも虚構があって当たり前というか。私達が与えられているニュースや情報を虚構として捉える事ができたら、世の中の見方も全く変わるのでやっぱり前提を分かっていた方が良いです。
葬儀の寂聴さんの弔辞は、寂聴さんも周囲もお互い嘘前提で聞いたり言ったりしてます。何か寂聴さんの肝の入り方が半端なくて、私はやっぱり凄い女性だと思いました。
森監督は、この作品に影響されて「FAKE」を撮ったのでしょうか。
これぞドキュメンタリー
特集上映「挑発するアクション・ドキュメンタリー 原一男」にて。
井上光晴は井上荒野の父というイメージしかなかったが、これは魅力的だわと思うしかなかった。語り口も上手いし。女性の証言の生々しさも相まって、艶かしい。
後半で彼の「嘘」が鮮やかに(?)暴かれていくのは若干コメディチックでもある(実際笑いが起きた)のだが、虚構を生きざるを得ないひと、そしてそのまま虚構を紡ぐことになったひとというのが興味深い。
手術のシーンはよく撮れたなと思った。あそこまで生々しいシーン昨今の映画にあるだろうか...。
あと個人的には勝手に私の中で伝説化していた埴谷雄高が当たり前のようにインタビューに応えたり井上光晴の見舞い来たりしていて、誠に恥ずかしながら「ああ実在したんだ...」という気持ちになった。
ちなみに上映後のトークショー、原一男監督によれば「この映画の影の主役は瀬戸内寂聴だ」とのこと。埴谷雄高もそう言ったそうです。
ウソつきみっちゃんの人生
・作家井上光晴がガンにおかされて亡くなるまでの闘病生活に密着しつつ、彼の死後、彼の嘘の証言を周りの取材から検証していくという二つのスジを同時に走らせたスリリングなドキュメンタリー
・彼は嘘をつく、ドキュメンタリーも嘘をつく
・手術シーンで腹をメスでかっさばいたときの肉にくしさ、体内から取り出した850グラムの生の肝臓の衝撃
・家族の嘘の話と再現ドラマを交互に写すことにより、虚と実をぐらぐら行き来する
・過去の話をするとき、自分の都合のいいように改変したら真実というのはいったいどこにあるのか
・井上の葬儀で瀬戸内寂聴が体の関係のない唯一の友人と言いはなった眉唾な場面にニヤニヤ
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