瀬戸内少年野球団のレビュー・感想・評価
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27歳の若さで亡くなった夏目雅子さんの遺作であり、渡辺謙さんのデビュー作でもある、終戦を背景に人々が力強く生きていく様を描いた名作
終戦直後の淡路島を舞台にGHQの占領と日本の民主化、そして島の漁業の終焉に向かう時代の移り変わりに翻弄される失意の大人達、それとは裏腹に希望に満ちた たくましい子供たちとその学校教師の波乱の人生を力強く描ききった篠田正浩監督の名作
小学校教師の駒子を演じる夏目雅子さんがとにかく綺麗、上品で清楚、素晴らしい女優さんでした
オープニングから勢いよく流れ、本編中も何度も使われるグレン・ミラー楽団の演奏で有名な名曲『イン・ザ・ムード』が印象的な作品
美しい瀬戸内海のいろんな場所を捉えた映像が素晴らしい
このエリアは大林宣彦監督作品でも多用され、ホントにノスタルジックな空気感で満たされていて気分が癒されます
そして夏目さんと謙さん以外のキャストも演技派揃いですごく見応えがありました
戦争で片足をなくした駒子の夫を郷ひろみさん、戦争で夫を亡くし女身一つで激動の中をたくましく生き抜く女性を篠田監督の実の奥さんでもある岩下志麻さんが色っぽく、そして駐在さんを大滝秀治さん、日本海軍の提督がメチャクチャ合っていて貫禄満点の伊丹十三さん等々が熱く演じ、加えて駒子から導かれる小学生を演じる面々がまたすごく味があってイイ!
駒子が小学生たちに「野球をやりましょう!」といってトレーニングが始まるくだりが唐突で謎だったものの、弱小ながらも強くて経験のあるチームやアメリカ人の大人達のチームに果敢に立ち向かっていくところは素直に元気をもらえて楽しかったです
国民学校
敗戦前の教科書に墨塗りするシーン。その消す前の教科書を見てみたい。復員兵が上陸するなか、提督と呼ばれる男(伊丹)とその娘・武女も島にやってくる。子どもたちは純真そのものだったが、駒子は未亡人となったため、義弟の鉄夫(渡辺謙)のしつこい求愛や義父母の威圧的な態度にも困り果てていた。進駐軍が上陸し、宴会が催された晩、鉄夫に犯されてしまう・・・そんな折、戦争で片足失い、戦死したはずのを夫の正夫(郷)が島へこっそり帰ってきていた・・・ 「これを見たらわかる」と野球の硬式ボールを少年に手渡すが、駒子は「会うことはできない」と手紙を託す。
中盤の見せ場は正夫が島へ戻ってくるところだろうか。町には居場所がないと判断し、一時は自殺することも考えたという正夫。金毘羅さんの社務所で働くことを決意するが、1年後に訪れた子供たちと駒子。すべてを受け入れるという駒子の心情の変化は時間がかかったことがうかがえるのだ。しかし、子どもたちが野球を始める頃から物語は面白くなくなってくる。武女の父親が戦犯として裁かれるため逮捕されるとか、武女の心をもっと表現してもよかったのではないか。全体的に戦後の庶民生活を描いてはいるものの、細かなエピソードが多すぎてまとまりがなくなっている。さらに、一応主人公の少年竜太の淡い初恋さえ感情移入できそうでできない。タイトルにある野球も辛く苦しいはずの戦後を明るくするだけのものだったし、アメリカのチームと試合するのにしても、相手が小学生なんだから手加減するに決まってるのをわけのわからない復讐心で描こうとしていた・・・・?
夏目雅子の魅力満開であるけど、いったい誰を中心に見ればいいのかわからない作品。のちに公開される『少年時代』も似たようなノスタルジックな映画だったけど、さすがに『少年時代』のほうが上記の反省点を乗り越えているように思われる。
戦後の私達の全員がMacArthur's Childrenだったのです
英語題名のMacArthur's Childrenの方が内容を的確に表現されています
しかし、それではどんな内容なのか?とイメージしづらいので、この瀬戸内少年野球団という題名なのだと思います
原作者は阿久悠
昭和の超有名作詞家で、70年代は大ヒット曲や名だたる歌謡賞の大賞に輝くのは殆ど彼の作品ばかりだったほど
また逢う日まで、ジョニィへの伝言、北の宿から、勝手にしやがれ、UFO、雨の慕情
思いつくまま書いても、21世紀生まれの方でも知って入る超有名曲がいくつもあります
この人の自叙伝的な小説を映画化したのが本作です
監督は篠田正浩、撮影は宮川一夫、脚本は大島渚監督とのコンビが多かった田村孟
つまりもの凄く強力な布陣で製作されたことが分かります
少年野球がテーマの映画ではありません
敗戦国日本の再出発点を見つめ、現代に続く原点とは何であったかを再確認することがテーマであったと思います
戦後の混乱の有り様は、東京や広島などの闇市の異常な光景を紹介する映画は沢山あっても、普通の地方の普通の街がどのように敗戦を受け入れて変わっていったのか
それをこれほどに丁寧に克明に描いた映画は他にありません
冒頭は昭和天皇の終戦詔勅のラジオ放送を小学生達が校庭に整列して聴いているところから始まります
物語はそこから2年後くらいの小学生達と戦争未亡人となった若い女性教師の日々のお話です
これといった事件もありません
舞台は淡路島の西海岸の真ん中の辺りの漁港の街のようです
そこに終戦までは提督だった元海軍少将が、小学生の娘を連れて戦犯として手配されるまで穏やかに骨を休めようと島の漁師に戻った部下を頼ってやって来ます
大勢の男達も戦地から続々と復員してきます
戦死したはずの人物も人知れず戻って来ます
そうこうするうちに進駐軍の十名程度の兵隊達も島の砲台を爆破処理するためににやって来ます
出来事はそんなぐらいです
それらの出来事が絡みあって、クライマックスの進駐軍GIチーム対少年野球団の試合になるのです
戦勝国と敗戦国の試合で子供たちも戦犯として処刑された少女の父の仇を討つのだと試合に臨むのです
占領されたからといって心まで占領されたのではない
卑屈になったり、逆に媚びたりしてはならない
と夏目雅子の演じる中井先生はある日、子供たちに教えます
それはもちろんその日の前夜、無理矢理肉体を征服されたことに対する腹立ちから来た言葉です
そしてボールを投げて野球をやろうと少年達にいいます
彼女の戦死した筈の夫は甲子園出場の高校球児でした
つまり野球をやることで夫をあきらめない、肉体が征服されたところで心は絶対に征服されないことを野球をすることで示そうとしたのです
その過程で、民主教育と男女共学のはじまり、男女同権など今に続く戦後日本の成り立ちが説明されるのです
淡路島の西海岸は瀬戸内に面しています
水平線の向こうには「二十四の瞳」の小豆島が浮かんでいます
島の小さな小学校の子供たちと若い女性教師の物語なのですから「二十四の瞳」と同じです
だから瀬戸内少年野球団なのです
戦時中や戦後の混乱期に羽振りよくしていた登場人物達は去り、温暖な気候を活用して花栽培を振興していく幸せな島の将来が明るい陽光の下の花畑で示されます
それは平和日本の未来の在るべき方向性を指し示しているのです
戦後の私達の全員がMacArthur's Childrenだったのです
それが本作のテーマであるのです
決して夏目雅子の美貌を愛でるだけの映画ではないのです
しかし余りににも彼女は美しく、彼女のイメージにぴったりな役柄であったことが、まるで太陽を直視したかのように他のことは全く目に入らなくなってしまうのです
夏目雅子が美しい!
それ以外のことは何もかも吹き飛んでしまうのです
しかし、ただそれだけが残る映画になってしまったのなら大変残念なことです
夏目雅子は本作の公開の2ヵ月後の1984年8月、20歳の頃からの7年間交際していた作家伊集院静と結婚をします
彼とははじめの3年間は不倫関係であったそうです
その新婚生活の僅か6ヵ月後の1985年2月
彼女は突然、急性骨髄性白血病を発症します
そして同年9月にはもう亡くなくなってしまうのです
27歳、正に美人薄命です
そのことが本作をさらに伝説の作品に押し上げているのかも知れません
淡路島は最近なにやら大手人材派遣会社が本拠地をこの島に移すとのことで何かとニュースに登場します
コロナ禍前までは、我が家は夏が来ると小さな子供たちと淡路島に毎年訪れたものです
南斜面には花が色とりどりに咲き乱れています
特に斜面一面に自生する夏水仙の美しさは目に焼き付いています
まるで夏目雅子の清楚な美しさそのままでした
夏水仙の花言葉は「悲しい思い出」だそうです
夏目雅子だけでなく、映画初出演の佐倉しおり、渡辺謙も強い印象をのこしました
また岩下志麻も、郷ひろみもまた素晴らしい存在感を示しています
見事な傑作です
戦後の混乱期はさもありなんって感じでよくわかります。だが長すぎ。そ...
変わらぬ宮川の撮影、変わりゆく映画と社会
淡路島を去っていく武女を見送るバラケツを背後からとらえたショット。真っ赤な灯台。遠ざかる船の明るい茶と合わせたバラケツのセーターの色。小津安二郎「浮草」の冒頭のシーンに雰囲気が似ていると思ったら、撮影はどちらも宮川一夫。
なんで、セリフのないシーンでここまで情感を表すことができるのか。しかも、どちらのシーンも人物の顔すら映っていない。
宮川の撮影なしには成立し得ない名画がいくつあるだろう。自分はたいした本数を鑑賞したわけではないが、この人の日本映画に残した足跡はもっと語られていいと思う。小津や溝口に関して人々が口にするのと同じように。この作品について最も語られねばならないことは、晩年の宮川のこの撮影についてではないだろうか。
しかし同時に、日本映画界の節目ともいえる部分もこの作品は持っている。
もちろん、これが最後の映画出演となった夏目雅子の輝き。
そして、これがデビュー作となる渡辺謙。その後の渡辺の活躍を考えると、夏目が早世しなければ、何度もこの二人の共演の機会があっただろうことは想像に難くない。
義弟に力づくで抱かれた女教師が翌日学校で子供たちにこのように諭す。
国土は米軍に占領されても、日本人としての誇りを踏みにじられてはならない。まっすぐに前を向いて自分の進むべき道を見極めるのだ、と。
これは、夫以外の男に身体を凌辱されようとも、心だけは相手に屈してはなるまいとする、男の力の前に屈した女の意地と重なる。なんのことはない、原作の阿久悠お得意の演歌の世界ではないか。
ここでは、心と体は別という心身二元論が展開されている。この作品の公開当時はまだこうした心と体の二元論が無邪気に受け入れられていたのだろう。
しかしおそらくバブル崩壊後には、このような単純な二元論は鼻で笑われたであろう。男女雇用機会均等法、セクハラなどという概念が跋扈する社会では、男に手籠めにされた女の心と体は別問題などということは、それを口にした者の社会的地位を消しかねないことなのだ。
一本の映画を通して、われわれは言説の浮遊する場が変動していることに気づかされる。
大人も子供も精一杯生きている
総合:80点
ストーリー: 85
キャスト: 85
演出: 80
ビジュアル: 75
音楽: 70
町に直接の被害はなくても、住人の生活の中に戦争の傷跡がまだはっきり残っている時代を背景にして、当時の人々の生活が生き生きと描かれている。戦後の混乱から立ち直ろうともがく大人たちを尻目に、直接戦争に参加しなかった少年たちの切り替えと立ち直りの早さと、貧困の中でも若さを精一杯生きる姿が新鮮である。悲しいことや冷酷なこともあるのだが、見終わって案外すっきりする後味も良い。たくさんの有名芸能人のまだ若き姿が見られるのも一興。
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