「「切腹」――知られざる原作と橋本忍の脚色の力」切腹 KIDOLOHKENさんの映画レビュー(感想・評価)
「切腹」――知られざる原作と橋本忍の脚色の力
私は結構読書家のほうだが、原作のタイトルはおろか作家名すら聞いたことがない。滝口康彦の短編「異聞浪人記」――日本人の間でもほとんど知られていない稀少な原作が、この名作の土台となっている。そんな作品を見抜き、ここまでの映画に仕立て上げたこと自体が驚きである。
脚本の橋本忍は、特に前半の奇妙さの醸し出し方において突出している。物語はゆっくりと、不気味に、観客の胸をざわつかせながら進む。その緊張感が積み重なることで、次に何が起きるのか分からないという不安が観客を支配する。まさに脚色の力によって、原作を超えて「生きた時間」がスクリーンに生まれている。
そして仲代達矢と丹波哲郎――この二人の対比がキマっている。仲代、みすぼらしい姿の中に漂う虚無感と、不思議な余裕感。時折見せる張りつめた剣のような存在感。丹波の立派な服を着て尊大で身分の低いものをなぶる人間味がぶつかり合い。その衝突が映像に凄みを与えている。特に丹波哲郎は、この作品でキャリア史上もっとも冴えた演技を見せていると言っていい。役者としての力だけでなく、映像の中で最も美しく、堂々と映っているのもこの映画であろう。
もちろんこの脚本にも弱点はある。息子の行動が浅はかで、父の復讐もその延長にあるため、動機の精神はやや薄い。監督・小林正樹はその穴を埋めるべく、クライマックスに向けて徹底した工夫を凝らしている。セット、カメラワーク、役者の演技・表情を駆使し、脚本以上の迫力を引き出した。我々がそこに単なる復讐以上の人間力・・・死生観、生き方、すべきことに向かう精神・・と言ったものを見いだせたのは監督をはじめとする脚本以外の力によるものであろう。音楽もそれを後押しし、結果として脚本の弱点を超えてなお傑作となったのだ。
「切腹」は、知られざる原作と、橋本忍の緻密な脚色、そして監督の映像的工夫が三位一体となって生まれた作品である。まさに日本映画史に残る傑作のひとつと断言してよい。