スローなブギにしてくれのレビュー・感想・評価
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拝啓 昭和の名優たち
昭和のというか、この時代の映画とはなんて理不尽で反逆的で社会を写し出しているのだろう…。
51才の自分が幼少期に映画のCMやら、映画音楽で気になっていたものを観漁ってみると非常に重たい内容が多い。
この映画はテーマソングの「スローなブギにしておくれ」が幼心に響いていた。
そして今日初めて本題の映画を観る。
何なんだろうか…。
今のコンプライアンスてはあり得ない内容。
大御所と呼ばれるような俳優の若かりし頃の下積み映画。
特にダブル浅野…。
浅野ゆう子は観る影もなく、浅野温子は主役で全裸も披露している…。
浅野温子の魅力たっぷりで、当時から今に至るまでのスタイルが変わってない。
自分等の年代には観る価値のある逸品な映画だ。
藤田敏八監督の40年前の予言のとおりになったのだ
冒頭は首都高の竹芝、浜松町から芝公園にかけて
さち乃がムスタングから放り出されるのは第三京浜
懐かしい光景だ
さち乃の家は、横浜の黄金町
あの頃は、怖くてそうそう近寄れなかったところ
団塊世代よりも下の世代の自分にとっては、こんな腹の立つ映画も久しぶりだった
若者が無軌道で傷つけあう
そんなことは昔から今もそうだし、こらからもそうだ
それが若者だ
なんで団塊おやじが、若者の恋愛に絡んでくるのだ
藤田敏八監督も、脚本の内田栄一も戦前の1930年代の生まれ
戦後生まれの団塊世代を客観的に見ている世代だ
本作は「八月の濡れた砂」のちょうど10年後の作品だ
その団塊世代が10年後どうなっているのかを批判的な視線で描こうとした映画だと思う
それは団塊世代が、大人に成ることを拒否して好き勝手な生き方をこれからもそうしていこうしていること
そのためには、若い世代を食い物にしていること
それを告発している映画が本作なのだ
まともなのは、団塊世代であっても苦労して厳しい世間を渡って来たであろうスナックのマスターとその常連逹だけだ
1981年、団塊世代は三十半ばになったところ
もう若者では無くなっている
中年に片足どころか両足突っ込んでいるのだ
もう大人になるべき歳だ
そこを団塊世代自身に見た目で分からせるように、1930年代生まれの藤田敏八監督と同じ上の世代の役者を使っている
監督は当時49歳
女性だけは、それでは映像ではキツいから敬子役の浅野裕子だけは団塊世代の下限1952年生まれを使っている
その彼女でも今年2022年なら70歳だ
もう中年なのにいつまでも若さにしがみついて足掻いている
ひとりで足掻いているならいい、若者を食い物にするな!
道連れに若者まで殺そうなんてするな!
そんな腹立ちが、監督のメッセージだったと思う
団塊世代より下の世代の自分に取っても、彼らの手前勝手な振る舞いの不愉快な記憶がフラッシュバックしてしまった
片桐義男のセンスの良い原作小説の若者逹の物語に、勝手に団塊世代を無理やりわりこませてくるのはそれが目的だったと思う
不潔で卑劣で汚らしいのは誰だ?
それを若者達は知るべきだ
利用されるなと本作は警告していたのだ
本作は予言していたのだ
本作公開から20年後
ムスタングの男が育てる気の無い赤ん坊は、成長すれば氷河期世代になる子供だ
その子を育てるために、この団塊世代の母親は、下の世代の妹に育児を押し付けるのだ
本作公開から30年後
劇中に離婚が成立した妻との娘は、おそらく1973年頃の生まれだ
つまりは団塊ジュニア世代なのだ
これも捨てられたようで、その実捨てたのだ
2022年の現在、どちらの子供も40歳代の前半と後半になっているだろう
非正規のまま、結婚もできず、故に家族も子供もなく、年金もなく、初老に入ろうとしているのだ
本作は、団塊世代が好き放題に生きた結果、如何にむちゃくちゃになってしまったのかを描いているのだ
その上、責任を放り出しだしてそのツケを下の世代に回しいたのかも
そうして自分たちの子供世代を食い物にして、自分逹の老後を優先するであろうことまでも予言していたのだ
失われた世代は、彼等団塊世代が作ったのだ
ロストジェネレーションはもっと怒るべきだ
本当に腹が立つ
団塊世代はもう75歳になった頃
社会からリタイアしたはず
ところが、現実にはまだまだ金や権力や権限をもっているのだ
もう若者を食い物にしないでくれ!
自分達の孫世代まで食い物にすることはないだろう
終盤のさち乃が、家主のいなくなった米軍ハウスで家財の破壊をつくすシーンには喝采だ
腐ったトマトなんか壁にぶつけてしまえ!
反吐がでる
南佳孝の主題歌はそのあとにかかる
それだけがご機嫌だ
原作小説は、野生時代という角川書店の月刊誌に1975年に掲載されたもの
主題歌は1981年1月の発売
片桐義男の原作小説の雰囲気に合っているが、本作の映画の内容とは遊離している
もちろん南佳孝の責任ではない
本当は若者達だけの物語ならば、ピッタリの曲であったはずなのだから
さち乃とゴローはそれなりに家庭をもってまっとうに暮らそうとしている
二人の子供もまた氷河期世代の生まれだ
その子の将来の不安を予感したかのように、さち乃は大きな腹に痛みを感じてへたり込んでしまうのだ
ラストは団塊世代のムスタングの男は、若い女と心中しようとして一人だけ生き残る
死んだのは見知らぬ若い女性
若者を犠牲にしたのだ
猫を捨てるのとおなじ感覚なのだ
この男はニュースカメラマンに撮影されたとき、手を上げて降参したふりをするのだ
なんと卑怯なのだろう
それが本作の結末であり結論なのだ
藤田敏八監督の視線はなんと辛辣なのだろう!
団塊世代はついに人生から退場しようとしている
しかし、このムスタングの男のように、まだまだ若者を道連れにしようと狙っているように思えてならないのだ
藤田敏八監督の40年前の予言のとおりになったのだ
浅野温子
古尾谷雅人がギンギラで若い。丑三つの村よりちょい前かな? 野性味、ちゃんと感じました。
何より浅野温子がべらぼうに美人でビックリ。とくに意味のない全裸のシャワーシーンもあり、笑った。これ初主演作だそうですが、とにかく可愛いくて、そりゃ売れますよね。
藤田敏八監督はこの頃若いセンスの部類だったそうですが、時々風船を散らしたりコマ落としみたいなことやったり、ちょっと不思議な絵も見られました。
いろんな別れと
出会って別れてまた戻り…がいろいろな場面で繰り返し。ずっとさよならもあるけれど、一つ一つの人と人とのかけひきがしっかり描かれているな、と思った。ただし、ストーリーは何もない。浅野温子が魅力的で、この作品の中で一人成長している存在。あとはろくでなし。重ねて言うが、浅野温子は猫のように奔放で愛らしい。
ん、ムスタング
高校のとき、オトナの世界を覗いた感じだった。
浅野温子のフェミニンな魅力、努のモテ男ぶり、原田芳雄の死にゆくスローモーション。南佳孝のスローなブギにしてくれ!最高のコラボレーション。
浅野温子の板みたいな身体と、似合わない厚化粧が記憶に刻まれている。
けっこうよかった
公開当時から気にしていて見ていなかったのをようやく見た。あんまり面白くなさそうな雰囲気だけの映画のような先入観があったのだが、とても面白かった。米軍基地の横の住宅で、甲冑や豪華なオーディオなど『限りなく透明に近いブルー』のイメージで、冷蔵庫のものが腐る場面まであった。
おじさんが女子高生に迫るのはパワハラ的で引く。猫の扱いがひどすぎる。登場人物がクズばかりで、しかも自分を正統化するタイプのクズ。そんなクズ連中が雑に生活して互いに傷つけあい、もたれ合うのが生々しくてすごくよかった。
ムスタングがイカス
若い頃は何だかよくわかないものが年をとってくるとわかってくるというのはある。この1981年製作の角川映画、片岡義男原作ということで封切られオシャレ扱いされたのだが、何だかわからないモノの代表格であった。
しかしなんて事はない、藤田監督が自分の撮りたいように撮った藤田敏八映画であるだけなのだ。
浅野温子がまだトレンディへ進化する前の初々しくもしなやかな姿を見せ、山崎努と古尾谷雅人の二人の男の間で行ったりきたりするのだが、どちらも正直ヒドイ奴 (特に猫の扱いが・・・!)。その男女間の気だるさと奇妙な皮膚感覚が藤田敏八節なのである。
ファッショナブルを装ったまったり恋愛模様がこの映画の正体。そういう意味で南佳孝のねっとりとした歌声は正解だ。
若き浅野温子の美しさと山崎努のくたびれた色気を見るだけでも価値はあります。
角川型ハードボイルド映画
若い時によく原作を読んでいたので原作を大きく改変してある脚本に驚かされた。
原作は若いバイカーと少女の奇妙な恋愛ストーリーだったと思うが映画は原作の二人と中年男を交えた男女の三角関係で話を進めてある。
男女の三角関係とはいえ、そこは角川映画らしくドロドロしたものにならずサッパリした感じで作品がまとめてあるのは好感が持てる。
ラストも訳が分からずらしいと言えばらしい角川映画。
まさに角川型ハードボイルド映画その物であった。
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