劇場公開日 1973年9月25日

「冷戦の狭間で切り崩しをかけられている日本の姿そのものにオーバーラップされている」仁義なき戦い 代理戦争 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0冷戦の狭間で切り崩しをかけられている日本の姿そのものにオーバーラップされている

2020年3月9日
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第一作より遥かに面白い
映画としての面白さが濃縮されてある

そこにさらに代理戦争というモチーフで外部の二大勢力に知らぬ間に手先となりその勢力争いの先兵となっていく姿
それは米ソの冷戦の狭間で切り崩しをかけられている日本の姿そのものにオーバーラップされている
ラストシーンで原爆ドームが映される
それは本作の舞台が広島であるからではない

ラストシーンのナレーション
闘いが始まるときまず喪われるものは若者の命である
そしてその死はついに報われることはない

つまり米ソ冷戦の狭間に巻き込まれて日本の若者達は戦争に追いやられてしまうかもしれない
その行き着くはては原爆ドームだとのメッセージだ
単なるお花畑の夢想的平和主義の主張ではない

代理戦争に巻き込まれていく広島ヤクザ達それぞれは、日本の各政党の政治家や、マスコミや言論家の姿にオーバーラップして見えるように製作されているのだ
覇権を巡る世界的な戦略の中では現実主義者しか生き残れないのだ
それこそこの広島ヤクザ達の抗争と同じなのだ

ヤクザの幹部はいう、自分も安全保障を考えないと危ないですと
また別の幹部は中立を保ちたいと言い出すが、それはいまさら許されない、それなら我々の敵だと宣告されるのだ

そして独立独歩で平和に暮らして行きたいとの主人公の願いは、巨大二大勢力の狭間では許されないのだ
それは日本の姿そのものなのだ

ならばどうすればいいのか?
そこで本作は終わる
その結論は私達観客=日本国民一人ひとりが考えなければならないことなのだ

それは本作品から47年も経っているのになにも変わりはしない
今度は米中の新冷戦の狭間の代理戦争のなかで抗争が行われているのだ
本作の登場人物の誰に、政治家やあなたは相当するのだろうか?

娯楽映画としても優れている
クライマックスに突入する前の停電と復旧の見事な計算された演出
クライマックスの抗争シーン
あくの激しく強い俳優達
終盤の火葬場のシーンは強烈だ

名作であるのは間違いない

あき240