女体(1969)のレビュー・感想・評価
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浅丘ルリ子の魅力爆発!
いや〜
浅丘ルリ子、スッゲエ!
たぶん彼女の最高傑作。
まさに当時の宣伝コピーそのまんま「激しく、美しく、狂おしく」奔放でファンキーで破滅的な女性を、殆ど過剰と言っていいほど、エモーショナルに演じている。
しかし、いわゆる余計なやり過ぎ感の芝居には見えない。やるべくして、やってる感じ。
つまり、主人公のミチという女性が過剰な人物設定の中でリアルに生きている。
衣装デザインの素晴らしさ(どれもカラフルな60s!シックで最高!)もあって、特に前半など、かなりポップな女性像にもなっている。
あまりにもエキセントリックで迷惑千万お構いなし(かなり笑える)で、奔放に愛(というか業か…)に突き進むのだが、その強烈な自我(というか男性依存の激しい美女の我儘!)にも関わらず、なぜか全く嫌な感じがしない。
社会性や倫理性など、どっかに吹っ飛ばして、感情の赴くままに、あまりにストレートに男を求め続けるのだが、それを、あの浅丘ルリ子が演じてしまうと、もうこれは全く問答無用で「もう、そう生きるしかないんだよな…」と、自然に愛おしく哀しくも見えてくる。
あと、脇役が皆んな素晴らしい。
岡田英次も岸田今日子も、みなさん年齢が丁度よかったかな。イイ時代だねえ。
ただ、ラストは、もうちょっと鮮烈に出来たと思うけど。
展開は全く違うが『妻は告白する』のように、どことなくレクイエムが疾走するような、深く印象に残る音楽で幕を閉じていれば、もっとグッと来たはずだ。
前半のユル〜いゴーゴー・ミュージックは結構よかったけどね。
出来れば、イタリアのStelvio Cipriani みたいな劇伴だったらホント最高だったけど。
こればっかりは無いものねだりか。
あとタイトルが『女体』というのは、なんだかなあ〜
確かに、あのスレンダーな肢体を、思う存分と言わんばかりに披露してはいるが…
所詮は上辺のルックなレイヤーに過ぎない。
つまり『女体』という肉体性や身体性だけでは、本作の本質と全くリンクしていない。
たぶん興行的なアピールとして、当時、人気が爆発していた浅丘ルリ子×エロで、大ヒットを目論んだのかもしれないが…
う〜ん、惜しい!
海外版タイトル『Vixen』の方が、まだ良かったか。
ちなみに、勝手にタイトル考えたけど…
『女と牝性』なんて、どう?
(もちろん”品性”に引っかけてある)
『嗜好する女』とか
(これは”志向”や”指向”にも引っかけてある)
『激る女』なんてのも、いいかも。ダメ?
ホラーと言ってもいい
女体(じょたい)69年大映。増村保造監督。
浅丘ルリ子がミニスカでゴリゴリのビッチ役で登場。うーんスゴい。細すぎるルリ子に下着姿でダンスさせたりする演出。「少し乱暴過ぎますね」という岡田英次の台詞の様に強引で急な展開。まぁ増村映画にはままあること。度を越した奔放さでホラーの様になっていく。コワイコワイ。
川津祐介が飛び道具的に出てくるのは他の作品でも見たな。
主人公の勝手理論に全く共感できなくラストは岡田英次を応援した(でもガッカリ)
彼女に同情したり主張に共感したりは一切しなかった。ブスッとされたらよかったのに。
自由奔放すぎる
次から次へと多くの男を好きになってしまう自由奔放な女。しかも横恋慕というか、女から男を奪ってしまいたくなる傾向もある。
ミチには売れない画家の恋人(川津祐介)がいたのだが、徐々にミチにのめり込んでいった石堂が彼と殴り合いの喧嘩になってしまう。はずみで頭を打った画家が死亡。過失傷害致死によって罪を負った石堂。理事長秘書の職も辞め、妻(岸田今日子)とも別れる決心をして、何もかも捨ててミチの下へ転がり込むことになったのだ。やがて2人でバーを経営し始め、石堂の妹とその婚約者秋月(伊藤)が現れる。なんと彼にも惚れてしまったミチ。今度は彼が餌食になるのか・・・
そんな奔放すぎる戦後生まれの女を浅丘が好演。水商売系にはそんな女もいっぱいいると思うが、戦中派と戦後派という人の生き方にまで言及してあるのが興味深いところ。もちろんコケティッシュな浅丘の演技もあってこそ面白いのだが、男優たちの演技がひどすぎるかな。川津以外は・・・
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