「クライマックスに於けるカタルシスは半端ない」昭和残侠伝 死んで貰います 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
クライマックスに於けるカタルシスは半端ない
花田秀次郎(高倉健)と、風間重吉(池部良)との敵同士(ライバル関係)を越えた、男の友情殴り込みシリーズ。
基本的に、シリーズ物として、浅草を舞台にしてのヤクザの利権争いや、弱いもの虐めに対して。我らが健さんが耐えに耐えて、最後に怒りを爆発させてカタルシスが発生する。
今作品がシリーズの中で若干違うのは…。
舞台が深川である。※1
秀次郎(菊次郎)と重吉は初めから師弟関係と云うか兄弟関係に近い間柄にある。
元々ヤクザ者では無く、ヤクザ稼業に身を落とした為に親から勘当を受けて居る身である。
組を背負う立場には無い…等々、細かい変更点は多いですね。
そんな中で、個人的に一番違和感を感じたのは、主人公である健さん(秀次郎)が、博打打ちであるところ。
シリーズとしての花田秀次郎とゆうキャラクターを考えると、少し違うかな?とゆう印象。
寧ろ、過去にヤクザとしての“痣”を持っている(作品中には描写されない)風間重吉のキャラクターにこそ、相応しい気がした。
そんな背景から、花田秀次郎と因縁を持つイカサマ壷振り師には、悪役専門の山本隣一が壷振り師としての意地を示す感情的な役柄を好演しており、確実に映画を面白くしている。
でも、クライマックスでの斬り合いの場面で、あっさりと右手を斬られてしまい、はいそれまで!は悲しい。
お金の工面や、怒りが爆発するきっかけとなる味方(または知人)の惨いやられ方等。本シリーズや、『日本侠客伝』シリーズお馴染みの展開が形を変えながら場面場面に応じて描写されている。
藤純子(富司純子)が着物を縫うの『は昭和残侠伝 血染の唐獅子』だし、殴り込みの前に2人が町中を歩く情緒溢れる場面に、風間重吉が刀の封印を切るのは確か『日本侠客伝』でも描かれていた。
1つ1つの場面だけを観ると、シリーズ作品・又はシリーズ以外の他の作品の中に特出した描写は在るけれども、一本の作品になった時に、この『死んで貰います』は抜群の面白さを放っている。
スケール感は他のシリーズ作品と比べると小粒だし、悪役側の描き方も他のシリーズ作品と比べると小憎らしさはやや弱い。
但しそれだけに、シリーズを通して大勢いた登場人物に対する描写を少なく抑えられた事で、プログラムピクチャーとして90分前後におさめる為の苦労は減り、秀次郎と幾江。また秀次郎と重吉とのそれぞれ恋愛描写や、お互いの信頼関係をじっくりと描ける様になっているのが大きい。
でも、長門裕之はある程度重要な役所だから、まだ良いとしても。突然無意味に画面に現れる津川雅彦の登場はちょっと…。幾ら身内だからって。
冒頭、銀杏の樹の下での藤純子との出逢いの場面。
シリーズお馴染みの「唐獅子牡丹」の歌に導かれ、風間重吉と覚悟の道行き場面。
狭い日本家屋を縦横無尽に暴れ・壊しまくり豪快に相手を斬りまくるクライマックス等々。名場面の目白押し。
「行くなとは申しません。生きて帰って下さい…」
藤純子のセリフがまた泣かせる。
これだけ書いてもあんさん「観ない!」と仰有る訳ですかい?
「死んで貰うぜ!」
※1 考えて見たら、シリーズ全作品を全て観た訳ではなかった。