劇場公開日 1991年12月14日

「和を以て貴しと為す」12人の優しい日本人 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0和を以て貴しと為す

2023年12月2日
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鑑賞方法:DVD/BD

「和を以て貴しと為す」という言葉がある。日本は「和」を重んじる国で、国民は争いが嫌いで、みんな仲良く平和が一番だよね、みたいな文脈で使われる事が多い。
「12人の優しい日本人」のオープニングは、元となった「十二人の怒れる男」のオープニングとは少し毛色が違い、蒸し暑さへの不快感から来る「ちゃっちゃと終わらせようぜ」感はない。
見知らぬ12人の男女が、出来れば諍いなく評決を出せたら良いな、という「和」を期待するリラックスした雰囲気で始まる。
一般的に「和を以て貴しと為す」と思われている状態である。

だが、本当の「和を以て貴しと為す」はそんな意味ではない。出展は日本書紀であり、十七条の憲法、その第一条である。
和を第一とし、無闇に逆らうことの無いように。という一文自体は争い事のない状態が最良である事を示したものだか、同時に第一条は「上の者から下の者まで、和らいで意見を出し合う」事を推奨している。
更に全体では「大事なことは独断で決めるのではなく、皆で議論し合う事」をも説いている。

相島一之演じる陪審員2号の翻意から、否応なく議論に巻き込まれる残りの11人。
彼に対するイラつきは、「どうして和を乱すのか」という不満だ。「早く帰りたい」それもあるだろう。しかし、それ以上に簡略化して教えられてきた「人と対立しないこと」を反故にした者への不服が、この映画の「日本人」たる所以である。

合理的、論理的な意見をすらすらと述べる者に説得されたり、意地を張ったりする中で、どうしても自分の思いを表現出来ない者がいる。
その気持ちは私の人生の中にもある。慣れていなかったり、自信がなかったりして上手く伝えられない。

だが、それでも罵り合うのではなく穏やかに、辛抱強く話し合う中で、一筋の光が見えてくる。
得意な者も不得意な者も、皆が納得するまで話し合う。まさに十七条の憲法ではないだろうか。

その時何が起こったのか?
物的証拠の薄い中で、「事実」は誰にもわからない。しかし少なくとも12人の人間が納得するだけの合理性を示す事が出来た。
1人の人間の人生がかかっている、その重みは本家と同じだ。その重みに、実に日本人らしい答えを見せてくれたこの映画もまた傑作である。

堅苦しいことを書いてしまったが、本家へのオマージュに溢れたクスッとした笑いもこの映画の持ち味である。
「あ、あのセリフは本家と同じだな」「このシーンは本家にもあったな」と比較するのもまた面白い。

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つとみ