劇場公開日 1961年11月1日

「『ベン・ハー』みたいなの作りたかったのね」釈迦 盟吉津堂さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0『ベン・ハー』みたいなの作りたかったのね

2025年1月23日
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鑑賞方法:その他

興奮

知的

YouTubeの期間限定無料配信で視聴。
一度観てみたかった『釈迦』が無料で観られるなんてありがたい時代になったものだなあと思う。

当時、大映の社長だった永田雅一が「ワシのところでも『ベン・ハー』とか『サムソンとデリラ』みたいな宗教スペクタクル超大作を作るんじゃー!」と意気込んで製作したのだという経緯を「映画秘宝」で読んだ覚えがある。

監督は座頭市シリーズの名匠三隅研次、キャストも一流どころを揃えた超大作。
なのに、どうにもへんてこなものを見せられているという感じが最後まで付きまとう。

日本人がインド人やネパール人(釈迦はネパール出身)を演じるという違和感には目をつぶるとして、釈迦のキャラクターがとにかく当たり障りがないというか、生彩がない。

本郷功次郎演じるシッダ太子がそもそもそんなに感情移入できるような人間味のあるキャラクターではないのだが、悟りを開いて釈迦となった後は雲の上の人というか、ほとんど神様みたいな描写になってしまってビックリする。

釈迦の敵となるダイバ・ダッタを演じる勝新太郎が主役を食ってしまった、とよく言われるが、主役を食うも何も、後半は主役がはっきりとした姿を見せないという、ある意味トンデモない映画だった。

インドラ神の巨像が崩壊するシーンはなかなか迫力があるが、やっぱり『サムソンとデリラ』でダゴン神の巨像が倒れる方がすごかったなあと思ってしまう。

釈迦とダイバ・ダッタというライバル関係はベン・ハーとメッサラを意識したのかもしれないが、人間描写において『ベン・ハー』にも遠く及ばなかったと言わざるを得ない。

とは言うものの、『ベン・ハー』や『サムソンとデリラ』のような宗教スペクタクル映画が好きな自分のような人間にとってはどうにも嫌いになれない、心に引っかかってくる作品だった。

盟吉津堂