「俺のことを忘れるな」地獄の警備員 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
俺のことを忘れるな
殺人鬼の富士丸は徹底的に内面の欠如した冷血漢のように描かれており、その手口もきわめて残酷だ。しかしそこには個人的な怨嗟や快楽のようなものが感じられない。彼は息を吐くように、何の感慨もなく人を殺す。
アルベール・カミュ『異邦人』の主人公ムルソーは、殺人を犯した理由について、法廷で「太陽が眩しかったから」と述べた。これは露悪でも皮肉でも言い逃れでもない。彼は本当に太陽が眩しかったから、人を殺したのだ。しかしそれは一般的な倫理に照らし合わせてみれば荒唐無稽な戯言でしかない。ゆえにムルソーは異邦人なのだ。
富士丸もまた社会の原理から完全に逸脱した異邦人だといえる。彼は自身の異邦性に自覚があり、それゆえ自身の行動原理を周囲に説明しようとしない。無駄だから。そんな彼が唯一心を開きかけたのが、新入社員の成島だったのだが、彼女は富士丸を真っ向から拒絶する。
「私はあなたをわかりたくありません」
社会と繋がる唯一の回路を断たれた富士丸は、ボイラー室で静かに首を吊る。いやいや女の子にフラれたくらいで自殺だなんて、ここまできて突然人間臭くなるなよ、とは言いたくなるが。
しかし倫理を人間の条件とするような価値観もまた我々固有のものだ。もしかしたらその外側の世界というものがどこかに存在しているのかもしれない。
富士丸はそんな世界から我々の世界に迷い込んでしまっただけなんだろう。この世界では「異邦人」な彼もきっと、彼の世界では「普通の人」なのだ。
「俺のことを忘れるな」という言葉は、社会の裂け目の底でうずくまる富士丸の、必死の存在証明だったのかもしれない。
とはいえシステムから逸脱した異物(サイコパスとか障害者とか)がシステムの内部で不条理に振る舞うという形式はホラー映画の常道であるし、今更こういうものを撮ったから何だというのか、という気持ちもある。
森田芳光『黒い家』を既に見ていたということもあってか、今一歩満足できなかった。 カメラワークは流石だが、どうも音響がチープで…数多ある黒沢清作品の中では割と小ぶりな作品だろう。