秋刀魚の味(1962)のレビュー・感想・評価
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秋刀魚はどこに存在する?
小津安二郎監督作品。傑作です。
今までみてきた小津作品の中で一番好きかも。遺作であるし、映画美の極致をいった作品のように思う。
構図や場面の反復によって、同じく現れるものは、人間の普遍的な営みとして昇華され、差異は人の感情の移ろいや不在を見事に描いている。
最後のシーンがとても胸にくる。長女の路子(岩下志麻)を嫁がせた父の周平は、酔っぱらって一人寂しく家に帰る。そして酔い冷ましに台所で水を飲むのである。周平はかつて次男の和夫にいった。これからは一人でなんでもしなくてはいけないと。そして現在、周平は路子が不在の家で、これから一人でなんでもしなくてはいけないのである。この不在の描き方と嫁がせた父の孤独はひどく胸に刺さる。
まだまだ映画の細部に目が届いていない。これからも何度も観たい作品である。
秋刀魚の味
秋刀魚の味、とあるが、本作に秋刀魚は出てこない。小津安二郎の作品には、お茶漬けの味という作品があるが、こちらにはお茶漬けを食べるシーンがさかんに登場する。秋刀魚のわたは、ほろ苦い味がするため、笠智衆の娘を嫁にやる独身親父の心情を表題で表現したものと思われます。また、この映画は老いた人間の孤独もテーマになっているが、老いた人間の孤独は62年経った今も変わらぬ普遍のテーマである。まさに小津安二郎の遺作に相応しい映画である。また、本作、何度観ても不思議と飽きない。おそらくこの作品には全く違和感のない日常が存在するから、ついつい魅入ってしまうのだと思う。人は映画のようにそうそう激情を表したりはしない、彼の映画はいつも普通なのである、その普通さが未だに人を引き付けて止まないのである。これがオズの魔法使いたる所以なんだろう。
「あぁ、一人ぼっちか」
物語の最後、主人公の周平はこう呟いてから軍艦マーチを口ずさむ。
社会的地位があり、酒を酌み交わす学生時代からの友人達もいる。長男は独立しているが近くにおり、その妻は時々様子を見に来てくれるという。同居する学生の次男は明日の朝ご飯を炊いてくれるという。妻を早くに亡くし、娘を嫁に送り出したとはいえ、孤独とは言えない様に思う。
それでも強かに酒を飲んだ周平は、一人ぼっちだと呟く。そして娘のいなくなった2階へと続く階段を見上げた後、台所でわずかにふらつきながら自分で湯冷ましを注いで飲む。
まだこの心境を私は理解できない。ただ感じるのは、周りに急かされるように進めた娘の結婚が、果たして本人にとって良かったのかという自信のなさ。長男だけでなく娘のことすらも理解できていなかったという自覚。それらは、妻は自分と結婚して幸せだったのかという疑問に繋がっていく気がする。そうだとすればとても辛いし、とても孤独だ。最後に口ずさむ軍艦マーチは、「艦長時代も孤独だったじゃないか、明日からも大丈夫だ」と自分に言い聞かせていたのかもしれない。
様々なこだわりを感じる画作りは素晴らしいが、それ以上に娘を送り出す所からラストまでの流れの計算高さは恐ろしい。
…
この作品と対称的なエンディングとして思い出したのは、『花嫁の父』というアメリカの映画。岩下志麻とエリザベス・テイラー、どちらも娘の花嫁姿が言葉にならないほど美しいという点では共通している。
小津安二郎は、難しい。
ひどく平易な言葉と絵作りが徹底されているのに、小津を本当に理解するのは結構むずかしい。
まずショットレベルで難しい。あのオープニングクレジット明けの1枚目。ただの工場の煙突群なのに、映画という映画を見てきた観客なら、見た瞬間にノックアウトされる。逆に言えばこの絵にノックアウトされないなら、まだ小津を見る準備は整っていない。そして晴れた日の東急池上線のプラットホーム、若い男女が並んで電車を待つシーン。これも見てすぐ「ああ、これは容易ならない映画だ」と思い知ることができなければならない。
そして話の作りも、小市民的な外観は表層だけで、実はどろどろした現実がそのまま参照されている。この作品も台詞をきちんときいている観客には、社会低層に転落したかつての権威・ぶざまに負けた戦争・若い男女の避妊・後妻との夜の生活…がストレートに語られていることに気づくはず。笠 智衆ののんきな台詞回しに気を取られていては、これは分からない。
そして執拗に反復される、あの正面正対のきりかえしショット。これを撮るために、どれほどの手間と技術がそそがれているか。そして木造家屋の廊下、オフィスビルの通路、料亭の土間…を世間の設計図のように撮るための厳密な視線。
世界の映画史でも小津を本当に特別な存在にしているのは、これらの異様な技術的達成と、物語に組み込まれた意味の多様さ。
残酷で優しい、ひどく精密に撮られた映画史上の傑作。
小気味いい会話劇と、娘を送る父の哀愁
小気味いい会話劇と、哀愁漂う娘を送り出す父親。
台詞で表現されてるわけではないが、孤独と悲しみが伝わるのは何故だろう。
人の感情を表現するのが素晴らしい映画だ。
当時の価値観と現代はかなり違うのではあり、娘が父の世話をするために婚期を逃すというのも珍しいとは思うが、父と娘の関係性でいえば今も変わらない気もする。
名作だから面白いというのではなく、自分は見ていて全部面白かった。1秒たりともつまらない部分がない。日常描写だけしかなくかなり淡々としているんだけど、テンポよく小気味良い会話劇であっという間に終わった感じ。また他の小津安二郎の映画が見たくなるほど、作品が好きになった。
岩下志麻さんの若い頃の作品だけど、すごく美人ですね。この人の魅力でもこの映画の価値を上げてる気がする。
父親役の笠智衆もいいよねぇ。
配役みんないい。味わい深すぎる。今だからこそ見ていて新鮮な気持ちになる。
ちなみに、タイトルの秋刀魚の味。本編に全く秋刀魚出てこんやん。一体どういう意味なのか。。。
劇中に食事シーンやお酒飲むシーンが多いけど、見てたら食べたくなったり飲みたくなってくる。。。
秋刀魚は出てこない
主人公が、手に入れた幸せがいつの間にか減っていく
そんなことを思ってしまった瞬間を切り取った作品なのだと思います
日頃生活していても不意にくる淋しさはどうしようもなく、遠くを見つめたりため息が出てしまうものです
日常のほんの一コマ、歳を重ねる不安は何かで忘れるしかない
そのことばかり考えたって漠然とした不安はどうもならないもの
私もそんな歳にさしかかって来てます
若くて無鉄砲で脂が乗り切っていた頃はそんな不安などみじんも感じなかったのにいつの間にか着実にやって来る
子供の歳を声に出して言った時愕然とした時のことを思い出します
思わず
「嘘だろ〜」
と呟いてしまった
そして自分がどれほど歳を取ったのか身に染みるのです
幸い私には幾つかの道楽がある
歳をとっても出来ることばかりの
悲しみを忘れさせてくれる
道楽は良いものです、趣味と言い換えればカッコがつくし
まだ引っ込むには早すぎる!
僕のベスト1映画
人生が、いかに滑稽で
哀しくて切なくて
儚いかを、詩情豊かに
描いてくれる。
この映画を観るたびに、
人は必ず死ぬんだよなぁ、
としみじみ思うのです。
杉村春子の慟哭、
東野英次郎の酔態、
笠智衆の独語、
ユーモアの中に浮かび上がる
血がにじむような孤独、哀切。
うん、人生って瞬く間に
過ぎるよな、と、年を重ねるごとに
心に染み入る映画です。
サンマはいいだろう。 しかし、亡き妻の遺影・仏壇が結局一度も出てこないことの拭えない違和感
敵を作らない人畜無害な男=笠智衆。
上映当時の小津監督や世の男性はこういう男に魅力を感じたのだろうか?
何も起こらない小津映画の典型として、宇宙人の映画でも見るような気分でこの「秋刀魚の味」を観、
ちょっとため息をついてしまった。
笠智衆にとっては、彼にとっての「改革」といえば、敗戦後の無気力さから立ち直ることも出来ずに、フラフラと今夜も岸田今日子のトリスバーに通うことだけなのか。
あの ひょうたん先生の東野英治郎が、小汚い中華料理店の主人として灰塵から再出発し、かつての戦艦の乗組員加藤大介は自動車修理工として笑顔で油にまみれ、
息子佐田啓二は恐妻家でありつつも共働きの妻の帰りを待って、エプロンをかけて台所で甲斐甲斐しくおかずを作り、
次男は早起きして老父のために朝食の準備をするというのに。
すべてにおいて暖簾に腕押しの笠智衆。
鴨居には仏像の額がかかっていて、悟りを開いているのか、あるいは死んでいるのか。この男は。
小津安二郎は、
独特の撮影技法や台詞の言い回し、そして無言のシーンや静物に多くを語らせる ユニークな作風の監督なのだが、
あまりたくさん観るとこちらまで無気力な痴ほう状態になりそうで、そら恐ろしいのだ。
これが集大成にして最後の作品というから、なおさら小津安二郎の精神状態には懸念を覚える。
ベトナム帰還兵のPTSD様のものが、もしやかつての海軍の平山艦長にはあったのではないかと、
それはもちろんまったく触れられてはいないし、こちらの読み込みが過ぎるかも知れないが、「戦争ブラブラ病の患者」の末路の様相を、静かに見つめて描いているのだとすれば
これはひとつの反戦映画ではある。
軍艦マーチは執拗に流れ、泥酔した平山の口からもそれはこぼれ漏れる。
そして、
表題にも書いたのだが、
娘路子の婚期にこだわっているのか、関心が薄いのか。
また、平山の亡き妻は彼の中に生きているのか不在なのか、
「失敬するよ」とすぐに人前からいなくなる平山の、人間関係の希薄さ。そこに彼の風貌も加わり、いささか不可解で、不気味で、オカルトなものを感じてしまった。
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追記
他の方のレビューで知りました。小津安二郎は生涯独身であったとのこと。
家庭を描いているふうでありながら、家庭人のようには見えない笠智衆という人物が、実は「小津の生立ちの自己投影」を担っているのかなァ・・と思うに至りました。
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【おまけ】
しおらしく父親の言いなりになって嫁に出された長女路子ちゃん=岩下志麻 (当時21歳)。
あの岩下志麻が嫁いだ先でのちに「極道の妻」に変身しちゃうとは誰が予想をしただろうか(笑)
芸人の清水ミチコが、ほんの数秒の短い形態模写をやっているので、ご興味のある方はどうぞ
YouTube
清水ミチコ映画『極道の妻たち』の岩下志麻の凄い電話の出かた
日本が誇る映画界の巨匠 小津安二郎監督の遺作であり名作中の名作
当時21歳の岩下志麻さんが若くて可愛かった、涼やかで凛とした雰囲気がすごく魅力的でした
他界した母親の代わりに家事や父親のめんどうを背負い一生懸命やっている姿がけなげだった
そんな娘が家族のせいで恋愛もできず、婚期も逃してしまう危うさに気づき、娘の結婚を考え始める父親を笠智衆さんが哀愁漂う演技で魅せます
いつ観ても笠さんの酒をチビチビやる演技は最高、自分もすごく呑みたくなります
一番印象に残ったシーンは、笠智衆さん、加藤大介さん、BARのママを演じる岸田今日子さんが軍艦マーチをバックに敬礼するくだり、岸田さんの敬礼している絵面がすごく色っぽくて魅力的でした
小津作品の中でもカラーでテーマも割りと解りやすいため、入門編としては最適ではないでしょうか、オススメです
完成された映画とはこれ!
小津安二郎は同じホームドラマを何度も繰り返しているだけで、面白みがない、革新的じゃない。……当時はそのように言われていたようだ。
確かに過激な内容ではないし、いわゆるドラマチックな展開が用意されているわけではない。なのだが、父と娘の結婚を巡る話ではあるものの、今回は一番下の弟以外家族全員働いているという「結婚前の娘だから家にいる」習俗から外れた現状を反映した設定になっている。
小津の映画は保守的といわれるが、そこに映し出される風景や風俗は当時の最新のものが積極的に取り入れられている(森永チョコレート、トリスバー、横浜トヨペット、キノエネ醤油、サッポロビール…風景に現れるブランド名のなんと多いことか。同年公開の松竹映画『切腹』のポスターまで登場)。飲み屋にテレビがあるのも当時としては新しいものだっただろう。家の中では小型テレビまである。長男夫婦が団地に住んでいるというのも、新しい生活様式だった。
家の中での妻も、ただ夫に唯々諾々と従う存在ではなく、ズバズバと夫に意見を言う姿が、夫の対応も含めて観てる男側としては辛いものがあるものの楽しい。本当に男っていつになっても子供なのだなぁと。
この映画の特に好きなところは、主人公の旧友たちとのやりとりだ。こんなに面白くてしかもオチまで付ける会話が他にあるだろうか。
いざ娘の結婚が決まっても、良かったねですまさず、想像の余地を残している。父が結婚式の後寂しげなのは、娘が家からいなくなったからだけではなく、自分が娘に注意を向けなかったばかりに、意に沿わない結果を押し付けてしまったのではないか、と後悔しているようにみえる。
小津の映画は何度も観てきたが、日本家屋の中で映像を構築する上で小津がよく使うローアングルは、人物が背景から浮き上がって見える効果を得ている。狭い空間で障子・襖・窓ガラス・家具などの造形を立体的に見せるための考えられた手法なのだと、改めて思った。
ザ・昭和
どの役者さんも若く、美しい。セリフ回しがプチプチ切れる(言い切る)中に、当時の話し方を見たような気がした。
令和の価値観ではあり得ない事ばかりで、時代の変化を見せつけられた。
今は娘の方が、絶対良いですからねぇ^_^
【人と人との確かなる絆を描いた作品。ロウアングルでの固定描写が品性ある趣を醸し出している作品。世界の多くの監督に多大なる影響を与えていると言われる小津監督の人間賛歌に溢れた作品である。】
■平山(笠智衆)は、妻に先立たれてから一切の家事を美しき娘の路子(岩下志麻)に頼っていた。
ある日、中学時代の同窓会に出席した平山は酩酊した恩師(東野英治郎)を送っていくことに。
そこで零落した恩師の世話に追われて婚期を逃した娘(杉村春子)と出会う。
それから平山は、路子の縁談について真剣に考えるようになる。
◆感想
・恥ずかしながらの初鑑賞である。小津安二郎監督の作品は、配信で数作鑑賞していたが、総て原節子さん出演作である。
・今作を観て思ったのは、人間関係の優しさに溢れた濃密さである。
冒頭に描かれる中学時代の恩師”瓢箪”を囲む平山を含めた教え子の姿である。零落した恩師に酒を注ぎ、酔った恩師をキチンとタクシーで送る姿。勿論、その後恩師に対しての辛辣な言葉も出るが、基本的には彼らは恩師を慕っているのである。
・そして、恩師の娘の姿を見て平山は路子に頼り過ぎている自らの姿に気付くのである。
■それにしても、年代的に今作に出演している俳優さんの殆んどは亡き人である。だが、彼らは今作の中では活き活きと生きているのである。
何だか、感慨深い想いに耽ってしまう・・。
・岩下志麻さんは、今でも驚異的なお美しさを誇っているが(羨ましくはないが、中尾彬さん、大切にするよーに。(上から目線)当時の圧倒的な美しさには圧倒される。(ホント、スイマセン・・。)
<今作が不惑を越え、娘、息子が結婚適齢期になった男に響くのは、笠智衆さん演じる平山が娘の幸せを考え、彼女の結婚を進めるシーンであろう。
今ではこの考えは時代遅れと思われても仕方がない気がするが、自分の子供の幸せを望む姿は、矢張り心に響くのである。
”世界の小津”と今でも言われ、多くの海外の映画製作者たち(敢えて言えば、アキ・カウリスマキ監督、アッバス・キアロスミス監督、若手で言えばコゴナダ監督。)に多大なる影響を与えていると言われる監督の人間賛歌に溢れた作品である。>
失われた東京の風景と、その時代の空気を閉じ込めた。
小津監督の描いた、その時代の苦さ。
笠智衆の父、 岩下志麻の娘。
東野英治郎の父、 杉村春子の娘。
観客は淡々と進む物語に溶け込み、
そこに生きる人々の姿を見守るだけ。
そして監督の決めた画角に人間を感じるだけ。
バーのマダム役の岸田今日子がいい。
娘の居ない部屋、その風景と父がいい。
※
無常ということ
世界に誇る巨匠小津安二郎の遺作。
結婚をめぐり、父が娘を家族と思う作品。寂しさと1人ぼっちという哀愁と切なさ。常はなく明るい一家団欒も時とともになくなっていく様。
カット割、音楽共に美しい。これぞ日本の映画だとしみじみと思った。平成生まれの僕からしたらやはり価値観として相容れないシーンも多々あった。例えば、演壇など男だけで進んでいくところや恩師への態度である。
戦争が終わり一つの時代が終わり、威張ったやつらは皆いなくなった。それは、この時代の価値観共にである。大量消費時代に突入し、核家族化し、古きものは新しきものにとって変わられる。
日本映画
監督作品から見たわけではなく、
この時代の役者のセリフの言い回しやカット割りなどに興味があり鑑賞。
出る女優がすべて美人であり、演じ方が今とは全く違う。どことなく目が笑っていないのか、日本人形のような印象。でもなんかセリフの言い回しが可愛い。
なんかはまってしまった。
“ダメよ、ダメ、ダメ”や
“〜言ってやったのよ、フンッ”などなど…
カット割も独特で、恐らく演じている時に相手はそこにいないのがわかってしまうような感じ。
だから目が合っていないような違和感が生まれるのか。
時代背景、男女バランス、夫婦バランス、など鮮度があっておもしろかった。
無理矢理な脚本ではないからスッと見れてしまう。
今の映画脚本とはまったく違う。
岩下志磨さんが本当に美人です。
そして
“ひょうたん”あの方が初代水戸黄門だったんですね。
晩春につづき
小津安二郎の遺作
60年代の空気を感じる面白い映画
バーの雰囲気やご飯屋が良い
この時代の俳優さんっていやに棒読みだよなあ
岩下志麻はとにかく可愛かった
可愛さと美しさが共存してた
言葉では言い表せない
小さな話を置いていって最後に結ぶ
そういう美しさがあった
だってクラス会の話とかその先生の話とかから
始まるなんて思いもしないもん
その会費がどうのこうのなんてさ
初老の男たちが昼でも夜でも屯している
あのご飯屋さんもいいよなあ
あんなに淡々とブラックジョークを挟むなんて
粋すぎる、正直格好よすぎて驚いた
話の主題とか、時代性とか諸々気になる部分はあった
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