「娘を嫁がせる父親の想い」秋刀魚の味(1962) talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
娘を嫁がせる父親の想い
娘にとって父親は最初に出会う異性とも言われますけれども。
反面、世の大方の父親にとっても異性の子娘)というのは、特別な存在なのかも知れないとも、評論子は思います。
(こう言うと既婚の息子には叱られるかも知れませんが、評論子の身で思い起こしてみ、娘を嫁がせるときは、息子に嫁をとらせたときとは、また違った感慨が、あったと思います)。
別作品『秋日和』のレビューでも書かせてもらいましたが、本作の製作当時の昭和30年代(昭和37年)は、まだまだ女性の社会進出がなっていなかった時代。
女性の社会的な交際範囲はまだまだ狭く、縁談は、本作のように周囲の人々の「お膳立て」(良く言えば好意、悪く言えばお節介)で成り立っていた社会情勢だったことでしょう。
(むろん、スマホのマッチングアプリなど、理想の相手の存在を、適齢期の女性が自分で見つけ出して来ることは、社会的に難しかったのだろうとも想像します)
かてて加えて、女性の経済的地位がまだまだ高くはなかった本作の製作当時の時代(男女で平均賃金を求めると、男性のそれの方が高く出る令和の今でも、女性の経済的地位が充分に高くなったとは必ずしも言えないことは、ひとまず別論)。
良縁に恵まれるかどうかは、女性の側では、生活面(経済面)では、令和の今よりも、もっともっと切実な問題だったのではないかとも、評論子は思います。
そして、本作の周平は、早くに連れ合いを亡くし、父一人、子(娘)一人で暮らしてきた間柄―。
本作のタイトルが「秋刀魚の味」とされていることについては、レビュアーの皆さんの間に受け止め方がいろいろとあるようですけれども。
しかし、評論子としての受け止めは、紆余曲折の末、無事に娘を送り出した父親の心境は、まさに旬を過ぎて味わう秋刀魚の味」のように、まるで脱け殻か何がのように、気が抜けてしまうものなのだろうと、評論子は思います。
そして、路子ヲ嫁がせた周平の胸中ては、今更のように、自分の「老い」を実感したこととも、評論子は思います。
本作は、名匠・小津安二郎の遺作となった作品とのことですが、これも「家族のあり様(よう)」を描いた一本としては、名匠の名に相応しい佳作だったと、評論子は思います。
