劇場公開日 1962年11月18日

「なぜこんな映画も飽きずに最後まで見られるのか?」秋刀魚の味(1962) KIDO LOHKENさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5なぜこんな映画も飽きずに最後まで見られるのか?

2019年9月29日
PCから投稿

この作品は確かに皆さんがおっしゃるように庶民生活の喜怒哀楽が込められていて美しい映画である。すぐに飽きてしまいそうでなかなか飽きない。微妙に面白いエピソードが連ね流れており、最後まで飽きない味わいのある作品になっている。
しかし本当にそれだけの映画なのだろうか?
それだったらこんなふうに人物を正面と彼から取る必要があるのだろうか?
この映画の冒頭部分に注目すべきショットがある。穏やかな対応している主人公の背後で煙がもくもくと渦巻いているショット。このショットを我々は見逃してはならない。
人間の顔というものは感情を表現するためにできているのであるが、同時に感情を偽ることもできる。
この映画には「嘘」にまつわるエピソードが2つも含まれており、それは明らかにこの作品のテーマあるいはアンチテーゼを暗示している。まるで、この作品全体を通した「嘘」を見抜いてみよ…と挑戦されているようだ。私にはこの映画が、単なる人情物語だとは、どうしても思えない。
常に人物を正面からとらえることにより、だんだんとそれが人間ではないように見えてくるから不気味だ。この人は口ではこう言ってるし顔では笑ってるけども本当にそうだろうか…という不安に駆られてくる。人間が相手と心が通じたとか感動を共有したというのは実は稀なことであり、またそれも全面的ではなく1部分のことである。しかし、その一部が通じたということか、また人間にとって、とても嬉しいことなのだ。この映画の一場面一場面を見るにつけ、きっとこの登場人物は、こう考えてるに違いない…と考えてみる。私はこの映画をそのようにして味わってみた。
この作品は、小津安二郎の作品の中では3番目とか4番目に位置づけられているが、私はno1と推薦したい。

タンバラライ
きりんさんのコメント
2023年10月8日

自分のレビューを送信したあと、タンバラライさんのこの視点を読み アッと声が出そうでした。
「嘘」が2回出てきましたよね、
「煙突の煙」もなにか異様でした。
僕の感じた何か気持ちの悪いものが、この清潔にして聖潔と評される小津映画には隠されていること・・
同じ違和感を覚えた方がいらしたことへの驚きでした。

きりん