「お目出たい男 菊之助」残菊物語(1939) talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
お目出たい男 菊之助
歌舞伎が関わる映画はとても好きです。菊之助の着物姿、足さばき、着替え、羽織紐を結ぶ、墨染役の踊りと所作。花柳章太郎、見事としか言えません。可愛い女形さんで親友の福ちゃん(福助)役も素晴らしかった。関の扉の舞台、常磐津連中は八挺八枚?よく見えなくて数えられなかったが豪華絢爛!黒御簾から舞台の菊之助を見つめるみんなの目の真剣なこと!
この映画はおとくの自己献身で出世する歌舞伎役者の話です。おとくが健気で声も可愛らしい純な女なので悲恋ものに見えるけれど、溝口健二監督がそんな悲恋映画を作るとは思えない。
おとくの仕事であった「乳母」が面倒を見る対象が、赤ん坊から菊之助坊ちゃんという大人の男に変わっただけ。おとくは賢くて芝居を見る目もあり、ただ単に正直に菊之助の芸を批評した。それで菊之助は誰も言ってくれなかった言葉に感動してしまい、一方で音羽屋からは菊之助を誘惑して妻の座を狙ってると見られてしまう。おとくにとって最大の侮辱だ。だから大阪へもおとくは菊之助に同行せず一年後にやっと行った。坊ちゃんをあやして立派な鏡台を贈り、菊之助にチャンスを与えるきっかけを作り、見事仲間を唸らせる。そして若旦那は音羽屋にカムバッーク!結果、おとくは自分を排除した音羽屋を盛り上げる捨て石になった。おとくが一人名古屋から大阪の二階に戻って吐いた言葉は本心だろう。「あんな男と一緒に居るの 面白くなくなったのさ」
歌舞伎の家に生まれた子どもは大変だと思うが、男だけ。観客は圧倒的に女性、歌舞伎に関連する習い事をするのは圧倒的に女性。跡継ぎ産むのも女性(この映画で菊之助は養子。まだいい時代だったと思う)。その上に成り立つ歌舞伎や伝統芸能の世界。どうにかならないかと心底思う。
日本による中国侵略戦争が1937年に本格化し、戦争協力映画制作が政府から求められ検閲も始まった。男性本位の社会を告発する映画が得意な溝口監督はこの時代、芸道ものに打ち込むしかなかったのだろう。だから歌舞伎が好きでも両手を上げて喜べない。
おまけ
おとくが菊之助のことで誤解され暇を出されて身を寄せた親戚の家では菊の花を育てていた。その場所は、雑司が谷、鬼子母神。いいねぇ。すすきみみずくもどっかの場面で見えた気がする。
佐藤忠男(1982)『溝口健二の世界』(筑摩書房)。今回の溝口健二監督特集を見る前にこの本に出会うことができた。佐藤忠男さんの映画批評の奥深さと鋭さに改めて心が動かされた。映画批評に感動するってなかなかない。その希有な例が佐藤忠男さん。今年3月の訃報はショックだった。レビューの一部は上記文献を参考にしました。
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同じ日に「マリヤのお雪」(1935:80分)を見た。ここにあがっていない映画なのでごく簡単に紹介。監督:溝口健二 原作:川口松太郎 脚本:高島達之助 出演:山田五十鈴、原駒子、夏川大二郎、中野英治、梅村春子
モーパッサン『脂肪の塊』を川口が翻案した舞台劇が原作。時代背景は西南戦争中の熊本。官軍から逃げる馬車に乗り合わせる金持ち家族(6名)と二人の酌婦。家族は二人を悪し様に言い軽蔑する。お雪(山田五十鈴)は聖母マリアのようでもあり気っ風もあり強い。山田五十鈴の凛とした姿にはいつも惚れ惚れとする。いい台詞の多い映画だった。冒頭のお雪の言葉(大体)。「死にたいと思っても 寿命があれば生きるし。生きたいと思っても 寿命があればそうは行かない」
talismanさんへ
乳母のお徳の対象が、赤ん坊から菊之助に代わっただけとの御指摘や、彼女が彼の大阪行きにすぐに同行しなかった訳など、色々と教えて頂きました。
また、新しい気付きのために、talismanさんのレビューを楽しみにしております。