「1984年とは、どのような意味があったのか?」ゴジラ あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
1984年とは、どのような意味があったのか?
1984年12月の公開
1954年のゴジラから30周年の記念作品
前作の1975年公開のメカゴジラの逆襲から9年もの間隔があいた
怪獣ブームは去った
その間どんな東宝特撮映画があったのだろう?
SF映画は2本
惑星大戦争、さよならジュピターだけだ
後は東京湾炎上とかのパニック映画、連合艦隊などの戦争映画しかない
団塊世代はとっくに大人になって怪獣映画から卒業してしまったということだ
第二次ベビーブームは1971年~1974年で、そのピークは1973年であった
怪獣映画ブームを牽引してきた団塊世代は1970年代にはもう結婚して子供を産み始めていた頃だったのだ
怪獣映画とは何か?
1970年代に於いては、それは小学生をターゲットとする娯楽映画として定義されていたのだ
しかし1970年代というのはターゲットの小学生の客層が一番少ない時代でもあったのだ
そんな痩せてしまった市場に予算のかかる怪獣映画を出した所で失敗するだけというのは明らかだ
東映特撮シリーズは予算低下の中でその受け皿になっていったわけだ
なのに惰性で今までの通りの怪獣映画やウルトラシリーズのテレビを作り続けて行けば、ごく少数の例外を除いて粗製濫造に陥るほか無い
帰ってきたウルトラマン、仮面ライダーはその数少ない例外のと言えるだろう
それが1970年代の怪獣映画の置かれた現状であったのだ
そんな1970年代から1980年代の始めに、小学生から十代を過ごした世代もある
それは団塊世代の下の世代
団塊世代とそのジュニア世代に挟まれて、一番数が少ない世代だ
オタク第一世代とは彼らだ
シン・ゴジラを本作の32年後に撮る事になる庵野監督の世代だ
庵野秀明は1960年生まれ
本作の11年後の1995年からはじまる平成ガメラの特技監督樋口真嗣は1965年生まれなのだ
過去の栄光の時代の怪獣映画やSF映画、戦争映画アニメだけでなく、1950年代~60年代、そして彼らの同時代の1970年代の映像作品の名作の数々、SF小説の古典の名作の数々、軍事雑誌、戦記ものが彼らの前に出揃っていたのだ
それら全てを貪欲に吸収し、そのエッセンスを血肉としたのがその世代なのだ
だから彼らはそのような偉大な仕事ができたのだ
彼らの引き出しは守備範囲の広さと深さが桁違いなのだ
単に彼らがそれなりの年齢に達したからでも、持ってうまれた天才のひらめきだけでは決してないのだ
特別の才能を持つ人が、それを大きく開花させ得たのは、豊かな土壌に深く根を張って栄養分をふんだんに吸収していたからこそなのだ
やがて1980年代に入ると第二次ベビーブーム世代
つまり団塊ジュニアが小学生低学年に達し始めた
従来どおり怪獣映画とは小学生のものだと考えるなら、怪獣映画の季節がまたやってきたと捉えて当然だろう
だから1980年に「宇宙怪獣ガメラ」が徳間傘下となった大映から公開されたのも頷けることだ
しかし内容は酷いものであったし興行成績も散々だった
子供は一人では映画館には行けない
求められるのは怪獣映画で育った大人がその子供を連れてくるような映画なのだ
あるいは大人になりきれない青年や大人が観る特撮だ
つまり大人になっても満足できる特撮映画であった筈なのだ
「宇宙怪獣ガメラ」でゴジラ出て来いや!とばかりに挑発されても、その答えを東宝は1984年の本作まで出せなかったのだ
海外ではスターウォーズが世紀の特大ホームランでその答えをだした
しかし日本では惑星大戦争をはじめ答えを出すことに失敗していたのだ
その答えとは、オタクにオタクが喜ぶ映画を作らせることだったのだ
1980年では、団塊ジュニア世代はまだ小学生になったばかり
大人が満足する怪獣映画ではまだついていけない
つまりまだ早かったのだ
本作が公開されたのは1984年
その年、庵野秀明は24歳
1981年のDAICON 3の伝説のオープニングアニメで頭角を現し、1983年にはスタジオぬえに誘われてマクロスの製作に参加をしたり、風の谷のナウシカの作画に参加したりして、そのキャリアをスタートさせ始めていた頃
樋口真嗣はまだ19歳であった
彼は怪獣映画のファンがこうじて、本作が製作
されると聞いていてもたってもいられず、東宝の特撮スタジオに飛び込んで行ったのだ
本作の怪獣造形や、怪獣の着ぐるみの着脱補助からキャリアをスタートさせていったのだ
この二人が知りあったのも、その1984年のDAICON FILMの自主製作映画「八岐之大蛇の逆襲」でのこと
つまりオタク第一世代が、その素養の蓄積時代から、二次創作や自主製作の時代を経て、遂に作り手側として始動し始めたのが本作公開の頃であったということだ
このような中で1984年は訪れたのだ
団塊ジュニア世代は11才になる頃
怪獣映画や特撮映画アニメのターゲットの年代に達したのだ
大人も鑑賞に耐えうる怪獣映画の内容にもついてこれる
そして彼らが大学を卒業するまで10年以上あるのだ
機は熟した!
遂に東宝はゴジラの再製作を決意したのだ
ゴジラは既に何度かリブートを繰り返している
最初のものは1962年のゴジラ対キングコング
次はゴジラ対ヘドラ
しかし今回のはかなり大きいリブートであった
何しろ1954年のゴジラ第一作に直接つながり、それ以外のゴジラ映画は全て無かったことになっているのだから
本気でゴジラ映画を作る意気込みだったのだ
しかしまだ中途半端だ
旧来の怪獣映画の残滓を引きずっている
過去の怪獣映画のエッセンスを再構成し直して新しい時代の新しい怪獣映画とは何か?
その答えには至っていない
その答えが本当にでるのは本作以降になってからだ
特撮も中野昭慶特技監督で、川北紘一が担当するのは次回作からになる
その意味でも本作は昭和ゴジラシリーズから、平成ゴジラシリーズへの橋渡し、過度期の作品であったと思う
しかし本作がなければ、平成ゴジラ以降の作品は無論、シン・ゴジラも無いことになるのだ
であるならば、シン・エヴァンゲリオンも、シン・ウルトラマンまでも存在しないことになったかも知れないではないか
庵野秀明と樋口真嗣がDAICON FILMが発展したガイナックス設立に参画するのも本作公開と同じ1984年のことだ
その樋口真嗣は、本作の11年後の1995年に平成ガメラの第一作「ガメラ 大怪獣空中決戦」を製作するのは前述の通り
つまり、平成以降の特撮にとっても、アニメにとっても、本作が製作されたことは恐るべき巨大な影響があったということだ
1984年
それは、オタク第一世代、そしてその後に続く世代が、オタクがオタクとしての価値観で、オタクが観たい作品を作っていく、そんな新しい時代の幕開けの年であったのだ
クールジャパンに、そして現在につながる一連の作品が産み出され、世界的に評価されていくことになっていく
1984年公開の本作はその最初の狼煙であったのだ