「誰も満足しない怪獣映画になってしまった」怪獣島の決戦 ゴジラの息子 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
誰も満足しない怪獣映画になってしまった
1967年12月公開
つまりこの年の春に勃発した、怪獣映画代理戦争への東宝特撮の回答が本作だ
大映、松竹、日活のガメラ、ギララ、ガッパ
それぞれの作品を研究して、東宝特撮が対抗して勝利する作品を作らなければなならない
それが東宝特撮の回答になるのだ
もちろん7月にキングコングの逆襲を出しているが、期間が無さ過ぎる
対策はこの年末公開の作品でやることになる
まず監督と特撮監督の両方を本多猪四郎、円谷英二のゴールデンコンビを、それぞれの一番弟子の福田純、有川貞昌に交代している
世代交代は必要性なことだが、他社の一斉攻勢の最中の本作で行ったということは、他社の作品はたいしたことはない、新体制で十分対応できると東宝は考えたと言うことだろう
内容は日活のガッパの影響が強い映画になった
ガメラのような子供向けの要素はない
ギララのような宇宙SF色は全くない
ガッパの青春映画ぽいドラマに怪獣の子供を出して子供向け対策とするというアイデアを露骨に真似ている
つまり東宝特撮とはこれだというべきものは、そもそも無かったのだ
特撮ではエビラで挑戦した多肢の外骨格怪獣を発展させ、昆虫モチーフの着ぐるみでない繰演怪獣を出す新機軸を打ち出している
だが誰がこの内容で満足するのか?
青春映画ぽいドラマを大人が観に来るのか?
父ちゃん化したゴジラ、子供に媚びたミニラ
そんなものを子供が観たいと思うのか?
繰演怪獣は作り手からすれば新機軸だろうが、観客からすればどうでもよい
ようは怪獣が大暴れして子供が退屈せずに大人しく観てくれる怪獣映画を出せば良いのだ
それには応えていないのだ
誰も満足しない怪獣映画になってしまったのだ
1967年怪獣映画代理戦争は大映のガメラの勝利が確定したのだ
ハッキリ言って特撮技術が一番低いガメラが勝利したということは、日本の特撮映画のガラパゴス化をいよいよ加速させることを意味していたのだ