劇場公開日 2014年6月7日

「核 に揺さぶられた國だから作ることが出来る作品」ゴジラ(1954) 五社協定さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0核 に揺さぶられた國だから作ることが出来る作品

2014年5月20日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

泣ける

怖い

興奮

初見は平成4年・小学4年の秋に友達からWOWOWで放送した番組を録画したビデオを借りて。

但し、この作品に対する明確な感想を持つようになったのは二十歳を越えてから。

所謂、「SF」モノとか、「特撮」モノと言う視点ではなく、明確な「核の驚異に対する警鐘」とカテゴライズされた作品として観賞すると、心を強く揺さぶる“何か”がある。

戦後9年と言う歳月の流れが
「もう9年」ではなく、
「まだ9年」なのだと言う描写が其処かしこに散りばめられている。

ゴジラが東京を襲うシーンで、ビルの影で2人の子供を抱えた母親が
「もうすぐ、もうすぐ、お父ちゃまのところへ行けるのよ」
と涙ながらに語り掛けるシーン。

父親が「戦死」しており、戦後苦難の道を歩んだ母子が、「死ぬ」事で「天国で父と幸せに暮らせる」と読み解くのはゆき過ぎた感想かもしれないが、ゴジラの去った廃墟の避難所で母親だけが死んで子供が泣き叫ぶ姿は戦後世代には理解出来ない場面だろう。

“戦争を背負った”明確な状況説明がなくても、台詞の節々から、各人がどのような“戦後”を生きてるか解るのも“時代”だからだろうか。

その典型例が芹沢博士の存在だろう。

未来を嘱望されながら、ドイツ(?)で地獄を見た芹沢が作り上げた「オキシジェン・デストロイヤー」…

その後のゴジラシリーズと異なり、現実世界に即している作品柄、芹沢が当時の世界情勢から、絶対、「世に出したくない」と頑なに使用を拒否する姿勢、それは“戦争に翻弄された人間”の強い意思だと思う。

研究成果が「恐ろしい兵器」と結び付く事に対する拒否感があるから、二度と“戦争(=大量殺戮)を背負わない”為にも研究書類を全て焼却処理した上で、自らも生命を絶つ結果になったのだろう。

何より、「主役」のゴジラそのもの“戦争の記憶”であり、“核の時代の恐怖”である事自体が間違いない、年々、存在の意義が薄れて「怪獣の王者」化してしまったが、ここでは、完全なまでの「恐怖」である。

「都市破壊」の有無が特撮怪獣映画の醍醐味の様に語られるが、本作の“東京蹂躙”が痛快な都市破壊ではなく、空襲の悲惨さを思い起こさせる、恐怖に違いない。

ゴジラが去った街は空襲跡の廃墟と同じであり、乙女の祈りの歌をラジオの前で聞く姿は「玉音放送」を思い起こした観客もいるのではないか。

また事前避難に「疎開」を見いだす事も出来まいか。

ゴジラがオキシジェンデストロイヤーにより、東京湾の藻屑と化して骨になり、その模様を実況した池谷アナは「我々は勝ったのであります」と叫んだが、芹沢を知る人間の哀しみで終わるラスト、
ゴジラの死が単なるハッピーで出来事ではなく、核の時代を生きる人間の哀しみが切々と滲み出ている。

「水爆実験が繰り返される限りまたゴジラが…」と呟く山根博士の言葉が誠に印象的。

構想段階で山根博士は怪しい洋館に住む怪紳士だったとか…でも「筋」の通った学者でありながら庶民的であるのは、孤独でありながらも真面目な芹沢博士と合わせてゴジラシリーズ通して必ず登場する学者・技術者がマッドサイエンティストにならずに済む素地になったはず(芹沢博士の平田昭彦が後年演じた真船博士を除いて)

しかし、少々注目したい脇役たちがいる…

“戦争を背負う”の真逆に“戦後”を生きる人間たち

ゴジラの存在がはじめて公にされ、それを報じる新聞記事をネタに電車の中で会話するサラリーマンとOL、
OL「放射能雨だ、原子マグロだ、今度はゴジラだ、折角“長崎の原爆で命拾い”してきた体だもん」
サラリーマン「また“疎開”かぁ、全く嫌だなぁ」

この何気ない会話に戦後9年の短さと戦争を背負っている描写を見る事が出来るのに、

ゴジラが初めて東京湾で巨体を顕にする直前、このサラリーマンと長崎原爆体験のOLは船上ダンスパーティーで一杯飲んだのか凄く機嫌良く甲板で大笑いしていた。

其処に“戦後”を垣間見た感じがする。

後年、特撮作品の監督として認知される本多猪四郎監督も自らの悲惨な従軍体験から本作を作り上げたのだと一つ一つのシーンから読み取れる。

同じく後年、特撮映画の音楽監督のイメージが付いた伊福部昭氏の音楽も本作に関しては「ゴジラのテーマ」と後に「怪獣大戦争マーチ」と言われる楽曲を除くと悲壮感に包まれた曲が多いと思う。

本作品に関しては個人的には本編部分に目が行きがちであるが、円谷英二率いる特技(東宝特撮は特撮ではなく、やはり「特技」=特殊技術の呼称であるべき)陣の作り込みも凄い熱気と言うより試行錯誤の連続だったろう。

ミニチュアを派手に怪物が潰す映画がそれまでの日本映画になかったのだから。

本作以後18年に渡り、ゴジラの中に入り続けた中島春雄さんと、同じく本作のゴジラ・手塚勝巳さんは相当、重くて息苦しいゴジラをよくぞ、演じきったと賛辞を送りたい。

そして最後にこの「ゴジラ」と言う作品を思い付き、平成7年公開の「ゴジラVSヘドラ」まで常にスタッフロールの先頭であり続けた田中友幸プロデューサーの存在を軽々に扱うべきではなかろう。

製作と言う立場から算盤勘定で本作のヒットとシリーズ化を主導したが、
何より、脚本、撮影に関して絶対にお伺いを立てなければならない存在である事から、私個人の意見であるが、
“カメラの前に立たない時の意思を持ったゴジラ”=田中友幸
だったのではなかろうか?

田中作品のゴジラに全て共通する事象として、BADであろうと、HAPPYであろうと、「必ず物語を完結させる」点が挙げられる。

田中プロデューサー亡き後の後作は消化不良が残り、1度見たら2度見ようと言う気持ちが起きない。

田中友幸と言う意思を持ったゴジラが「ゴジラ」作品だと思う。

昭和29年11月3日公開、そして60年。

広島も、長崎も、そして本作の発端となったビキニ環礁で実施された水爆実験による第五福龍丸事件も、日本が核による被害を被った。

60年経った今、核は原発と言う形で身近に存在し、福島第一原発事故で再び、日本人は核の被害者となった。

何か、やりきれなさを強くゴジラを観て感ずるものがある。

五社協定