「制作時の時代を描くという説得力。」ゴジラ(1954) すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
制作時の時代を描くという説得力。
⚪︎作品全体
単純には比較できないけど、つい最近『ゴジラ-1.0』を見たからどうしても比較してしまうけど、戦後まもない日本を描くという点で、本作と『ゴジラ-1.0』は共通項がある。しかし、この2作品の決定的な違いは時代を描くことの説得力だと思う。
『ゴジラ-1.0』では、登場人物の思想や街並みを再現しなければならないのに対し、本作はその場にいる人物、街並みが、そのまま「時代を描く」ということになる。何気ない立ち振る舞いや風景に溢れる、敗戦の残り香。そしてそこに襲いくるゴジラの絶望感。辛く苦しい戦争を耐え抜いた後に「またか」と辟易しているような街の人々の姿は、当時の人間だからできる表現だろう。
それが巧く表現されていたのは電車内で話すモブの人物。放射線を振り撒くゴジラという脅威に対し、「戦争が終わったばかりなのに」、「長崎から逃れてきた体なのに」とうんざりしながら話している。彼らにとって未知数の災厄は初めてではなく、ましてや歴史上の話でもない。つい数年前に終わった第二次世界大戦という身近な災厄を経験しているからこその、力の抜けた危機感がそこにあった。
だからといってゴジラがやってくるという作劇上の危機感が下がるわけではないのが巧い。人間がぐずぐずしている間に被害は拡大するし、ゴジラが現れた跡には放射能を残す。放射能を測るガイガーカウンターの使い慣れた感じや、放射能を当然のように恐れる人々の姿も自然に描いているのが素晴らしい。この時代において超常的な災厄がどれだけ身近にあるのか。それをこれほどまでに違和感なく表現できているところに、本作の説得力を強く感じた。
ゴジラの性質の曖昧さや世捨て人のような博士を犠牲にするラストに少しモヤっとするところはあれど、ゴジラのような災厄と日本人の距離感の描き方は本当に素晴らしかった。
⚪︎カメラワークとか
・ゴジラ出現の原因を水爆実験であると主張する尾形教授のカットはカメラ目線。カメラの向こうまで訴えかけるような水爆実験への非難。
⚪︎その他
・初代ゴジラは白目が大きくてちょっとかわいい。
・被害抑制よりゴジラ研究を優先しようとする尾形教授が考えを変えた理由がイマイチわからなかった。
・溶解する鉄塔、今見てもすげえってなる。薙ぎ倒すでも折るでもなく、溶かすというアイデアがすごい。