「このORIJINを超えるものは作れまい」ゴジラ(1954) とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
このORIJINを超えるものは作れまい
シンプルな人間ドラマ。明確で力強く突き刺さるメッセージ。
1954年3月に起きたビキニ環礁での核実験。
それに巻き込まれた第五福竜丸の被爆事件の悲劇+汚染マグロ等の風評被害。
(1954年9月23日に、第5福竜丸の久保山愛吉無線長が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して亡くなった)
この映画からわずか9年前の東京大空襲。
(大空襲は各地でも被蓋にあった)
広島・長崎の原爆の悲劇。
戦争の爪痕の記憶が久しいうえに、またもアメリカ等の核の恐怖が呼び起こされる。
1952年にはGHQは廃止されたものの、
この映画の10年後(1964年)には東京オリンピックが開催されるものの、
スカイツリーどころか、東京タワーもまだなく(1958年竣工)、
新幹線だってまだまだ(1964年)で、
まだ復興途上。
当時の世相。
これらがベースになっている物語。
ドキュメンタリーのようにとった部分と、怪奇物の演出を取り入れた部分の融合。
(徹底的にリアルにこだわった部分、
恐怖を煽る音楽、楳図かずお氏の漫画かというような河内さんの大仰な演技等、恐怖におののくさまや被害の概況はリアルに見せるのに、その恐怖の実体はなかなか見せない等の演出)
宝田氏は、ニューフェースらしい「存在がさわやか」という立ち位置で、この重苦しい映画の一種の清涼剤。
河内さんの可憐な佇まいもこの重苦しい映画での華。それなのに、わざと?随所で見せる大仰な演技。
芹沢博士の出で立ちも怪奇物を踏襲。そこに平田氏が悩める若き科学者の繊細さと影を添え、物語がどう動くか、ドキドキさせてくれる。
(芹沢博士の研究室も、怪奇物ぽさ全開)
新吉の朴訥さ。
田辺博士の、らしさ。なのに、意味ありげに、意味不明な画面の隅での佇まい。不思議な存在感。
この映画がフィクションであることを思い出させてくれる。
それでも、
避難者・被災者の様子がリアル。
次々に破壊される街の様子が徹底的にリアル(Wikiによると、銀座の街を実際にロケハンしてsizeを測ってミニチュアを作ったそうだ)。
(崖から、ビルから覗くゴジラの怖さ。炎をバックに、ビルの向こうに見えるゴジラの美しさ…)
スーツアクター・中島春雄氏は、動物園に通って動物の動きを研究し、ライオンの持つ威圧感に、クマの直立する動き、ゾウの脚運びを参考にしたそうだ(Wikiより)。
志村氏の、根底に怒り・悲しみを秘めた演技。
国会での、情報を開示すべきか、秘すべきかの論争。ー戦争についての正確な情報を全く知らされないままに参戦させられたことへの怒りをここに見るのは、読みすぎか?
TV塔アナウンサー役の橘正晃氏の危機迫る演技。
音楽や効果音で煽られる危機感・高揚感。
静かに力強く響く鎮魂・祈りの歌。
企画から公開まで半年くらいの短期間に作られた映画なのに、それぞれの知恵と己の力量を最大限に投じられている。
なんだかわからない恐怖・困難がじわじわと迫ってくるドキドキ感。
今の災害情報の先取り?自然に?突然に的確にスイッチの入るTVとラジオが伝えてくる惨状。
見せるときにはとてつもない破壊力パワーが炸裂する。
そしてなすすべのない絶望感に叩きのめされるシーンへと続く。
その緩急。
と、演出・映像・音楽等々、一級品であることを褒め称える事柄は枚挙にいとまない、
とはいえ、この点だけでいえば、今後、この作品を超える映画が現る可能性はある。
けれど、この映画に関わっていた人々の思いは超えられない。
この映画から、とてつもない怒りを感じるのは私だけであろうか。
DVDのコメントで伊福部氏が「テクノロジーの技術の圧倒的な差で、日本はアメリカに負けた。そのテクノロジーが、原始的な生命体のゴジラにはなすすべない。気持ちよかったですね(思い出し引用)」とおっしゃる。
終戦間際は、宮内省帝室林野局林業試験場にお兄様と同じく戦時科学研究員として勤務され、放射線による航空機用木材強化(木材!!!)の研究に携わって(Wikiより)いらしたから余計にそう思うのだろうか。
伊福部氏と同じように思うかどうかは別にして、この映画の製作者も、公開時の観客も、皆”当事者”だった。圧倒的な破壊・惨状。命の危険。状況への怒り。恐怖。生き残った者としての責務等様々な気持ち…。何らかの形で戦争の傷を負い、この映画に思いを託していた。ある者は、戦争を早くに忘れて、復興にまい進したとしていても。
鎮魂・祈りの歌を歌う音楽学生も。だから、あんなに心に響くのだろう。
「核反対」「戦争反対」と頭で考える私たちとは違い、体験・心の底・魂からの訴え。
ましてや、核の本当の恐ろしさを知らないアメリカなんぞがこのメッセージを語るとしたら、単なるコピーにしか過ぎない。
体験したものにしか伝えられない迫力。それを、明確なメッセージ・思いとともに、史上最高なエンタテイメントとして昇華させた作品。
息詰まると、実際の生活を破壊する代わりに、この映画を見てすっきりしてリセットするとともに、
山根博士のラストの言葉を深く胸に止め、人為的なこのような破壊を二度と起こさないよう、何ができるのか。
この映画を見るたびに考えてしまう。
《蛇足》
Wikiによると、のちに、手塚治虫先生・水木しげる先生・淀川長治先生、小津監督が絶賛したものの、最初はジャーナリズム系では不評だったそうだ。その中で三島由紀夫氏だけがドラマ部分も含めて絶賛したのだとか。
手塚先生・水木先生・淀川先生・小津監督がこの映画を観るのは納得するが、三島氏も観ているとは。私の中で、三島氏のイメージがちょっと変わった。
(美輪明宏氏や坂東玉三郎氏をいち早く認めたのも三島氏と聞く。絶対的な己の美意識の持ち主。そんな方に『ゴジラ』は認められているんですね)
戦時中に仲間がどんどん死んでゆく様を目の当たりにしていた当時のクリエイターたちが、どんな願いを込めてこの映画を作ったのかを考えると、息苦しさすらおぼえます。
琥珀糖様
コメントありがとうございます。
琥珀糖様のレビューが見つからなかったので、こちらに返信します。
本当に、この映画、力作ですね。打ち震えます。
これからもよろしくお願いします。