午後の遺言状のレビュー・感想・評価
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懐かしい
当時の時代背景を盛り込んで結構なヒットを飛ばしたと記憶している。
ただ当時の若かった自分(ハリウッド史上主義的)には「なんだこの内容は」とたいくつに感じられた。
だが歳を取って観るとなるほど、こんな前から問題提起してたか?と思う。
なにしろ御大の新藤兼人が撮る作品はいつもこうなのだ。
小手先の言葉など使わせずストレートに色々セリフで言わせる。
裸だって惜し気もなくみせる。
人間の生臭さを、生を、性をさらけだしてみせる。
精神を病んだ強盗のゲートボール嫌いは多少はなるほどと思えるし、芝居がかった警官、マムシ捕まえてる松重豊(笑)民宿の男性、海辺の少年と妙に記憶に残る。
名演技とは思わないがどこか変な彼らは記憶の端に引っかかるのだ。
監督は高齢者にやりたいように生きろと伝えたかったように思う。
新藤監督の作品は大概、失われつつ何かをテーマにしているが、この作品公開の頃はバブル期終了でまだ世の中もフワフワしており、認知症の社会的な認知度がボケてきたの一言で済まされていた時代である。
そんなものに囚われたくないと夫婦揃って死を選ぶ…トコトンまで女優で生きる…。
この監督のメッセージを死ぬまで足掻いて生きろ!と私は受けとる事にした。
監督の想い。
二人の老女のひと夏の出来事。そこに老夫婦が絡む。
たった数日のうちに、人生をひっくり返すような事件が起こり、告白があり。
重いテーマを扱いながら、悲しい出来事もあるのにどこかコミカル。淡々と進む。
「さっき、言ってた」となぜか繰り返す台詞があったり、相手の話をスルーしているようにみえる会話もあったりするが、通してみると、しっかりコミュニケーションが成立しているところが日常会話あるあるですごい。
正直、初見では、どこが、絶賛される映画なのかわからず。
映画に引用されるチェーホフの『かもめ』や『三人姉妹』を知っていたら、もっと理解できるのかな?
けれど、この映画が乙羽さんの遺作と知ってから見ると、その一つ一つの台詞が胸に響いてくる。
乙羽さん、杉村さん、朝霧さんの実人生を彷彿とさせるところもあって、脚本を書いた監督が、この台詞を映画の中で言わせたことに驚いてしまう。言わされる役者もどんな思いでこの言葉を発したのだろうか?実生活と役柄をごちゃまぜにしていたら役者なんて続けられない。切り離しているのだろう。でも、実感を伴わない演技では、鑑賞者の心を打つことはない。
高齢の杉村さんの為に企画された映画。
でも、杉村さんより年下の乙羽さんが癌に侵されて余命僅かなことがわかる。乙羽さんもご存じだったのか?夫である監督や息子である製作者は当然知っていたであろう。砂浜の場面では立っているのもやっとだったと聞く。杉村さんも知っていたのか?容子が泣き崩れて座り込み、それを気遣って豊子が座る場面の自然さ。でも、杉村さんが乙羽さんを気遣っての演技と見るのは、意味付けのし過ぎか?
築地小劇場。杉村さんが女優人生を始めた場所。そもそも、この役柄が杉村さんの存在と被る。特に、Wikiにある中村メイコさんとのやり取りを踏まえると、胸に刺さってくる。
実生活でも夫に献身的に尽くした朝霧さん。
実生活でも不倫状態が長く続いた乙羽さん。乙羽さんご自身は子どもを産むことはなかったが、監督と作り出した映画の数々が子ども?とはベタすぎるか。
そして認知症。高齢ならば、いつでも背後に忍び寄る影。
その一言一言が、大俳優4人+監督の”遺書(生き様)”のように聞こえてくる。
なんて映画だ。
どう生きてきたか、生きるか。普遍的なテーマ。監督の、この時点での一つの答え。
と同時に、90年代を強烈に意識させてくれもする。
老人性痴ほう症と呼ばれていた頃の雰囲気そのまま。認知症と呼び名が変わった今なら、もう少し介護しながらの生活の仕方はあると思う。尤も、老々介護の悲劇は今も起こっているが。
肩パットの入ったジャケット。懐かしい。
そして、松重氏の大根さ(わざと?)が可笑しい。
内野氏は、顔もはっきり映らない。
そんなところもクスっとしてしまう。
「八月の鯨」がまた観たくなった
老いについての思いや深刻な話を、
時にはユーモアを交え、上手く集約して
みせた脚本は見事というしか無い。
ただ脱獄囚と警察に関するエピソードが
長すぎる感があったり、
倍賞美津子の記者のカメラシーンが
目立ち過ぎてうるさくと感じたり、
海からの棺桶シーンをもう少し幻想的に
描いて欲しかった等々、
気になる点はいくつかあり、
より主役2人の描写に焦点を絞って
欲しかったとの印象は持った。
しかし、老いに関する邦画の中では、
名画中の名画で、
また観る機会はありそうだし、
リリアン・ギッシュとベティ・デイヴィスの
「八月の鯨」がまた観たくなった鑑賞にも
なった。
棺おけの最後の釘を打つ石
留置所からの脱獄囚が現れ、老人性地方症の登美江が撃退してしまう。警察に表彰され、最後の食事を楽しんだ後、牛国夫妻は旅立つ。
娘朱美の父親は、実は森本であると衝撃の告白を受け、戸惑う蓉子。朱美の結婚が近いということで実の父を告白するかどうかで議論する二人。2日後に足入れの儀式があるというので、帰りたくなった蓉子も見学に行く。この儀式が笑える。
冒頭で登場する、“棺おけの最後の釘を打つ石”が最後まで伏線となっているところがストーリーを綺麗にまとめている。途中までは、ボケと老人の死についてばかりが強調されているような気がしていたので尚更だ。唐突な出来事と揺れ動く老人たち。時折笑えるエピソードで和ませてくれた。
音羽信子が遺作。杉村春子も2年後に死亡。朝霧鏡子も4年後に死亡。そんなことを考えてると、元夫である新藤監督は予期して作った映画だったのだろうかと、ふと考えてしまう。
日本映画の金字塔のひとつに間違いありません
圧倒的な感動、本当の名作です
テーマは誰もにも必ず訪れる老いと死
超高齢化社会に突入した日本が無視できない
必ず向き合わないとならないシビアな現実です
さらに認知症と老々介護という極めて現代的な問題を真っ正面から扱ってアグレッシブですらあります
能の稽古でアカンという台詞
そうかアカンか…という2006年に京都で起きた認知症介護の悲劇を予言すらしているのです
優れた脚本、配役、演技、演出、撮影、音楽
何もかもパーフェクトでした
流石は新藤兼人監督です
感動と敬服しかありません
主演は杉村春子、助演が乙羽信子で、役柄を逆にしたのは何故と序盤で思ってしまいがちですが、なるほどという膝を打つような見事な配役です
あのガサツな杉村春子が大女優役で派手な衣装を纏って登場、高齢にもなり最初は彼女と気付かない程
しかし、だんだんとバシバシ、ズケズケと話し出して成る程彼女にしか出来ない役だと大納得です
監督のお気に入りの乙羽信子も、成る程という配役の理由がありました
ゲートボールに興じる老人達を鉄バットで襲って否定してみても老いは確実に訪れるのです
逃げ回ってみたところで必ず捕まるのです
だめ押しに列車で護送されるところにまで、見たくない老いの現実は追いかけてくるシーンまであるのです
そう、その脱走犯は団塊の世代の年代で設定されているのです
ゲートボールは川島透監督の1981年の映画竜二からの引用かと思います
終盤の赤い風船は深作欣二監督の1975年の映画仁義の墓場のオマージュではないでしょうか
飛んで行く彼女の無垢な魂です
段取りよく終活するのも良いでしょうが、死に急ぐことになっては本末転倒です
2500万も残して、心体健康で仕事もこなしていた
ろくべえは恥ずかしくなって、彼は黄泉の国から逃げ帰ってくるのです
黒子達が棺を担いで海から浜に揚がってくるシーンの意味はそれだと思います
そしてラストシーンで丸い石は小川に水しぶきを上げて捨てられたのです
素晴らしいカタルシスの瞬間でした
日本の明るい未来への視線も、娘の足入れ式の祝いのシーンとともに、バイクに2人乗りで空港に向かって疾走するシーンは新しい世代への期待が込められています
日本映画の金字塔のひとつに間違いありません
しかしあの娘夫婦も今はもう50歳と48歳
もう子供を産めない年齢です
何人の子供をあの夫婦は産んだのでしょうか?
本作公開からもう25の年月が過ぎ去さり、深刻さはさらに深く進行しているのです
世代も入れ替わってしまいました
老いと死を受け入れられなかった脱走犯の世代が主人公達の世代になったのです
しかしリメイクは無理かも知れません
本作はあまりにも完璧過ぎて、物語を時代に合わせたところでこれ以上に展開して掘り下げる余地があるとも思えないのです
第一、足入れ式をやる若者達が田舎に揃うこと自体が現実味を失ってしまい兼ねません
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