銀座二十四帖のレビュー・感想・評価
全3件を表示
本作が日活の無国籍アクション映画の始祖だと思います
銀座二十四帖
1955年、昭和30年、日活白黒作品
川島雄三監督、若き日の今村昌平が助監督を務めています
二十四帖は「にじゅうよんちょう」と読みます
銀座は八丁目まで、それが朝、昼、夜で二十四というわけです
つまり、銀座の隅から隅までを朝昼晩の全てを紹介しますという意味です
といいつつ、多摩川の新田銀座が序盤に映ります
ここに主人公のコニーという花屋の男性が住んでいて、銀座まで通っているのです
今の東急多摩川線武蔵新田駅辺り
戦後すぐ「州崎パラダイス赤信号」の江東区州崎から業者が来てこの辺りにカフェー街を作ったそうです
カフェー街といっても今のようなインスタ映えを競うようなものでなく、早い話が売春を伴う歓楽街です
1957年の売春防止法の施行を見越してのことと、羽田に進駐軍が駐屯した地の利も見越してのことでしょう
本作で描く垢抜けてどこか外国のような銀座が、そこいらにある観客の身近な銀座とは遠い世界ではない地続きであることを説明しようとしたものでしょう
日活の無国籍アクション映画の始まりです
こうした映画を受け入れてもらえる為には、こういう工夫が必要だと思われたのでしょう
すぐ場面は本物の中央区銀座に変わり、お話が始まります
それもコニーがオート三輪で武蔵新田から第二京浜を走って銀座に向かうシーンを挿入します そうすることで地続きですよと説明している訳です
敗戦から10年後の銀座です
瓦礫など戦災の跡形はすでになく、明るく綺麗な街並みになっています
真白く新しい大きなビルも見えます
鉄筋コンクリート造りです
戦前、戦中や戦後の混乱期の暗い世情は影も形も残って居ません
というかわざとそういうものを写していないのです
当時の観客が外国映画で観る憧れの光景を銀座で再現しようとしたのだとおもいます
東京の銀座だってこんなに復興して外国にだって負けない街になったのだと背伸びした映画です
その意味で本作が日活の無国籍アクション映画の始祖だと思います
お話はヒロインの月丘夢路が15年ほど前というから戦前満州奉天で少女時代に描いてもらったポートレートの画家をコニー役の三橋達也の力を借りて探すというもの
銀座は今も昔も画廊の街でもあります
月丘夢路の姪役の雪乃は北原三枝です
素晴らしいスタイルです
劇中のミス平凡の司会の水の江瀧子は後の日活無国籍アクション映画で辣腕をふるった泣く子も黙る名物プロデューサー本人です
公開当時40歳です
20歳の頃は男装の麗婦人として既に大スターでした
宝塚の娘役大スターの月丘夢路が当時の彼女の楽屋を訪ねたときににはガタガタ震えたほどの大スターでした
太陽の季節の大ヒットでその地位を得るのは翌1956年のこと
本作ではまだプロデューサーではなく俳優てましかなかったかもしれませんが、映像や衣装、ロケ地の選定などは彼女の好みであると分かります
北原三枝がサブリナパンツを穿いているシーンのセンスは流石水はの江瀧子です
1954年公開の麗しのサブリナで一躍ブームになったオードリーヘップバーンが履いていた短い履いパンツのことです
またラスト近くに地下鉄の風で本作と同年公開の「七年目の浮気」でのマリリン・モンローのスカートがめくれあがるシーンのオマージュがあります
平凡というのは、出版社の平凡社のことで、戦前から続く大出版社
今のマガジンハウスです
本作公開前年に
百科事典の刊行を始めて大当たりをしていたそうです
キャバレーオペラの部屋で映写していたのは恐らくご禁制のエロだと思います
ヒロポンは覚醒剤のこと
ノアール映画でもあまりに露骨にそういうものを見せない匂わせないのは後の日活無国籍アクション映画でも同じです
70年も昔の銀座や、大阪の各地が映ります
これもまた楽しい限りです
終盤新橋駅が写ります
新聞スタンドのビラ、プラットフォームでの創立されたばかりの自衛隊員の万歳シーンなど
観客を、無国籍アクション映画から現実に引き戻すシーンをわざと挿入してからエンドマークがでます
これもまた必要なことだと監督は思ったのでしょう
森繁
全3件を表示