劇場公開日 1982年6月5日

「鬼政のように倫理観の薄い甘えた男は今でも日本の男性リーダーに多いのでは?」鬼龍院花子の生涯 jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)

1.0鬼政のように倫理観の薄い甘えた男は今でも日本の男性リーダーに多いのでは?

2025年4月21日
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貧しい生まれから力でのし上がってきた荒くれ男の鬼政。彼はなにしろ自分の欲望に忠実です。家族も部下も力で抑えつけます。複数の妾を家に同居させ好き勝手。倫理観も欠如しています。

恩義のある権力者、須田(丹波哲郎)に電車のストの仲裁を頼まれた鬼政。スト指導者(田辺恭介:山本圭)にあんたは「飼い犬」だと喝破され、カッとなってタコ殴り。「怪我をさせるな」と指示されていたのに。でもその後なぜか仲良くなって「資本家を倒せ!」と息巻いて一緒に酒盛り。で、その男を花子(実の娘)の婿にしようと画策。花子じゃなくて松恵(血縁のない娘)をくれと言われカッとなっていきなり指詰め。さらに松恵の処女を自分が奪おうと襲いかかる。なにしろやることなすこと行き当たりばったりです。

須田に叱られたら一人で出かけていって土下座謝罪。それでも許されなかったら「今日をかぎりに鬼政、きっぱりと飼い犬の身分、返上いたしますきに!」と威勢よく啖呵を切ったあげくにノープラン。子分どもに「どんな汚い手を使ってもいいから、一人100円ずつ集めてこい!」とほざく始末。妻が重病にかかっても医者の指示に従わず入院もさせず。やることなすこと自分本位。自分はヤクザじゃなくて「侠客」であると口にする鬼政ですが、その生き様には品性の欠片もありません。

松恵と夫婦になった田辺恭介は義理の父となった鬼政を評して言います。「あの人には飾りがない、ひたむきで純粋だ、だから強い、だから強いんだ…」飾りがないというのはいいとしても、ひたむきで純粋というのはちょっとどうなのか。無理やり指詰めさせられた恨みは忘れたのか。もうわけがわかりません。松恵も松恵で、鬼政とサシ飲みで和解し、殴り込みに行く際には身支度の手伝い。無理やり犯されそうになった恐怖は忘れたのか。「なめたらいかんぜよ!」という松恵の決め台詞は、結局彼女の本質は鬼政であるということか。鬼政周囲の人間はみんなひどいことばかりされて来たのに、いつの間にか鬼政大好きになってしまう不思議。結局鬼政を裏切ったのは溺愛されていたはずの花子だけでした。

宮尾登美子の原作は未読ですが、本作の鬼政は自分の欲望に忠実で、すぐ暴力に訴え、短絡的で、あけっぴろげで、規範に縛られない、「どこか憎めない男」として描かれ、仲代達矢が大熱演しています。鬼政はまるで子どもがそのままおっさんになったかのような男です。多少周囲に無理を言ったり乱暴を働いたりしてもどうせ許してくれるだろう、泣き寝入りしてくれるだろうという、甘えの心理が透けて見えます。倫理観の薄い甘えた男鬼政の生き様を、本作はどこか肯定的に描いています。日本人は割とこのタイプの男性に好意的です。古いタイプの日本人男性リーダーには時々いるタイプです。今でもフジテレビなどに。しかし男の甘えほどみっともなく、はた迷惑なことはありません。鬼政も、客観的に見るとただの横暴な父親であり、無能なボスでしかありません。ニューヨークマフィアの男たちから見たら「やっぱり日本人は頭おかしいw」と言われそうです。ゴッドファーザー公開以降、すべてのボスたちはヴィトーと比べられる運命にあるわけであり、当然勝てるわけがありません。本作はゴッドファーザーから10年遅れた1982年の公開です。二人のボスを比べて見ました。

①生年:鬼龍院政五郎(通称・鬼政:仲代達矢)は1872年生まれ、ヴィトーより約二十歳年上になります。
②享年:鬼政は開戦直前の1939年に67歳で獄中死、ヴィトーは1955年に庭で病死、享年64。
③本拠地:鬼政の活動場所は高知、ヴィトーの本拠地はニューヨーク。
④家族構成:鬼政には義理の娘一人(松恵:夏目雅子)、実の娘(花子:高杉かほり)一人いますが、ヴィトーには三男一女があります。
⑤事業継承:鬼政は組織の存続に失敗し、一家は一代限りで消滅。一方ヴィトーは三男に跡目を継がせます。
⑥行動方針:鬼政は自分の欲望優先、家族も犠牲に。ヴィトーは信頼優先、家族を大事に。

jin-inu
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