「「蒲田行進曲」の歌の意味」キネマの天地 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
「蒲田行進曲」の歌の意味
1986年公開
1936年の松竹大船撮影所開設から50周年を記念しての映画です
本作の題名はもちろん「蒲田行進曲」の♪虹の都 光の港 キネマの天地~の歌い出しの歌詞から採られています
この歌が全編の各所で流れ、ラストシーンでは主人公がお祭りのステージで歌います
もともとは1925年のブロードウェイで初演されたオペレッタの劇中歌だったそうです
それに日本語の歌詞を付けたものが1929年の松竹映画「親父とその子」主題歌となります
レコードが発売されたところヒットして、とうとう松竹蒲田撮影所の所歌になったという歌です
しかし現代ではどちらかと言うと1982年の映画「蒲田行進曲」の主題歌として記憶されています
その映画に出演した松坂慶子・風間杜夫・平田満の3人によるカバー盤がオリジナルみたいになってしまってます
その映画は現代の撮影所が舞台の映画ですし、
「蒲田行進曲」の映画自体、松竹の作品です
ですからその曲を主題歌に使うことにはなんの問題もありません
しかし実は感情的な問題があったのです
その映画の監督は東映の深作欣二、撮影所は東映の京都撮影所なのです
そもそもその映画での撮影所のお話は東映のそれが描かれているものなのです
原作者のつかこうへい、角川映画、東映、松竹
この四つ巴での紆余曲折で、松竹の配給でありながらこうなってしまったという、いわば映画界の珍事件の作品なのです
なんで松竹のシンボルの歌が、松竹の配給であっても実質他社の撮影所の映画で使われているんだ?
松竹の生え抜きの人々ならそう寂しく思ったことでしょう
そういうことで本作が製作されたというわけです
だから本作は純粋な松竹の、松竹による、松竹の映画なのです
いわば「蒲田行進曲」を取り戻りもどさんとしたレコンキスタであったのです
それ故に松竹大船撮影所50周年記念映画でそれをやること自体に意味がある訳です
内容は松竹映画を総括する映画
それも蒲田行進曲に合わせて蒲田撮影所時代をメインに据えて、大船撮影所が設立されるまでを描くもの
なかなか難しいと思いますが、見事な脚本でこの課題を完璧に達成しています
松竹の総力を挙げての作品と言えると思います
山田洋次監督がこの映画を撮ることになるのは当然でしょう
松竹大船50年の歴史となれば寅さんも触れなければなりません
寅さん映画恒例の冒頭の夢シーンのような立て付けの配役がお見事です
映画が終わってそのまま寅さん映画の本編が始まってもシームレスにつながってしまうのですから!
寅さん映画の盆と正月の興行が渥美清の体調不良により正月のみの興行に移行する年のお盆映画として、本作が寅さん映画の番組枠に入ることまで考え抜かれているのですから恐れ入ります
大昔に観た時は、単にそこそこ面白い映画ぐらいにしか思いませんでした
ふーん、昔の撮影所の雰囲気ってこうだったんだなー
そのくらいの感想でした
その頃は田中絹代も、小津安二郎も大して知らず
そんな退屈な映画のどこが面白いのなんて思っていたくらいだったのです
城戸四郎の名前なんて知りもしませんでした
でもそれから随分年月も過ぎ去って、その間に自分なりに沢山の映画を観てきました
気がつけばいつの間にか昔の松竹の映画が好きになって、田中絹代は一番大好きな女優になっていて、小津安二郎監督も大好きな監督の一人になっていたのです
超ひさびさに観ると、このエピソードはあれ、この人物のモデルはこの人と、どんどん元ネタがわかるようになっていました
主人公の田中小春が鰻屋の女中になって小津安二郎監督がモデルの監督からダメ出しされるシーンがどれだけ面白いのか、昔の自分にはさっぱり分かっていなかったのです
それが分かるようになったらどうでしょう
小津安二郎監督の帽子や服装、体型、話し方
まるでモノマネそっくりショーだと腹を抱えて笑ってしまうようになっていたのです
カメラの位置は座机すれすれのローアングル
細かい演出指導ぶりなどの見事な再現ぶりが可笑しくて仕方ありません
劇中で完成して上映されているその白黒映画のシーンは構図から間合いまで完璧な小津安二郎の映画の再現になっています
これがまたおかしくておかしくてたまりません
劇中の大スター川島澄江が恋の逃避行をするエピソードは、岡田嘉子の大事件がモデルです
岡田嘉子は1938年の正月に不倫相手と樺太国境を越えてソ連に亡命したのです
彼女は1972年一人で帰国、いくつかの映画に出演します
「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」もそのひとつです
そして本作公開と同じ1986年ソ連へ帰国しているのです
本作とそれが何か関係があるのかないのかは分かりません
田中小春が主演に抜擢される大作映画の題名は「浮草」
1959年の松竹の同名映画がモデルです
もちろん小津監督作品
舞台は同じ伊勢志摩みたいですが、ストーリーは似ているようでまるで違うようです
ロケ光景のシーンでは監督がカメラを屋根に置いて張り切って撮っているシーンがでてきます
あれは高所から撮影をしない小津監督が唯一そうした映画であるというエピソードを知っていると笑い転げてしまう仕掛けな訳です
このように時系列や時代を多少いじったり、エピソードを改変したり合成したりして松竹大船撮影所の50年の歴史を総括していたのです
つまり本当の主人公は松竹大船撮影所だったわけです
本当に見事な脚本です
主演の有森也実の演技も良く、劇中映画のクライマックスのオーケーシーンはなんか感動してしまいました
その松竹大船撮影所も映画の斜陽化で、縮小を余儀無くされ、1981年には一部の敷地が切り売りされてイトーヨーカ堂大船店などになり、1995年にはさらに「鎌倉シネマワールド」の敷地になり縮小されていきます
しかしそのテーマパークも、バブル崩壊と渥美清の死去で「男はつらいよ」シリーズ終了のダブルパンチで入園者は激減、1998年にわずか3年で閉園してしまいました
そしてこのように縮小されながらも存続していた撮影所自体もとうとう2000年6月30日閉鎖されてしまったのです
もう22年も昔の話です
キネマの天地であった松竹大船撮影所は今はもう跡形もなくなってしまいました
イトーヨーカ堂とブックオフのあいだの道が松竹通りというそうで、その名前だけしか名残は無さそうです
本作では松竹蒲田撮影所が舞台となっています
こちらも今は跡形もありません
蒲田駅から徒歩3分のところの大きなビルの前の小さな公園に松竹映画発祥の地という説明板と本作の撮影用に作られた小さな松竹橋が移築されてあるのみです
♪虹の都、光のみなと
映画は幻影そのものです
撮影所もまた幻影のように消え去ってしまいました
でもそこで作られた映画は永遠です
自分のように蒲田も大船も知らない世代のものが、夢中になってその頃の映画を観てきたのです
これからも21世紀生まれの世代の映画好きが蒲田や大船で撮られた映画の遺産を受け継いでファンになっていくに違い有りません
今は本作を大して面白くもない映画と感じた人も、きっといつしか大昔の松竹映画のファンになり、いつの日にか本作を感激してまた観ることがあるのだと思います
それが永遠につづいて行くのだと思います
それが本作が伝えようとしたテーマなのだと思います
「蒲田行進曲」を松竹に取り戻すなんてきっかけにすぎなかったのです
あき240さん、こんにちは。本作と「キネマの神様」がごっちゃになってました。二作ともまだ見ていないのに。田中絹代や小津など松竹の世界なんですね。「浮草」は京マチ子と翫治郎のですよね。高所からの撮影はあの場面かな、と考えるだけで楽しくなります。