機動警察パトレイバー2 the Movieのレビュー・感想・評価
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日本は幻想からいまだに醒めてない
この映画の公開が90年代前半で、PKOで自衛隊が死ぬところから物語が始まるわけだが、当時のアニメ映画は、現実の社会問題をそんなにダイレクトに反映していたのだと、改めて見直して驚いた。ちょうどPKO派遣問題と憲法解釈問題が大きく議論されていた時期にその議論のど真ん中を行くような内容だ。
日本の戦後の反映は結局アメリカの核の傘のおかげで、世界にある戦争の現実に向き合わずにすんだから達成されたにすぎない。そして、そんな他国の犠牲の上に成り立っているという見立ては強烈に鋭い。この映画の公開から随分月日はたったが、いまだにこの国は世界の現実に向き合うことができていないのではないかと思う。この映画の問題提起は2021年現在も十分に通用するものだ。
映像の完成度も極めて高い。一枚絵で部屋に飾りたくなる美しいショットがたくさんあって見惚れる。
93年当時わからなかった事が、今だと恐ろしく感じるし、気付いた頃には、時すでに遅し
リバイバル上映で観ました。
32年前、当時12歳で観た時の感想は
セリフが小声で長い、レイバーの活躍は少なく、人間ドラマに重点が置かれている。
「大人なアニメ映画」だな。
と思っていました。
大人になって今、観た感想として
パトレイバーの細かいアニメーションの動きに感動。
作品は1993年だが
某スパイ映画やSFの先をゆく映像表現。
(車内で通話する際に
フロントガラスに映しだされる画面等)
93年当時.
テロとか大きな災害とか起きていなかったので、それを予見する様な内容。
「ただ、戦うだけのロボットアニメじゃ
だめなんだよ」と感じた。
人間関係でいうと
今回の主人公は南雲さんと後藤さんと柘植さんの3角関係のお話。
そこに割って入ってくる荒川さん(笑)
所々に人情ドラマ、時代劇や任侠映画の場面的なパロディが入ってる。
平和ボケした日本、そんな国でも守ろうとする特車2課の人達。
劇場版1に引き続き
登場する鳥(何かの象徴か?)
この映画では、
ヘリコプターや飛行船だったけど、
今だったらドローンで簡単にできてしまう。
そう考えると恐ろしい。
2025年現在、
この先の未来を予見する様な作品って
あるのか、探しています。
パトレイバー...?
(おことわり)
本来は「ネタバレ」設定にすべき内容を書いてしまっております。
初回上映から20年以上経過しており、他の複数の方も同趣旨のレビューをネタバレ設定なしで書かれているようですので、既に広く知られている内容ということで、ネタバレなし設定にしております。気になる方は、これ以上は見ずに、閉じていただけますようお願いします。
(ここから本題です)
2025年のリバイバル上映の機会に鑑賞しました。過去まだ見ていない作品と思います。作品名に反してパトレイバーはほとんど全く関係してきませんでした。パトレイバーの世界の登場人物を使った、別作品といっても良いくらいかもしれません。
本作品のストーリー自体は、深いもの・考えさせられるものが描かれ、映画館で見る価値があったと感じました。とはいえパトレイバーという名前がつく限りはメカアクションを期待するところ、完全に裏をかかれてしまいました。
シリアスでぞくぞくする緊張感が前代未聞! けれど、やりたい話にパトレイバーが利用された感じ 柘植と一緒で、単に「東京の街での戦争」を見せたかっただけ
アニメで自衛隊のクーデターをリアルに描く、意欲作。
冒頭、PKOのレイバーから始まり、静かに広がる事件の恐怖、
静止を聞かずに立ち上がる特車2課、要塞への突入というように、話の構造が1作目に非常に似ている印象の第2作。
重い空気が描かれているようなリアルな描写と、作画のクオリティが高く美しい絵柄がとても印象的で、
クライマックスへ向けてのぞくぞくする物々しい雰囲気。
東京の街が’突如臨戦態勢になる前代未聞の緊張感!!
これまでに観たことのない映像世界が描かれています。
監督の押井守は「攻殻機動隊」「イノセント」など、現代のジャパニメーションの旗手の一人として有名ですが、「機動警察パトレイバー」劇場版第一作の監督でもあり、一作目ではまだパトレイバーの世界を優先して作っていた感じでした。
しかし、本作では「タガが外れて」パトレイバーの世界と作品のヒットを利用して、自分のやりたいことをやってる感じがします。
パトレイバーならではの味のような部分(特にコミカルな、仲間たちのフレンドリーな要素)がほとんどなく、別にパトレイバーでなくてもいいのかもしれないとも思えます。
(「うる星やつら2・ビューティフルドリーマー」もこれに近いかも)
また、クーデターに至る部分は、急展開過ぎでリアリティもない。
そんなことある???
本作は、劇中の柘植と一緒で、単に「東京の街での戦争」を見せたかっただけでしょう。
現代にこそ響く。未視聴の方は、ぜひ映画館で!
この作品も擦り切れるほど観てきたが、リニューアル版ばっかり観ていたので、あえてオリジナルを観るのも良いかと4K再上映を鑑賞。
BGMから効果音まで、確かに音響が違う。
これはこれでありかな〜。
ただ、BGMはリニューアル版のほうが好き。リニューアル版は弦楽器の重厚さが桁違い。
映画館で観ると、やっぱり音響が良いのでレイバー内のシーンや建物、トンネル内の反響音等の臨場感が素晴らしい。
オリジナル版でこれなら、リニューアル版はもっとも凄いだろう・・・
フィルマークスさん、次はリニューアル版4K再上映お願いします!
内容については語り始めると長くなるので省くが、いつもながら軍事が好きな人が唸る考証の正確さと物語風のバランスが良い。
また、扱う社会問題の内容も素晴らしい先見性で、この作品を90年代の頭に出したのは凄すぎる。
現代にこそ投げかけるべき内容で、昔から観ている身からすると、まさか時代が逆行するとは、という感覚。
今の時代、黒電話ヘアー、ジェノサイドプーさん、元KGBのハゲ、老いた金髪右翼ジャイアン、居眠りオタクアンパンマンと、各国の頭はミスキャストでいっぱい。
後藤さんや荒川のセリフが刺さる刺さる。
観たことない人は観て欲しいのでこれ以上は語りません!
ぜひぜひ、飛ばし視聴とかいう冒涜行為が物理的にできない映画館で視聴してほしい!
時代は変わったのか、以前よりは高評価が増えている。日本人は変われるのか、それとも劇中に出てくる、「戦争状態に置かれても他人事、下手すりゃ気づいてもいない」群像のままなのか。重大な分岐点だと思う。
今のこの時代に再上映してくれたことを評価したい!
もう少し、見ていたいんですよ
例えば、このクニに、長距離ミサイル基地を造ります。次に、世界地図を見て下さい。分かります?。アメリカ、ロシア、中国、この三大国家に、他国の領空侵犯することなく、直接攻撃できるのが、このクニの地政です。
かつての冷戦時代、旧ソ連は、東京より、中部地方のとある街を、核ミサイルの重要ターゲットにしたそうです。米軍、太平洋方面の潜水艦への通信施設があったからです。
戦争を放棄する。このクニの憲法です。
一方で、世界中の人民を解放するまで、人民解放軍の闘争は永続すると、憲法で謳うクニもあります。
このクニは、戦争を放棄しましたが、戦争は、このクニを放棄しません。
さらに古い話。世界大戦時、中立国だったスイス。さぞ、平和だったのかと、思いきや、領空侵犯する航空機は、同盟国だろうが、連合国だろうが、全て撃ち墜したそうです。食糧、燃料も、極力自給自足。他国に干渉しない、他国に頼らない中立国とは、それほどの覚悟が、求められます。
では、今の私達は?。
ご存知です?。自衛隊には、領土と国民を護る任務があります。しかし、個人の私有財産を保護する義務はありません。つまり、敵対国の地上進攻を阻むためなら、私達の家を取り壊してでも、塹壕を堀り抜きます。住宅ローンが残っていようと、お構い無しです。
このクニが海上封鎖されたら、どうなるか、考えたことあります?。戦争になれば、このクニに、ミサイル撃ち込む必要ありません。機雷バラ撒かれたら、もう終わりです。食糧と、エネルギーを遮断されたら、このクニの世論なんて、2秒で変わりますよ。再び帝国憲法を礼賛する私達が、目に浮かびます。戦わずして勝つと云う言葉がありますが、戦いを決めた時点で、このクニの敗けは濃厚です。
では、どうするのか?。
戦争は、外交政策の一環として、国際法上、認められています。外交なんです。戦争は、その手段の一つに過ぎないんです。だとすれば、私達には、どんな選択肢が必要だと思います?。その選択肢は、いつ、誰が、どのように準備するものだと、お考えです?。このクニを、戦後からやり直すとすれば、皆様は、どんな選択肢を、用意します?。
仕方ない…みんながそう思うと、戦争は始まるそうです。戦争をする大義を探すヒトになるのか、戦争を回避する方法を探すヒトになるのか?。皆様は、どちらを望みます?。
この映画が、その選択肢の一助になることを、願います。
もう少し、見ていたいんです。
このクニの…
惜しい レイバー
映画の出来は良いが、、、
押井守作品でいちばん好き
「まともでない役人には二種類の人間しかいない。悪党か正義の味方さ」
中間管理職の憤怒と悲哀が溢れる作品。前作で松井が、本作で後藤が口にする「正義の味方」という言葉がテーマだろうか。別の言葉を探すなら「貧乏くじ」だろう。
古く大きな組織というのは、上に行けば行くほど多様性を失うように思う。それは、組織への忠誠心を試す踏み絵のようなステップが幾つも用意され選別されていくからだろう。
自立思考できる者、自立思考に目覚めた者は途中でふるい落とされ、そこに悪党と正義の味方がいる。そうして考えると、悪党と正義の味方は共鳴しやすい危うい関係に思える。
進士が妻に言った「行かなきゃ、仕事より大事なものを失っちゃう」という一言は、その危うさと同時に意思の大切さをとても良く表している。(家族にとっての正しいが何かは別物だが…)
一方で現場は、忠誠心溢れるまともな役人達によって歪められていく。その様子は後年の大ヒットドラマ、踊る大捜査線へと繋がるものを感じる。後藤と南雲が呼ばれる会議シーンなんかは、誰もが青島のあの名台詞を思い出すのではないか。
そんな茶番のような会議から二人が逃走するところから、物語は一気に加速する。南雲に「今降りちゃ駄目だ」と伝える後藤。彼と榊の周到な準備が功を奏し、激しい闘いの末に南雲が柘植を逮捕する。指を絡ませ見つめ合った後で、互いの手を手錠で結ぶ南雲と柘植。必要な時に隣にいられなかった後悔を繰り返したくないということだろうか。その様子を離れたところから呆然と見つめる後藤、なんて無情な結末だろうか。
二人を見送った後、駆け寄ってくる第二小隊の初期メンバーを眺めながら「結局俺には連中だけか」と呟く後藤を見て少し救われた。しかし同時に、彼らを失うことがあれば後藤は柘植以上の事件を起こすのではないかという怖さを感じた。
…
街中に戦車が配備され「いつ何が起こってもおかしくない状況」という中で、淡々と続く日常。市民や自衛隊員の描写は、現実でもこうなるんだろうという納得感があって恐ろしい。こんな表現は実写にはできないアニメならではのものだと思う。
戦後平和主義に正面きって挑戦した最高傑作
1 本作のテーマ
第二次大戦の敗北により、戦後日本は憲法第9条を中核とする平和主義を絶対的な枠組みとして統治機構が構築、運営されてきた。
それは日米安保を裏付けにしたものであり、換言すれば外交・安保はすべて米国に依存しつつ、経済的繁栄のみ追求する「普通でない国」の歴史だったと言える。東西冷戦体制があったから、それでも差支えなかったのだ。
しかし、本作が公開される4年前にソ連は崩壊、東西冷戦体制は終焉を迎えた。世界情勢が流動化し始めた中、日本は戦争を絶対悪とする戦後平和主義のぬるま湯にいつまでも安穏としていていいのか、という問題提起が本作のすべてである。
2 ポリティカル・シチュエーション・ムービー
冒頭の国連PKOに参加した自衛隊のシーンでは、PKO参加五原則により武器使用が正当防衛等に限定される中、それを硬直的に運用した指令官の武器使用不許可により部隊を全滅させる柘植が描かれている。憲法9条は国際紛争に無力であり、柘植はその犠牲者である。
その怨念を秘めつつ、柘植は日本の安全保障体制の改革=世直しを目指すグループを自衛隊内部に結成し、偽装テロによる安保意識覚醒を目指す。
それはきわめてラジカルなもので、ベイブリッジ爆破から航空網寸断、さらには主要権力施設の破壊にまで及び、さらに生物兵器で首都全体を脅威に晒すものであった。この過程で治安維持や安全保障といった国家システムは大混乱に陥り、挙句の果てに米国の介入通告さえ招くにいたる。
その混乱から日本の安全保障体制が再構築されることを期待する――おそらくはそれがグループの狙いであり、柘植の怨念の解放と願望だと思われる。
偽装テロを仕掛ける柘植の戦略は周到であり、これに対峙する後藤たち特車2課もキャラクターが鮮やかで、テログループの存在感が薄いほかは、文句のつけようがない。
3 戦後平和主義体制批判の論理
押井守は見事なレトリックを駆使して平和主義日本を批判する。以下、登場人物のセリフから戦争・平和論議をみてみよう。
〈荒川:俺たちが守るべき平和…だが、この国のこの街の平和とはいったい何だ? かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争、そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争…そういった無数の戦争によって構成され、支えられてきた血塗れの経済的繁栄。それが俺たちの平和の中身だ。
戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。正当な対価をよその国の戦争で支払い、そのことから目を逸らし続ける不正義の平和。
後藤:そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺たちの仕事さ。不正義の平和だろうと、正義の戦争よりよほどマシだ。
荒川:かつて正義の戦争を口にした連中に碌な奴はいなかったし、その口車にのって酷い目に遭った人間のリストで歴史の図書館は一杯だ。だが、正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘つきたちの正義になってから、俺たちは俺たちの平和を信じることが出来ずにいるんだ。
戦争が平和を生むように平和もまた戦争を生む。単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか?〉
荒川が指摘するのは、世界が緊密につながる中、日本の経済的繁栄は同盟国等の兵士が生命を懸けて贖ったもので、平和主義は偽善だということである。
これに対して、偽善の平和でも生きていた方がましだ、と後藤は反論する。
荒川の再反論は、日本人もPKO活動のように戦争に関わらざるを得なくなっていくし、本当は誰も信じない偽善の平和はやがて自ら戦争をまねくというのである。
また、ラストの戦闘シーン前には、次のような会話が交わされる。
〈後藤:この街はリアルな戦争には狭すぎる。
荒川:戦争はいつだって非現実的なものさ。戦争が現実的であったことなど、ただの一度もありゃしないよ。〉
後藤のセリフは、日本人にはまだ差し迫った対外的な危機意識が存在しないという主張だろう。対して荒川は、戦争は個々人の意識と無関係に勃発するのだ言っているようだ。
これらの受止め方は見る側の政治意識により大きく変わるだろうが、評者はもちろん荒川の意見に全面的に賛同する。後藤が荒川より説得的とは言えまい。
4 評価
本作は押井守の最高傑作である。これ以前にもこれ以後にも、本作以上の映画は撮れなかったし撮れないと思う。
ちなみに本作から28年を経た現在も、政府の自衛隊敵基地攻撃能力に関する公式見解は、「自衛隊は、現在、敵基地を攻撃することを目的とした装備体系を持っていないことから、敵基地に対し軍事的に有効な攻撃を行うことは、現実の可能性として極めて難しい」と、お花畑状態である。押井の戦後平和主義体制に対する問題提起は、いまだ有効と言えよう。
全40件中、1~20件目を表示









