劇場公開日 1996年7月27日

「挫折を経た成長の青春期を温かく見詰めた北野監督の映像センスのオリジナリティー」キッズ・リターン Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0挫折を経た成長の青春期を温かく見詰めた北野監督の映像センスのオリジナリティー

2020年7月28日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

北野武、脚本・監督の昨年度話題になった作品。第一作をテレビ見学してから暫くぶりの北野作品だったが、詩的な映画の世界観に一目置く評価をするに至る。青春前期の不良学生二人の無軌道な時間を余分な装飾を省いて描いた、若い人たちへの作者の愛情と理解が底辺に確りとある好感の持てる繊細な青春映画に仕上がっていた。シチュエーションに凝った映像美は無い。その代わりカット繋ぎに監督独自の個性がある。その間や語り口は漫才師出身の監督のオリジナリティーであり、日本映画では余り見掛けない編集の面白さであった。今回感心したひとつに、この編集が挙げられる。北野監督自身編集に加わっているのが納得の成果である。
演出では、淀川長治氏が絶賛した二人乗りの自転車が授業中の誰もいない校庭で戯れるシーンが素晴らしい。主人公ふたりの疎外感と危うさ、そして自由気ままに見えて何処へ行けばいいのか分からない不安感。その無軌道な青春の時を象徴する映像表現の感覚の見事さ。そのワンシーンの表現力に感心していると、更にラストシーンで物語の核心を突く使い方の技巧の高さに唸らされる。ここでは教室から二人を見下ろす教師の台詞が意味深い。数年前と同じ馬鹿な戯れをまたやっていると軽蔑するが、成長していないのは代わり映えしない授業を繰り返す教師の方ではないのかと。

主人公ふたりがそれぞれボクサーとヤクザの道を選び、一時は自分の満足とするポジション、到達点にのし上がったと思いきや、再び以前の姿に回帰する挫折の物語。しかし、その挫折感は若者に許された成長のひとつの証しとして、清々しく終わる。自分が納得した生き方をした結果に過ぎない潔さが共感を呼ぶ。また、通常の映画が行う主人公の家庭や家族の描写を省略して、家庭事情や社会問題の安易な映画的解決を避けているのもいい。主人公ふたりの一高校生の姿に集中して、これを支える同級生たちの社会人として出発するエピソードを効果的にカットバックさせている。全体のユーモアとシリアスのバランスも絶妙であった。

タイトルバックのセンス、音楽の使い方のセンス、俳優に過剰な芝居を求めないセンス、この北野監督の鋭敏な映画感覚で独特な味わいの詩的映像の世界を創作したことに、素直に賛美を送りたい。
  1997年 1月20日

Gustav