「【”石上三十年 是忍耐也。そして女が10年大切に持っていた大きな爪。”今作は、戦後に極貧の生活を送っていた男女の出会いとその後の二人の数奇な人生を描いた哀しく重いサスペンスである。】」飢餓海峡 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”石上三十年 是忍耐也。そして女が10年大切に持っていた大きな爪。”今作は、戦後に極貧の生活を送っていた男女の出会いとその後の二人の数奇な人生を描いた哀しく重いサスペンスである。】
<Caution!内容に触れています。>
水上勉氏の生家が極貧故に、口減らしのため京都、相国寺塔頭の瑞春院に小僧として入った時に経験した辛い出来事を元に描いた「雁の寺」は有名である。
今作を観ると、氏は戦後の極貧の生活をしていた男女の姿の愛憎する姿を描いた事が分かる。憎は相手に対してではなく、”極貧”に対してである。
だが、女、スギトヤエ(左幸子)は極貧でありながらも、身を売りながら懸命に生き、男、イヌカイタキチ(三國連太郎)は極貧に対する怒りをバネに、食品会社社長にまで成り、名もタルミキョウイチロウと変え、町の名士となっているのである。
但し、男と女の決定的な違いは、男は人として許されない行為を過去にしている事である。
男は複雑なる善と悪の心を持ち、女はそんな男に身を売っていた宿で大金3万4千円(今だと幾らなのだろう。上手く計算が出来ないが、相当な大金である事には間違いがないであろう。)を施された事を10年もの間、感謝をしつつ身を売りながら生き、その金を130万に増やし、今や食品会社の社長になっている篤志家の顔を持つ男に心を弾ませながら、会いに行くのである。
それは、男の妻に成りたいという事ではなく、”私も、貴方ほどではないにしろ戦後、頑張って来たんだよ。”と言う事を告げたかったのではないかな、と私は思ったのである。
だが、男は自らの過去を知る女を三尺ある大男だからこその怪力で締め殺し、それを見てしまった下男タケナカをも、手に掛け心中に見せるのである。男の複雑なる性格を三國連太郎が、怪演しているし、健気過ぎるスギトヤエを左幸子が、見事に演じているのである。
■今作が秀逸なのは、実際に起きた悲劇、洞爺丸遭難事件を絡めた物語構成である。更には男を長年追う、北海道のユミサカ刑事(伴淳三郎)の姿である。
彼は、男を長年追う中で捕まえられずに定年を迎えている。だが、彼はイヌカイタキチが網走刑務所を出所した男二人を殴り殺した舟を燃やした灰を、ずっと箪笥の奥にしまっているのである。
そして、スギトヤエとタケナカの心中を装った事件に不信を抱いたアジムラ刑事(高倉健)達がタルミキョウイチロウこと、イヌカイタキチを取調室で厳しく追及するも、ノラクラと太々しく白を切る彼が入れられた牢にユミサカ刑事は一人で行き、丁寧な言葉でその布に入れてあった灰を彼の前に置き、去るのである。
ユミサカ刑事が牢を出た後に、イヌカイタキチはその灰を激しく叩きつつ、慟哭するのである。見事なユミサカ刑事の執念が実った”オトシ”のシーンである。
但し、イヌカイタキチが質屋での殺しに関わっていたかどうかは描かれない。私は関わっていないと思う。ここは、観る側に解釈を委ねているのだろう。
原作と違う部分も結構あるが、気にはならない。映画は監督独自の解釈が在っても良いと私は思うからである。
<今作はラストも切ない。
イヌカイタキチは刑事達と共に北海道に渡る船に乗るのだが、昔、スギトヤエと見た恐山を見た時に、自ら海へ飛び込むのである。彼に戻った善なる性格が顔を出したのだろうと、私は解釈したシーンである。
その後、静に流れる読経・・。そして、エンドロールも無く映画は終わるのである。
今作は、戦後極貧の生活を送っていた男女の出会いとその後の数奇な人生を描いた哀しく重いサスペンスなのである。>