「祇園の舞妓だけが変わっていないのだろうか? 日本の社会そのものも変わっていないのでは無いだろうか?」祇園囃子 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
祇園の舞妓だけが変わっていないのだろうか? 日本の社会そのものも変わっていないのでは無いだろうか?
1953年、昭和28年公開
原作は川口松太郎の小説で、彼は溝口健二監督と同じ小学校の同級生とのことです
原作はあれど、本作の内容は溝口監督が17年前の、戦前の1936年昭和11年に撮った祇園の姉妹のセルフリメイク的な作品です
その作品は戦前の日支紛争に突入し戦争体制に日本が変わる前の京都祇園の物語
そして本作は戦後のようやく独立を回復した頃の京都祇園を描いています
戦争を挟んで一体何が変わったのか?
それが本当のテーマではなかったのでは無いでしょうか
京都の街並みは冒頭の遠景、祇園の路地の光景、何の変わりも有りません
祇園の舞妓達の日常もまた変わりは無いのです
木暮実千代35歳
彼女の演じるベテランの売れっ子舞妓美代春は、身体の曲線といい、挑戦的な目鼻立ちといい実に艶っぽく大人の女性の魅力が最高潮にある姿形で、見とれてしまいます
若尾文子20歳
栄子、舞妓となって美代栄
彼女が家から逃げて来た初登場時の役設定は16歳
舞妓デビューは1年の修行を経たので17歳という役設定です
まだ子供のような固い蕾といった風情があり、後の若尾文子の成熟した肉体が発散する性的な魅力はまだ微塵もありません
美代春は17年前の祇園の姉妹の時代いくつであったのか?
彼女は18歳頃であり、本作での妹舞妓となった美代栄と同じ頃であったと言うことです
つまり本作は戦争を挟んで二人の舞妓の人生の対比を描くということで戦前と戦後の何が変わったのかを描くことがテーマなのです
美代栄は舞妓デビューで酔わされてしまい
本音を放言したという形で、監督は本作の構造を明らかにします
私がアプレゲールなら、お姉さんはアバンゲールやわ
美代栄は舞妓の修行の時に女性の人権という言葉に反応している女性なのです
結局、戦後になり憲法もかわり、男女平等となっても、祇園の世界は何も変わっていなかったと言うことです
ラストシーンは二人連れ立ってが、祇園祭りのお囃子が聞こえる中、暮れゆく祇園の街並みをお茶屋に向かうシーンです
ここで初めてワンカットワンシーンの手法が効果的に使われています
通りの奥から現れて、カメラの手前を通り過ぎて祇園の雑踏に消えていくのです
このように祇園の舞妓達は、過去も現在も、そしてこれからも何も変わらずに時は過ぎ去っていき時代も変わっていくのです
それは祇園の舞妓だけなのだろうか?
それは日本の社会そのものも同じなのでは無いだろうか?
進藤英太郎の演じる栄子の父は戦前の旦那の象徴です
河津清三郎の演じる楠田専務は戦後の旦那の象徴なのです
戦前の体制は没落して、新しく体制が変わってもやっていることはそれまでの拡大再生産であるだけなのです
何も変わってはいないのです
それが本当の本作のテーマだったのだと思います
傑作です
そして今は本作から62年後の2020年令和2年です
今年の祇園祭はコロナウイルス禍によって山鉾巡行中止だそうです
でもこの構造は今も変わってはいないのかも知れません