祇園囃子

劇場公開日:

解説

「オール読物」所載の川口松太郎の原作を依田義賢が脚色し、監督、撮影を溝口健二、宮川一夫が受持つという「雨月物語」と同じスタッフ作品。音楽は「母と娘(1953)」の斎藤一郎。出演者の主なるものは「都会の横顔」の木暮実千代、「続十代の性典」の若尾文子「残侠の港」の進藤英太郎、「玄海の鰐」の河津清三郎、「花の喧嘩状」の菅井一郎など。

1953年製作/84分/日本
原題または英題:Story of Two Geisha Girls
配給:大映
劇場公開日:1953年8月12日

ストーリー

祇園では名の売れた芸妓美代春は、彼女に入れ上げて勘当になった若旦那の小川を、強い言葉で追い返した。丁度その時舞妓志願に来たみすぼらしい少女栄子は、美代春も旧知のメリヤス問屋沢本の二号の娘で、零落した沢本の栄子の面倒は一切見ないという言葉にも拘わらず、栄子の健気な言葉に舞妓に仕込む決心をした。そして一年。栄子は愈々舞妓として店出しする事となったが、美代春はその費用三十万円を、祇園一流のお茶屋「よし君」の女将から借りた。やがて栄子の美貌とアプレの奇抜な行動は俄然遊客間の人気を呼んだ。中でも車輛会社の専務楠田は彼女に食指を動かし始めた。実は栄子の披露目の費用は楠田から出ていたのだ。楠田は得意先の某官庁課長神崎と上京する事となり、美代春と栄子も同行した。その夜楠田は美代春に、大事な得意先神崎を客にとるようその部屋へ連れて行き、自分は別室に栄子を呼び接吻しようとするが、栄子は悲鳴を上げて楠田の唇を噛み切った。この騒ぎで美代春も事なきを得たが、これを聞いた「よし君」は面目の潰れた事を怒り、二人は出先の茶屋から出入差留を喰い、祇園祭が近ずいても美代春のやかただけは淋れ切った。

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映画レビュー

5.0『アヴァン対アプレ』我が亡父が良く使っていた。我が亡父はこの類の映...

2023年12月15日
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鑑賞方法:VOD
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マサシ

4.0当時も今も同じ よくわかった

2022年8月21日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

今年、先斗町の舞妓さんだった女性が明らかにしたこと、この映画の時代とまるでおんなじ。舞妓になって最初のお座敷でいきなり駆けつけ三杯、更にぐでんぐでんになるまで飲ませる。嫌がるのに変なことして構わないという男の客達。お金がなくては仕事ができない商売、着物が買えない、舞妓になる支度もできない。だから借りが出来る。舞妓も芸妓も目標はいい旦那を見つけること。花街で力のあるお母さんの意に背いたら干されてお座敷にでられない=収入ゼロ=自立してできる仕事ではない。

好きでもない客や50才近くも年上の客を旦那=パトロンにしなくてはならない。お金が必要だから。踊り、三味線、着物、鳴り物、お茶、お花を身につけた舞妓さんは伝統文化、無形文化財と綺麗事を言われたって実質は男に都合よくできている存在で世界。溝口監督の映画だから説得力あり花街の本質がよくわかる。戦前は30年代に「祇園の姉妹」、戦後の50年代に本作。監督の視点はぶれていない。

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talisman

4.0色街に生きる三世代の女性の価値観の違いを浮かび上がらせた溝口監督の秀作

2021年10月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ネタバレ! クリックして本文を読む
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Gustav

4.0祇園の舞妓だけが変わっていないのだろうか? 日本の社会そのものも変わっていないのでは無いだろうか?

2020年5月4日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1953年、昭和28年公開
原作は川口松太郎の小説で、彼は溝口健二監督と同じ小学校の同級生とのことです
原作はあれど、本作の内容は溝口監督が17年前の、戦前の1936年昭和11年に撮った祇園の姉妹のセルフリメイク的な作品です

その作品は戦前の日支紛争に突入し戦争体制に日本が変わる前の京都祇園の物語
そして本作は戦後のようやく独立を回復した頃の京都祇園を描いています

戦争を挟んで一体何が変わったのか?
それが本当のテーマではなかったのでは無いでしょうか

京都の街並みは冒頭の遠景、祇園の路地の光景、何の変わりも有りません

祇園の舞妓達の日常もまた変わりは無いのです

木暮実千代35歳
彼女の演じるベテランの売れっ子舞妓美代春は、身体の曲線といい、挑戦的な目鼻立ちといい実に艶っぽく大人の女性の魅力が最高潮にある姿形で、見とれてしまいます

若尾文子20歳
栄子、舞妓となって美代栄
彼女が家から逃げて来た初登場時の役設定は16歳
舞妓デビューは1年の修行を経たので17歳という役設定です
まだ子供のような固い蕾といった風情があり、後の若尾文子の成熟した肉体が発散する性的な魅力はまだ微塵もありません

美代春は17年前の祇園の姉妹の時代いくつであったのか?
彼女は18歳頃であり、本作での妹舞妓となった美代栄と同じ頃であったと言うことです

つまり本作は戦争を挟んで二人の舞妓の人生の対比を描くということで戦前と戦後の何が変わったのかを描くことがテーマなのです

美代栄は舞妓デビューで酔わされてしまい
本音を放言したという形で、監督は本作の構造を明らかにします
私がアプレゲールなら、お姉さんはアバンゲールやわ
美代栄は舞妓の修行の時に女性の人権という言葉に反応している女性なのです

結局、戦後になり憲法もかわり、男女平等となっても、祇園の世界は何も変わっていなかったと言うことです

ラストシーンは二人連れ立ってが、祇園祭りのお囃子が聞こえる中、暮れゆく祇園の街並みをお茶屋に向かうシーンです
ここで初めてワンカットワンシーンの手法が効果的に使われています
通りの奥から現れて、カメラの手前を通り過ぎて祇園の雑踏に消えていくのです

このように祇園の舞妓達は、過去も現在も、そしてこれからも何も変わらずに時は過ぎ去っていき時代も変わっていくのです

それは祇園の舞妓だけなのだろうか?
それは日本の社会そのものも同じなのでは無いだろうか?

進藤英太郎の演じる栄子の父は戦前の旦那の象徴です
河津清三郎の演じる楠田専務は戦後の旦那の象徴なのです
戦前の体制は没落して、新しく体制が変わってもやっていることはそれまでの拡大再生産であるだけなのです
何も変わってはいないのです

それが本当の本作のテーマだったのだと思います
傑作です

そして今は本作から62年後の2020年令和2年です
今年の祇園祭はコロナウイルス禍によって山鉾巡行中止だそうです
でもこの構造は今も変わってはいないのかも知れません

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あき240