「きんちゃんは昔から余り利口な方じゃ無かったから、なんでも出来る」カルメン故郷に帰る マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
きんちゃんは昔から余り利口な方じゃ無かったから、なんでも出来る
『景色が風に流れている』
『花の都のパリのシャンゼリゼで、シュバリエの歌う歌は甘い歌』
大八車が馬に惹かれて山道を行く。その車の上で主人公学校歌う。さぁ、絶滅危惧種大和民族の道は決まった。
『戦争へ行く前の昔と同じ様に綺麗な気持ちでいたいんだ』えっ!そうなの?
『きんちゃんは昔から余り利口な方じゃ無かったから、なんでも出来る』と曰う。作曲家?この家族に生活感が全く無い。その人物に俯瞰した目で見られる。しかし、彼はめしいている。
さて。その意味は差別?
女性を食い物にする売春防止法が施行されるのは5年後。彼女達の裸が問題なのではなく、それを見る男が問題。田舎者でもそう言った者はいた。
教師を聖職と称するのは間違いである。校長とあろう者が『キチガ◯』と言うのか?挙句の果てに一般市民へ暴力を振るう。無意識に映画で表現しているが、こんな教育者は本当にいた。僕もその被害にあっている。
このパターンが日本の喜劇の元祖なのだろう。そして、田舎は良い所で都会は悪い所。50作も続くあの映画と同じパターンなのだろう。
千葉県生まれの我が亡父は、この映画見て良く言っていた。『田舎者のどこが可愛いんだ!』
『馬鹿な娘だけど、これで多少故郷に錦を飾った事になりますバイ』って信州も『バイ』?
舞台劇だけ、スタジオ収録?踊りもエロスも音楽も皆、中途半端。時たまクラシックを使っているのに。これではほんとう芸術からは程遠い。勿論、この映画自体も。もっとも、それが狙いなのか?
マサシさんへ、
人其々に好みがあって、小生も特に苦手なジャンルは映画をある程度分かったつもりになった20代の頃に避ける様になりました。10代の頃はどんな映画も勉強のつもりで観ていましたが、それでも時間と資金の都合で偏向がありました。それが最近偶然部分的に観たジョン・ランディスの「ブルース・ブラザーズ」には、その面白さに刮目せざるを得ない発見があって驚きました。映画として破壊的なギャグ満載の音楽コメディの傑作でした。公開当時は好みじゃないと避けていたのに、大変楽しめました。分からないものですね。
会社員時代は若い人に対して、大人になるとは世の中に色んな人がいることを先ず知ることと、偉そうに講釈を垂れていたのに、自分のライフワークの一つと誓った映画を自分で制限していたことに恥ずかしくなりました。残りの人生では、好きな監督の作品を観ることが最優先でも、一寸苦手なジャンルの映画にも目を向けていきたいと思うこの頃です。
マサシさんへ、返信遅れましてすみません。
木下惠介監督作の中でも喜劇のジャンルは少ないようです。日本映画の巨匠、溝口、小津、成瀬、黒澤と観たもので振り返っても、僅かに小津作品しか思い出せません。小生は映画の中でコメディが大好物で、アメリカ映画ならチャップリン、キートン、ロイドのサイレントからルビッチ、キャプラ、ワイルダー、フランス映画ならクレール、マル、イタリア映画ならデ・シーカと楽しんできました。イギリス、ドイツ、北欧の寒い国の映画になるとユーモアにシニカルな面のウエイトが高くなって爆笑は出来ませんが、嫌いではありません。日本映画では伊丹十三と周防正行が良いですね。そこで言えるのは人間賛歌に至るコメディの寛容さに心が満たされることです。
日本喜劇映画は、山田監督の「男はつらいよ」に代表される人情と駄目人間の可笑しさにあって、その意味ではこの木下作品も例外ではないですね。ただこの作品の脚本の構成力は素晴しいと思います。一介のストリッパーが一流のダンサー扱いされるあり得ないお話を、戦後のまだ地方と都会の差別があった日本社会で巧みにまとめています。その大らかな木下監督の演出に、日本人の強かさと思いやりの心が感じられます。一般論として、コメディは、特に嵌るか嵌らないかで評価が分かれるのは仕方ないと思います。