大怪獣ガメラのレビュー・感想・評価
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大映最後の大スターのデビュー作
最終作の「ガメラ対深海怪獣ジグラ」公開から5ヶ月ほど後に
大映は倒産するのだが
その最終作が割と大ヒットだったそうなので
このタイトルは大袈裟ではないと思う
ゴジラの後発ということもあり
核怪獣の基本を押さえてる秀作
初期のゴジラは核に耐えるけど
積極的に熱エネルギーを求めるイメージは無いが
(後年の新作ではその路線になったが)
ガメラは積極的に熱エネルギーを求めてるのが
いかにも怪獣っぽくていい
一方で人間サイドが常識に基づいて対策し
ことごとく破られるのが基本に忠実
亀が手足引っ込めて
引っ込めたとこから火を吹いて回転して飛ぶという
アイディアは何とも秀逸
(これを誰が考えたかは諸説あるらしい)
後年多くのフォロワーを生んだ
(亀の怪獣や怪人やメカが同様の飛び方をする)
子供向けに全振りしてることを批判する人も多いが
ゴジラとの差別化戦略として
これはこれで正解だったと思う
後年のアニメでガメラが子供を助ける理由を
合理的に設定しようとしてたけど
ガメラは子供好きだからでいいんだよ
大がかりな特撮は大映としては
おそらく初だったはずだけど頑張ってる
ミニチュアワークはちょっと拙いけど
ガメラの着ぐるみの造形や出現シーンや
足元逃げる人間の合成は上手い
アニメ合成の飛行シーンも
モノクロなせいもあってそれらしい
ひとつだけツッコむとしたら
やっぱりZ計画かなあ
ガメラの入ってる先端部の大きさから
推定300メートル近くもあるロケット
何の目的で作られたんだろう?
アポロ計画のロケットですら
110メートルぐらいなのに
あのガメラ入ってるとこ
本当は何を乗せる予定だったのか?
だけどガメラはくじけない
原爆搭載機が墜落したショックで太古以来の眠りから目覚め、こんちくしょうと大暴れして、宇宙に追放される。
可哀想なことこの上ない。全部、人間の都合だ。
だけどガメラはくじけない。泣くのは嫌だ、笑っちゃおう。
子ともには優しい。後に大村崑ちゃんたちが出るようになってからもそうだが、すでに初回登場時から子どもと仲がいい。
子どもを味方に付けたかったんだろうね。正義の味方になりたかったのかな。
このあとの展開はそうなっていくけどね。
結局、メッセージ性もない、娯楽性も低い、取り敢えず作ってみました的な映画。ガメラを宇宙に放出するときの浜村純の表情は、身震いするほど素晴らしかったけどね。
リアタイのときはもっとおもしろかったと思ったんだけどな。
でもシリーズ化されたってことは、人気があったってことだろうね。
それにしてもカメを立たせて暴れさせたんだ。。。
強いぞガメラ
広島・長崎の被爆経験があったにも関わらず、ガメラへの核攻撃を依頼する設定には…
約10万人都市の私の故郷に、
現在はただの1館の映画館も存在しない
のだけれども、私の子供の頃は、
かつては5館もあったし、
大映専門の映画館も存在する位に
映画は大きなウエイトを占める娯楽だった。
その大映専門の映画館で、
旧ガメラ3部作を子供料金50円で観たのが、
私のガメラ映画との最初の出会いだったと
記憶している。
今回はそれ以来の約半世紀ぶりの鑑賞だが、
子供の頃は、東宝のゴジラシリーズと共に、
ただただその特撮に目を見張って
観ていたのだろう。
子供心には、ゴジラシリーズでも
そんな認識は無かったと思うが、
核の影響でゴジラもガメラも目を覚まし
国土を破壊するとの設定は、
改めて、広島・長崎の被爆を経験した
当時の日本人にとっての核に対する恐怖心を
背景としたものであったものと想像された
ものの、国内でのガメラに対する核攻撃を
米軍に依頼しようとする
アンバランスな筋立てには疑問を抱いた。
また、冒頭での米国戦闘機による
某東側盟主国のものとしか想像出来ない
核爆弾搭載機撃墜は、
当時の東西冷戦の匂いを強く漂わせる一方、
最後の対ガメラ作戦では、何故か
米ソを含む科学者の協力シーンが出て来て、
ここでも一貫性の欠如を感じた。
しかし、あるいは、
この軍事的強大国家同士が手を握る設定は、
怪獣や異星人の侵略という
地球規模の危機があった時には
あり得て欲しいという微かな期待のシーン
だったのだろうか。
会社がなくなったあとも愛され続けるもう一つの大怪獣
怪獣王ゴジラと並ぶ人気怪獣ガメラの初登場作にしてシリーズ第一作。
ライバル東宝の独占状態だった特撮怪獣ものに対抗するため、ワンマン社長永田雅一のツルの一声で生まれたカメ怪獣ガメラ。
カラー化する費用もないほどの低予算で製作され、当時の大映関係者の誰もヒットを期待しなかった中、その後倒産するまで合計7作がシリーズ化され、永田体制終焉後もたびたび映像化されている。
松竹のギララや日活のガッパが単発で終わったのに、ガメラが長続きすることになる理由の一つは、本作に見られる大映特有の画面作りへのこだわりにある。
限られた予算で東宝ほどのセットが用意できないなか、ガメラのアップ映像を効果的に用いた東京襲撃の場面は迫力十分。結果的にモノクロで撮ったナイトシーンは『ゴジラ』(1954)の黙示録的印象には及ばないものの、公開当時、劇場での観賞に値するだけのインパクトはあったと思う。
炎上する都心を背景にガメラが仁王立ちする場面はパペットを使用した『ゴジラ』を凌ぐ迫力。
ゴジラの放射能熱線が合成で処理されたのに対し、本作のガメラの火炎放射は本物の火で表現。いろんな物に燃え移って撮影は大変だったそう。
奮闘した撮影陣とは逆にストーリーは安易で貧弱。
突然登場するZ計画の詳細は不明だし、体長60m(当時の設定)のガメラを格納出来る巨大ドームの本来の用途も謎。
通常兵器が役に立たず、現場の自衛隊の判断で米軍に核ミサイル投下を要請するなど信じられない展開も。
ゴジラ同様、核兵器でガメラが目覚める設定なのに反戦・反核のメッセージ性は皆無。この辺りに大映と東宝の体質の差が窺える。
登場する二人の動物学者もガメラの退治方法に固執するだけで、『ゴジラ』の山根博士のように研究者の立場から怪獣抹殺に反対したりはしない。
代わりにその役割を担うのが俊夫少年。
北海道に上陸したガメラが灯台を破壊した際、落下した俊夫を助けたために、亀好き少年はガメラに強烈なシンパシーを懐き、最後はほとんどパラノイア。
転勤続きで友だちができず、避難先のいとこからも邪険に扱われる少年の孤立感の隠喩なのだろうが、誰も続編なんて視野になかった段階でたまたま組み入れた設定がのちの子供の味方というゴジラとの差別化に繋がり、シリーズ作品を支えることに。
高度成長時代、単身赴任が当たり前でサラリーマンが社畜化され、家庭に不在気味だった父親に代わる存在としてガメラが子供の支持を得たような気もする。
身近な生き物の怪獣化に成功したことも長く親しまれる要因の一つなのだろう。
生物学者の日高教授を演じる船越英二(親子して声がそっくり)に加えて先輩格の古生物学者、村瀬博士役で出演する浜村純は新劇出身の本格俳優。こんな映画によく出たなと思うが、『ゴジラ』の志村喬だって同じようなものか。
ほかにも脇役俳優の吉田義夫がイヌイットの酋長を英語のセリフで熱演。少ない出番ながら、いい味を出している。
『ゴジラ』がハリウッド映画の『原子怪獣現わる』(1953)をヒントに作られた話は有名だが、本作の戦闘機が墜落したあと氷原を割ってガメラが現れる場面や灯台襲撃シーンも同作からの引用。というか、ほとんどパクリ。
甲羅を鱗様にデザインしたアイデアは秀逸なのに、焼き網みたいな腹甲のラインが逆に残念。
映画としてのクオリティは高くないが、懐かしさと記念碑的価値に敬意を表して星3.5。
BS12トゥエルビにて観賞。
本来、この時期に本作を放送すべきは、『GAMERA ―rebirth―』を放送中のNHKだと思う。
どうして企画をリンクして盛り上げようという発想に至らないのか不思議。
もうひとつの伝説が始まった!
ゴジラと並ぶ怪獣シリーズ、ガメラの第一作目もモノクロでした。リアルタイムで見た作品ではないですが、怪獣大好き少年だった自分はガメラにも想い入れがあります。
幼少時に亀をペットにしていたこともあって、ゴジラとはまた違うガメラも大好きでした。
ガメラのシリーズは、常に傷だらけになりながら最後に勝利をつかむ。そして、子供の味方ってこともあり、まさにヒーロー怪獣でしたね。
我が家には塩ビの怪獣たちがワンサカあったのですが、何故かガメラはプラモデルでした。製作中に指を切ってしまい、その傷が未だに残ってます。
さて、本編ですが、シリーズ一作目はガメラ単体の映画です。人間とのバトルになるんですが・・・う〜ん、やっぱりスケールダウンかな。
ゴジラのそれとは、違いますね。
あの恐怖感も無ければ、迫力もイマイチです。
でも良いんです。ガメラは手足が引っ込んだり、回転しながら空を飛ぶという独自の魅力が有りますから。
余談ですが、アニメのガメラも、メチャ面白い。子供の味方という昔ながらのテイストを活かしたうえで、旧シリーズの怪獣たちがリニューアルされて、迫力満点で楽しませてもらってます。
【ネタバレ】
やっぱりガメラは子供の味方ってのが、根本にあるんでしょうね。ガメラと共に少年が大活躍です。
そして、恐怖の対象になりきれないガメラは、火星に飛ばされるというラストを迎えます。直接的な最期を見せないってのがあるのかもしれません。でも、空飛ぶガメラは宇宙からでも、帰ってきちゃうんだけどね・・・
ガメラは好きなんですが、本作品にはそれほど魅力を感じませんでした。やっぱり怪獣バトルがないと・・・
苦心の末生み出された特撮描写に対して、お粗末な人間ドラマ
【イントロダクション】
北極の氷の下で眠りについていた古代アトランティスの大怪獣ガメラが、墜落した国籍不明機が搭載していた核爆弾によって目覚め、やがて人類を恐怖に陥れる。
監督は、本作の成功を皮切りに、昭和ガメラシリーズ全作を手掛ける事になる湯浅憲明。脚本は、同じく昭和ガメラシリーズ全作を手掛ける高橋二三。
【ストーリー】
北極のエスキモー集落を訪れていた日本人の調査隊。生物学者の日高教授(船越英二)は、エスキモーの族長から古代アトランティス時代に生息していた悪魔の巨獣“ガメラ”について記された石碑のカケラを受け取る。
一方、教授達が乗ってきた調査船「ちどり丸」は、国籍不明の戦闘機を発見。通報を受けたアメリカ空軍は、国籍不明機に接触を試みるが、攻撃を受けた為にこれを撃墜。国籍不明機は北極に墜落する。しかし、この国籍不明機には核弾頭が搭載されており、その大爆発によって氷が崩壊し、氷の下で8,000年以上眠り続けていたガメラが復活してしまう。ガメラはちどり丸を破壊し、乗組員全員が犠牲となる。被害状況を確認にアメリカ空軍が訪れたが、ガメラはその場から姿を消していた。
巨大な亀が出現したという前代未聞のニュースを受け、生き残った日高教授達はニューヨークでインタビューを受ける。教授は、「核エネルギーに当てられて生きていられる生物はおらず、よってガメラは死去しただろう」と仮説を立てる。その後、世界各地では未確認飛行物体の目撃情報が報告され、ガメラの話題は瞬く間に掻き消された。
北海道襟裳岬。母を亡くし、父と姉と3人暮らしをしている孤独な少年・俊夫は、学校でも友達を作らず、ペットの亀を世話する事に情熱を注いでいた。そんな俊夫の姿を見かねた父と姉の信代(姿美千子)は、彼に亀を捨ててくるよう促す。
渋々亀を捨てに海岸にやって来た俊夫だが、直後にガメラが出現し、人々を恐怖に陥れる。俊夫は灯台に登ってガメラを直近で確認するが、ガメラによって灯台は破壊されてしまう。灯台から落下した俊夫は、ガメラによって助けられ一命を取り留める。
ガメラに助けられた俊夫は、「チビ(飼っていた亀)がガメラになったんだ」という妄想を抱くようになる。
ガメラはエネルギーを求め、上陸して羊蹄山にある地熱発電所を襲撃する。自衛隊による攻撃にもビクともせず、ガメラはエネルギーの補給を開始。現場に駆け付けた日高教授達は、ガメラの性質から核攻撃や通常兵器は餌にしかならないと判断し、自衛隊が秘密裏に開発した冷凍爆弾による攻撃を試みる。冷凍爆弾と発破により、山頂から転落してひっくり返されたガメラ。亀は裏返されると自ら起き上がる事は出来ない為、後はガメラが餓死するのを待つのみかと思われた。しかし、ガメラは手足を引っ込めると、ジェット噴射によって自らの身体を回転させ飛翔した。世界中で目撃されていた未確認飛行物体の正体は、ガメラの飛行形態だったのだ。
後日、ガメラは再び日本に出現。東京に上陸したガメラは、街を蹂躙し、都内に甚大な被害をもたらす。やがて、エネルギーの補給の為に、ガメラは石油コンビナートで足を止める。
事態を収拾する為、日高教授をはじめとした世界中の科学者達が集結。伊豆大島に設けられたロケット基地での火星調査計画“Zプラン”の流用が提案される。ガメラを伊豆大島に誘導し、ロケットの先端部にガメラを閉じ込めて火星に打ち上げようというのだ。
かくして、ガメラ追放計画“Zプラン”が開始される。
【感想】
私は、平成ガメラシリーズの大ファンであり、昭和シリーズは幼少期にVHSで何作か観た程度、それも殆ど内容は覚えていないレベルなのだが、昭和シリーズは「子供たちの味方」という方向性があった事だけは記憶している。本作でも、俊夫を助ける(と見える)演出があり、既にその路線の片鱗が見て取れる。とはいえ、本作の場合は自分で破壊した灯台から俊夫を助けたに過ぎないのだが。
当時、大映は東宝の『ゴジラ』シリーズに並ぶ会社のヒットコンテンツを求めていたらしく、「我が社でも特撮はやれる!」と証明したかったそうだ。
しかし、実際には怪獣特撮のノウハウは試行錯誤の連続だったという。そんな紆余曲折を経て完成した特撮シーンは、ミニチュアの手作り感の中にも確かな迫力と面白さを感じさせる出色の出来だったと思う。
そんな中でも、“亀が回転しながら空を飛ぶ”というアイデアと描写は非常に画期的で、以降ガメラの代名詞となる。
また、ガメラの東京襲撃の際、ガメラが人々の逃げ惑う建物を容赦なく破壊し、火炎放射で人々を焼き殺すというシーンは、描き方こそマイルドなれど『ゴジラ−1.0』もビックリの大虐殺シーンである。
ガメラの着ぐるみ造形も、まだこの時点では人類の脅威の為、白眼の中をギョロギョロと移動する黒い瞳という不気味なものとなっている。この瞳のギミックが素晴らしく、感情の掴めない異形の存在感は、東宝の『ゴジラ』にはない優れた表現だろう。また、不気味さの中にも独特な可愛さを感じ取る事が出来る。
問題なのは、力の入った渾身の特撮描写に対する人間ドラマの薄さだろう。この人間ドラマの酷さが、本作の魅力を悉く潰してしまっている。ともすれば、偉大なる『ゴジラ』第1作と肩を並べたかもしれない程の名作に出来ていたかもしれないだけに非常に勿体ない。
【不必要な登場人物と、ノイズとなるキーパーソン】
本作は、とにかく必要性の感じられない(他のキャラで兼任可能な)キャラクターと、観客にストレスを与えるキャラクターが多過ぎるのだ。
日高教授の取材に同行した新聞記者の青柳、教授の助手である京子、その2人が織りなす不必要なラブストーリーは、存在せずとも話が成立する。また、ラブストーリーと言っても、実際には青柳が一方的に京子にアプローチを掛けるばかりで、京子はラストになるまでは一切靡かない始末だ。伊豆大島でのZプランの最中、台風によってガメラを誘き寄せる炎が吹き消された際、燃料庫に松明を投げ入れて炎を起こし、再びガメラの関心を向けるという青柳の作戦は、生物学者である日高教授がガメラの特性を利用しようと即興で行うだけで十分なはずだ。
本作で1番の問題点が俊夫のキャラクターだ。鑑賞中、とにかく彼の行動の一部始終がノイズで仕方なかった。物語の流れを握るキャラクターであるにも拘らず、彼の身勝手な行動の数々はストレスを抱かせる。家族や他人を無責任に巻き込む姿は、とても「子供だから」と擁護する気にはなれない。また、周囲の大人達が真剣に怒らない様子にも違和感を覚えた。
ガメラを石油コンビナートで足止めする作戦中に、貨物列車で俊夫がガメラに向かって行くシーンで、ガメラが列車を破壊した瞬間は、その容赦のなさとノイズとなるキャラクターが排除された(実際には生き残っていたが)事に、思わず心の中でガッツポーズしてしまったくらいだ。
この俊夫というキャラクターの描き方を変えるだけでも、本作のドラマ部分は段違いに良くなったのではないか。一つ、修正案を出してみようと思う。
「母親が亡くなって以降、周囲に心を閉ざし、亀しか友達のいない孤独な少年」ここまでは理解出来る。夕飯のおかずをコッソリと持ち出し、亀に与えようとするのも、動物に対する優しさの表現として良い。
大事なのは、彼は「飼っていた亀がガメラになったのかもしれない」と思っている点だ。
また、ガメラ北海道出現の際、ガメラが灯台を破壊するというシーンにも違うアプローチが必要になる。灯台はあくまでガメラ出現の際による地震、又は二次被害によって、偶発的に倒壊すべきだ。それにより、俊夫をわざわざ灯台に登らせずとも、倒れてくる灯台から俊夫を守るといった表現に置き換える事が出来る。
これにより、翌日俊夫がチビを探しに行った際、彼がガメラをチビが変化した姿だと思い込む動機になる。
ガメラの被害により、俊夫と信代姉弟が東京の叔父宅へ避難した際も、俊夫はチビがガメラになったと信じており、それを信じない「ガメラは悪者」と考えている従兄弟と対立する形で、「ガメラを悪者にしたくない」という思いから無茶な行動をする方が自然である。また、石油コンビナートで貨物列車に乗って無茶をする際も、ガメラは俊夫と職員に気付いて捕食を止める等のアプローチがあった方が、俊夫がガメラを信じる動機の強化に繋がる。
そして、ガメラへの思いから、日高教授に「ガメラを駆除するのではなく、追放する」というZプランの発想へと繋げるべきだ。これにより、本作のラストで俊夫が語る「大きくなったら、火星のガメラに会いに行く」という夢も自然な形で抱かせる事が出来るはずだ。
何せ、本作のラストでのこの台詞は、それまで執拗にガメラを追い求め、悪者扱いする事に反対していた彼が、いかにも脚本の都合で急な心変わりをしたようにしか見えなかったからだ。
最も、この俊夫との奇妙な友情に比重を置く場合、東京襲撃シーンの被害描写も変更せねばならないが。
例えば、火炎放射はあくまで自衛隊の攻撃に対する防衛行動。街を蹂躙するのは、エネルギーの枯渇により餌を求めて最短ルートを選択した為といった具合に。
いずれにせよ、本作は人間ドラマの描写で大損している作品なのは間違いない。
【総評】
日本の特撮シーンにおいて、今やゴジラに比肩する程の人気キャラクターとなったガメラの原点は、そのあまりにもお粗末な人間ドラマのせいで大損をしている作品だった。
但し、ガメラの特撮シーンは素晴らしい出来で、一見の価値は間違いなくある。
ロケットでガメラを打ち上げ追放するというトンデモプラン含め、昭和ならではの緩さも味と言えば味である。
60年前のファーストガメラ
0007 どうやって子供だと認識するのだ?!
1965年公開
もともと大映が東宝に対抗すべく「大怪獣ネズラ」を企画。
本物のネズミを使って群獣のイメージを強めようとするも
ダニが大量に発生。製作中止となり従来の着ぐるみでゴジラに
対抗したのが「ガメラ」
白黒だからこその迫力ある登場シーン。
自動車の急ブレーキごとくの鳴き声
下から出た牙
それから空を飛ぶに回転ジェット(めぇ回らんのか?)
など既存の生物に重きをおいた東宝怪獣とは一線をひいた
特異なアイデアが光る。
しかし肝心の特撮はイマイチで
東京タワーが折れることなくそのまま倒れた~!
カメ80m体長でタワーにくらべてでかすぎん?
などうん?というところあるがそれはご愛敬。
充分東宝にひけをとらない一連のシリーズが
ここからスタートする。
70点
『1000℃にも及ぶ水蒸気でタービンを回す地熱発電所』???
『1000℃にも及ぶ水蒸気でタービンを回す地熱発電所』???
『そこへ行けば、1000℃にも及ぶ水蒸気が吹き出しているのかね』???
『司令官、核ミサイルの発射準備完了です』???
『冷凍爆弾???』
突っ込みどころが多すぎて、日本国憲法も物理学も諸共せず。
こんな映画で育ったのが恥ずかしい。けども僕は見たか見なかったかも忘れた。
やっぱり、大映は『大魔神』だねぇ。
評価しようがない。
しかも、生物学的に
『なぜ亀が二足歩行するんだ!?』
って我が亡父は言っていた。
追記 演技をしている俳優さんが恥ずかしげもなく、真剣に演技しているのが哀れに感じる。
このZ計画なるものは、現在の月面着陸と高層エレベーター計画と酷似している。勿論、人類の叡智では不可能でリスクがあり過ぎて、見返りが少ない計画である。もし、万が一失敗すれば、人類の滅亡に繋がりかねない。
『核廃棄物を月面へ』と言った計画なのである。近年それが明らかになるであろう。
あっけなく旅立ったものよ
火を噴き回転し空を飛ぶ巨大な亀の怪獣ガメラのオリジナルにある映画愛
1965年(昭和40年)初公開のこのガメラ映画第一作を田舎の小さな映画館で観たのは、私が小学2年生の時でした。ゴジラ映画に対抗した日本の新たな特撮怪獣映画を胸躍る気持ちで夢中になって楽しんだ記憶が、約58年の時を経て蘇ります。しかし、おぼろげながら記憶に残っていたのは、倒された灯台から落ちる俊夫少年をガメラが掌で受け止め命を救うシーンだけでした。今回懐かしく観て一番の驚きはカラー作品ではなく白黒映画だったことです。同時期の東宝ゴジラ映画がカラーなので、てっきりこの大映ガメラ映画もカラーと思い込んでいました。これは当時の私が白黒でも違和感なく観ていたことを意味します。今日のように色鮮やかなカラー作品が当たり前の時代ではなかったことを改めて痛感しました。そして第二作の「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」からカラー作品になったのは、この作品の大ヒットによるものと想像がつきます。その後第三作「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」第四作「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」第五作「ガメラ対大悪獣ギロン」と続けて昭和のガメラシリーズを小学校時代観ていくも、日本映画の斜陽に伴い田舎の映画館が閉館されたことと、子供向け映画への関心が薄れたことで、第六作以降は未見で終わりました。
しかし、今回見直して感心したのは、特撮技術の工夫や努力が予想以上に感じられたことでした。冒頭の謎の飛行機と追跡するアメリカ空軍のバトル、北海道に上陸して灯台を破壊するシーン、そして東京タワーをなぎ倒した後で火の海と化した石油コンビナートで荒ぶるガメラなど、ゴジラ第一作を意識したシーンも含め見応えがありました。35万キロの放電に耐える地熱発電所のシーンにそれを最も感じます。そしてガメラの特徴で異彩を放つのは、炎を吸い取ることと、四つの手足の穴から炎を噴射して高速回転をしながら円盤のように飛ぶことです。冷凍作戦によってひっくり返ったガメラが、そのまま餓死するだろうと安堵する人間たちの期待を絶望に変える、このアイデアは今観ても斬新です。また石油コンビナートの炎を絶やさないために石油搭載の貨物列車を突撃させる作戦は、「シン・ゴジラ」のクライマックスを彷彿とさせるものです。冷凍作戦と併せて共通するものがあり興味深く感じました。
ただし、作戦の立案から実行の展開が早くて、次から次へと編み出されるものが都合よく描かれてしまい、ストーリーに重みがありません。灯台守を父に持つ俊夫少年がガメラへの最終攻撃のアメリカ軍の核ミサイルを止めるくだりは、どうして内陸の危険な地熱発電所に家族皆いるのか意味不明です。核ミサイルを使うのも大胆無謀極まりなく、子供の時は亀に強い愛着ある俊夫少年と見えたかも知れませんが、今観るとその執拗な愛情が大人たちを困らせ迷惑を掛けるだけにしか見えません。子供向けを意識し過ぎて、子供に甘いストーリーになってしまっています。行動に子供らしい可愛げがもっと欲しいと思いました。演じた内田喜郎少年は撮影当時11歳の小学6年生ですから、キャラクター設定が幼過ぎたと言えるでしょう。それと自衛隊の軍事機密である冷凍爆弾がすぐ提案されたり、アメリカとソビエトの共同研究のZプランが日本の大島にある不自然さもあります。良く言えば奇妙奇天烈なストーリーを意図した怪獣映画の強行突破の勢いと潔さ。理屈では説明不可能です。
演技面では、名優船越英二の主演で大分救われていると思いました。この方の演技には品があり、また安心して観ていられます。カメラマン役の山下洵一郎は、他に若尾文子と共演の「越前竹人形」で知りました。姉桜井信代役の姿美千子も、市川雷蔵と共演の「剣鬼」で観ています。勿論このガメラ映画を観て大分経ってからの話です。脇役の常連と言ってもいい、左卜全、浜村淳、吉田義夫の三名は芸歴も長く、それぞれに面白いキャラクターをこの作品でも表現しています。面白かったのは、浜村淳の村瀬教授がガメラのことを“奴さん”呼ばわりするところでした。まだ完全に正体が分かっていないであろう怪獣にそんな言い回しは可笑しいですし、当時の言葉使いも偲ばれて笑ってしまいました。
見直して長短の両方を感慨深く認識することになりました。それでも当時の子供にとって、この映画はゴジラ映画に並ぶ娯楽作品として充分満足した映画なのです。そのために制作した大人たち映画人の努力は、子供向けと揶揄される偏見を乗り越えて真摯に立ち向かい結果を導き出したのです。今そのことに心から感謝する自分がいます。そのため星も考慮しました。
7歳の私なら、星は★★★★です。
衝撃の作戦によるラスト
◯ガメラ初登場
正義の怪獣ではない頃のガメラ
平成以降には無い炎を吸収する性質
エネルギーを求めて東京を蹂躙
白黒なので怖い
◯回転飛行
ゴジラ等にはないガメラ最大の特徴
最初に思いついた人頭おかしい
◯衝撃の作戦によるラスト
作中では亀の性質を利用した作戦など、
様々な作戦が展開される。
その中でも予想の斜め上を行くZ計画は衝撃的。
(ある意味オキシジェンデストロイヤーよりすごい)
△クソガキ
ガメラ名物のクソガキは初代から健在。
ガメラは友達と言い張り傍若無人の限り
△街破壊シーンが少なめ
東京を破壊するシーンがもう少し見たかったかも。
ポスターにある新幹線を持ち上げるシーンはなし。
△古代設定は生かされていない。
アトランティス出身の設定が最初にあるだけ。
平成ガメラファンからすると物足りないかも。
ガメラは止まらない...トシオも止まらない!!
「大映だってゴジラに負けない特撮作れるんですけおおお!!」というパワーが先走って有り余った怪作にして快作。いやもう終盤、涙流して笑っちゃった...こんな大昔にとんでもないジェットコースタームービーがあったもんだ。さながらウルトラマンタロウの濃い部分を10話分ぐらい濃縮して見たようなエキセントリックさ、エネルギッシュさ。この振っきった勢い、嫌いになれるわけが無い。そりゃ成功に結びつきますわ。
いやまぁ、B級グルメ的な判断での大好きなんで、星は少しだけ控えめにしておきます。でもニッッコニコで見終わったのは事実です。内心は星5あげたい 。
物語は北極に端を発する。
紆余曲折があって(ほんとにいきなりややこしいいきさつがある)氷塊に堕ちた核爆弾。その熱エネルギーを(たぶん)吸収し、アトランティスの言い伝えにある伝説の巨大ガメが姿を現す...!
文字通り原子爆弾をも含めた地上のあらゆる熱エネルギーはガメラの餌に過ぎず、おまけに空飛ぶ円盤さながらに高速飛行能力まで備えた完全無欠の大怪獣。その上空腹になれば無差別破壊を辞さない60m級の暴れん坊に、世界中の頭脳集団が頭を抱えるハメに。
実際、中盤までのガメラの被害は洒落にならないえげつなさが前面に出ており、現実での災害を捉えたであろう資料映像のインサートが安上がりながらも笑えない生々しさを出している。逃げ遅れた人々に直に火を噴く容赦ないカットまである。確かにここだけならゴジラにも増して怖いかも...って思ってしまう。
しかし決着が近づくにつれどんどんギャグ漫画じみた大味さを大特撮でもってお送りされるんだから色んな意味で堪らない。
視聴する子供たちの目線として、亀をこよなく愛するも周りの不理解に苦悩するトシオ少年というキャラが出てくるのだが(実際当時から亀は子供に人気の動物という認識があったっぽい)、ガメラに一度命を救われたことで自然とガメラにも情がわく。その後殆どのシリーズで踏襲されることになる「ガメラと子供たちの強い絆」の幕開けなのだが...本作に限って言えばまぁ割と一方通行な気がしないでもない。この後先述の大惨劇が挟まるわけで、これで「ガメラは本当は良い奴なんだ!」って泣きつかれても...うぅ〜ん...?
しかしガメラと同じくらいトシオ君も誰にも止められない。ガメラに会うためなら餌の列車に紛れ込むわ船に密航するわ...この手のキャラクターって上手く感情移入できる見せ方なら同情を誘うか、失敗例ならイラつかせるかどちらかだと思うのだが、この子はこう、突き抜けすぎてて...もうここまで来たらどうなっても本望だろうから好きにするがええ!という気持ちになってしまう。
最終作戦、人類に残された唯一の「ゼットプラン」でもって迎え撃つべく、世界一丸となってガメラに炎の餌を巻き、プランの待つ島へおびき寄せる。嬉しそうに火柱を吸いながら海を渡る姿に、あんなに怖かったガメラがチョロ可愛く見えてくる。またガメラが島に上がるか上がらないかの駆け引きが...そんな畳み掛けるような偶然ある?!って凄すぎて笑っちゃう。そして最後は...伝聞で知っていたとしても、是非あなたの目で見てくれ。投げっぷりがサイコーだから。ドラえもんの栗まんじゅう回かよ。
初代ゴジラが常に重々しいメッセージと切り離せない記念碑作であるのに対し、こちらは良くも悪くも、悪くも良くも、99パーセント娯楽に振り切ったことが分かるパニックモンスターものだが...これが昭和期では一躍大映を代表するスーパーヒーローになったり、平成初期を代表する名作特撮映画に繋がったりするんだから世の中何でも作ってみるもんである。って書くと何だか見下したふうに取られそうだが、メチャメチャクライマックスまでの瞬間最大風速がすごかったのも事実だし、ネタ的な評価抜きにしても映像の迫力はモノクロ映画であることすら忘れさせるほどに派手だったんで、...あまり頭を使って観るものでもないのでレビュアー様方の全体的な温度が低いのもわかるが...これもまた正しくエンタメだと僕は断じる。いやもう本っ当、こういうの大好き。
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私事ですが、一個前に見たディズニーの「ウィッシュ」云々が色んな意味で尾を引いてて...怒りに満ち満ちた文なのに過去一で伸びちゃったもんだから「次、何見ても感想言いづらいな...」とか、「大して嫌いでもない映画を、承認欲求のために大袈裟に悪く言うようなひねくれ者になっちゃったらどうしよう...」などという気持ちでいたのだが、この吹っ切れた痛快作がYouTubeでの無料公開という形で目に飛び込んできてくれたおかげで、全てがちっぽけに思えてきた。ガメラは子供の味方だが、今日に限っては僕の味方だった。
エゴが招きエゴが追放した怪獣
平成ガメラがそんなに面白くなかったからそもそもそんなに期待してなかったけど、ガメラのビジュアル以外特筆すべき点がほとんど見当たらない作品だった。50年代くらいの作品だろうとタカを括っていたのに65年製だというから驚きだ。ミニチュアセットを用いた特撮シーンはそこそこの出来だが、それ以外のシーンでは製作予算的な問題があられもなく露呈してしまっている。ただ、やはりガメラの凡庸なようでいて唯一無二なビジュアルとそこからくる存在感の強さは見ものだ。頭と四肢を殻の中に引っ込めて火を噴射させ、回転花火の要領で空高く舞い上がるガメラの姿は一度見たら忘れられない。飛行形態の美しさという点ではライバル社東映のゴジラをゆうに凌ぐ。まあ、ゴジラの飛び方があまりにも酷すぎるからなんだけども(『ゴジラVSヘドラ』参照)。原爆の惨禍から生まれたという出自や人間のエゴイズムによって忌避され退治されるという顛末は戦後スペクタクル映画の王道を征く怪獣だが、それにしても火星に追放とはあんまりにも気の毒だ。初代ゴジラとは違って人間に対する良心があるような描写があるにもかかわらず人間たちから容赦なく攻撃を受け続けるガメラに思わず肩入れしたくなってしまう。ちなみに第2作ではガメラを閉じ込め火星へ向かうロケットが隕石と衝突し、逃げ出したガメラが再び地球に戻ってくるところから物語が始まるそうだ。『エイリアン』シリーズかよ。
特撮はいろいろ工夫されて作られてるなー、と。
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