劇場公開日 1960年9月18日

「向かうところ敵無しの銭ゲババァ見参!!  大阪貧民街の簡易旅館を舞台にゼニと愛が飛び交う一周廻った道徳映画」がめつい奴 O次郎(平日はサラリーマン、休日はアマチュア劇団員)さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0向かうところ敵無しの銭ゲババァ見参!!  大阪貧民街の簡易旅館を舞台にゼニと愛が飛び交う一周廻った道徳映画

2022年11月16日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

CSの時代劇専門チャンネルの"蔵出し名画座"放送にて鑑賞。
 元々は前年の芸術祭主催公演用に東宝芸術座に書き下ろされた戯曲で、延べ9か月間の異例のロングラン公演の大ヒットとなったことで本映画版が製作された、との経緯のようです。
 こうした往年の貧民街の物語となると"金は無いけど心は豊かだった"的な人情噺にもっていくのが定石と思ってしまいますが、本作の登場人物たちは主たるというかすべての行動原理がゼニ勘定であり、それを卑下するどころかむしろ誇って堂々と生きている姿が清々しいです。
 モラルも他人への情愛も他のすべてはゼニ勘定の先にあり、されど持たざる者から必要以上には取り立てず、逝んだ者からは後腐れなく頂戴する…狭い社会の中で持ちつ持たれつの循環型土着経済が確固として確立されています。
 ゆえになかなか這い出られないアリ地獄のようでありながら、果たしてそれは不幸せな生活なのか・・・ある種のユートピアの是非を問うた作品でもあるように思いました。
 冒頭からして、地域内での車同士の交通事故が発生するや周辺住民たちが俄かに色めき立ち、両車のドライバーを医者に連れて行った隙に車をみんなして素手や工具であっという間に解体して山分けしたスクラップを競りにかける、という破天荒な滑り出し。
 住民たちの貧しさゆえの突き抜けた逞しさ抜け目のなさを表象するとともに、壊れたものは頂戴するけれども他人様から直接奪ったりはしない、という線引きが共有されているモラルのローカルルール化も垣間見られて面白いところです。
 人生の紆余曲折を経て財産を失って此処へ流れ着いた者もいれば、生まれつきこの地域に住んでいる者もおり、他人からせしめることはあっても奪い取ることはしない、という自己完結した地域内経済を支える自然発生的な暗黙の取り決めを感じさせます。
 わかりやすい人情喜劇でなく、愚直に己の信念に真っ直ぐに生きる人々のふてぶてしさが却って利口にスマートに生きる普通の人々の滑稽さを暗に糾弾しているかのような洒落た構成がゆえに、当時としても評価されつつ長年愛されている由縁なのかも、と思った次第です。

O次郎(平日はサラリーマン、休日はアマチュア劇団員)