「村上春樹の処女作を大森一樹が映画化」風の歌を聴け 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
村上春樹の処女作を大森一樹が映画化
本を読みたくなりました。もしくは、読まないとマズいのではないか?
とも思ったけれど、取り敢えず、映画は映画ですので、この映画を観た感想を、
書こうと思います。
1981年。監督:大森一樹。
小説刊行が1979年7月ですので、かなり速攻で映画化されたことが分かる。
主人公の僕(小林薫)は大学生で、東京の大学に通っていて、
神戸に帰って来た夏休みの2週間の出来事を回想を交えて描いている。
友だちの鼠(アーチストの巻上公一)
ジェイズ・バーのオーナーのジェイ(坂田明)
ジェイズ・バーで倒れる小指のない女(真行寺君枝)
僕と鼠と小指のない女の3人を中心に置いて、
僕のエピソード。
今までに性的関係を持った3人の女の紹介・・・2人は言葉で説明され、
実際に登場するのは、3番目の女子大生だけ・・・20歳の室井滋がヤケに可愛く初々しい。
鼠は金持ちの息子で、金持ちであることを恥じている。
8ミリで自主制作映画を撮っている。
(ラストでお披露目されるが、サイレント映画で、ただただ《穴を掘る男》の映画。
(この映画のオチも、ブラックで面白い)
僕は常に淡々として、大人びている。
小指のない女が好き・・・なのだろうが、
流れに任せて、無理をしない男だ。
小指のない女・・・主人公の僕を、特に好いてはいない。
むしろ《嫌な奴》とメモ書きを残すくらいなのだ。
鼠の父親のエピソード。
(金持ちになるには、目先の利く、頭のいいところが必要)
そして鼠は彼女(金持ちの囲われ者)と別れ。
僕の3番目の女は首を吊って自殺する。
そのシーンもあくまで淡々としているのである。
村上春樹の小説(それも長編を)を映像化するのは、
文章を映像に置き換えるのは、とても難しいことだろう。
「風の歌を聴け」の芥川賞選考での、瀧井孝作の選評・・・。
「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたようなハイカラでバタくさい作品、
・・・・私は長い目でみたい』と、述べ、
大江健三郎は・・・
「今日のアメリカ小説を巧みに模倣している。
が、彼独自の創造へ向けて訓練する、そのような方向付けがないので、
作者自身にも読み手にも無益な試み」と、述べている。
(結局、芥川賞には選ばれなかった)
一方、大森一樹は自身の映画の《好きな作品トップ》3に入ると言う。
真行寺君枝は「私の代表作。大変な低予算だったが、あれほど楽しかったのは後にも先にも、
この一本に尽きます」と述べている。
映画は実験的手法を多く使っている。
鼠のフィルムをサイレント映画で表現したり、
「僕」と「小指のない女」のベッドシーンでは、
会話が字幕になって示されたり、
おふざけも随所に見られるので、結構笑った。
エピソードを羅列して・・・しかし、それぞれが面白い。
一見脈絡のない映画のようでいて、かなりまとまっているのだ。
神戸の町や港を写した映像は、建物が古臭くても懐かしいし、港はやはり港で、
変わりなく美しい。
ちっちゃな僕の赤いマイカーが、走る姿もかわいい。
音楽のチョイスも凝っている。
ラストにかかるビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」も、
懐かしい。
神戸の町、映像、音楽、会話。
そのどれもが1980年代の時代を焼き付けている。
村上春樹とは、世界標準の自由人、だと思う。
サラリーマンにならない事を選択した男。
(小林薫はジャガイモ的風貌で村上に似ていなくもない)
(撮影当時30歳近くで、若者の行き先が決まず漂流する感じは、薄い。
(十分過ぎるほど大人だった)
大人になりきれない雰囲気は全体に良く出ている。