「あとは金田一さんにお任せ」鍵(1959) よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
あとは金田一さんにお任せ
市川崑の作品で、これほど惹き込まれなかったものは今までなかったように記憶する。
谷崎潤一郎の変態文学が原作なのだが、あまり変態じみていない。特に中村雁治郎の京マチ子への執着ぶりが大人しく描かれているから、嫉妬深いじじいにしか見えない。やはりここは変態ド助平な雁治郎でなくては、観客を深淵なる人の心の闇に誘うことはできない。
古美術の小道具もいま一つで、座敷に転がされていた仏像も、老人がエロスを感じるにはただの朽ちた丸太にしか見えない。これでは最初から、落ち目の鑑定家という状況が観客の目に晒されていることになる。
つまり、ラストで明らかになる事実上の一文無しの一家という衝撃は、予めのこの状況の開示によって無効となっているのだ。
救いは、最後に北村谷栄の家政婦が、缶底に「どく」と書いてあるのを確認したうえで、農薬をサラダにふりかけて主人らに食べさせるところである。これは、中盤で磨き粉と農薬の容器の間違いを咎められた北村が、その中身を入れ替えたことによる結末である。
警察には自分が殺したと白状するのに、刑事たちはそれを信用せずに自殺だということで事件を終わらせようとしている。まるで、金田一耕助が現れるまで、この事件が解決をみないという言いたげな終わり方である。
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