劇場公開日 1992年6月27日

「国の威厳。」おろしや国酔夢譚 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0国の威厳。

2022年8月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

1992年公開。
まだバブルの勢いが残っていたころ。
ロシアの大掛かりな協力を得て、制作された映画。
 イルクーツクに、200年前の33万平米もの市街地を再現。しかも、歴史的建造物を補修して移築。(跡地は公園となったとか)
 ペテルブルグでは、史上初エカテリーナ宮殿内での撮影。他にも、当時の建物・宝物を特別許可のもと使用。
 ロシア側の風俗(衣裳や鬘他)は、ロシア側の専門家が時代考証をしたとか。船も?
 日本でも、京都・西本願寺内で撮影。
  (当時のフライヤーや記事から)
 CG処理のなかったころの作品。
 あれもこれも実写。大掛かりなロケ。
 女帝との謁見の間は、ベルサイユ宮殿の鏡の間を想像すると小さく感じるが、撮影に使えたエカテリーナ宮殿の一室と思うと、ため息が出る。

 しかも、ソ連崩壊が1991年12月26日。ソビエトが内部分裂を起こし、主権国家としての存続を断念した日。ゴルバチョフ氏が、政治的行き詰まりと経済的後退を食い止めるために行った改革に終止符を打った日。
 手元にある記事には、1991年4月27日、新潟空港からロケ隊が出発とある。4月末~7月半ばまでイルクーツクとレニングラード(現ペテルブルグ)で、10月下旬~12月半ばまでヤルタ、ヤクーツクとイルクーツクで撮影だったと。混乱していた中での撮影?それでもこれだけのことができてしまうんだと驚愕。否、ロシア側からしたら経済的苦境からの脱出を試みたプロジェクトだったのかな。
 核保有を背景とした冷戦に終止符をうったゴルバチョフ氏。恐怖と威嚇による支配ではなくて、両者手を取り合うプロジェクト。

☆ ☆ ☆

1989年に冷戦の終結が宣言され、1991年にソ連が崩壊したとはいえ、昭和世代にはソ連はとっても遠い国。
 その、ソ連・ロシアでのロケ。まだ見ぬ憧れをかきたてられる歴史ロマン。
 驚きと共に、その国民性にワクワクしながら鑑賞。
 日本人から見たら”キリスト教”と一色単にしたくなるが、ロシア正教か?教会の雰囲気も、”西洋諸国”とは趣が違う煌びやかでありながら朴訥とした温かさ。

ロシアの温かい人情。雄大で猛威をふるう自然。
シベリア鉄道でユーラシア大陸で駆け抜けたくなった。

☆  ☆  ☆

どこで生き、どう死ぬのか。
望まぬ体験を強いられた人々。
 「帰りたい」でも「こんなに年月が経ってしまっているのに、待っていてくれるのか」。「待っていてくれているはず。だからこそ会いたい」ー映画『ひまわり』が頭をよぎる。
 もしかしたらの未来より今の選択。
 死後、野ざらしになる恐怖。野犬等に食い散らかされるより、ちゃんと埋葬されたい。キリスト教国ではキリスト教者以外は教会で受け入れてくれずに野ざらしになる。キリスト教者となれば、祖国では弾圧の対象となる時代。とはいえ生きて祖国に帰れる保証もない。究極の選択。
 それでも忘れられない故国。仲間の願い。
 皆で帰ろう。その想いが命を支えるも、月日が経つにつれて様々な想いが交錯する。
 そんな物狂おしいほどの想いが切ない。

一介の商人が、国の最高権力者に会う。直訴。当時の日本で行ったら死罪に充当する行為。それでものこの思い。この封建社会の中で、それが叶う、それ自体が奇跡。台詞で語られるように、光太夫の人格が周りの人を動かして為し得たこと。
 と、頭では考えるが、映画の中では、苦労は語られるが、スムーズにことが進む印象が強い。でも、かかった年数を考えれば、ものすごい苦労があったのだろう。

海のこと、船のこと、外交、法律を知らぬ身には、勝手に船を作って帰っちゃえばいいじゃないという想いもぬぐえないが、そうもいかないのだろう。(映画ではそのあたりの説明は全くない。他の方には自明のことなんだろうと自分の無知を思い知る)

日本の引き取りも、海岸で役人が数人いるだけで、「え?これだけ?」とゾンザイな扱いに見えた。だって、鎖国している日本にとったら、元寇が襲ってくるようなことでしょう?その後のペリー艦隊に対する対応と比べると、あれ?という感じ。
 ロシアの船も小さいし。
 でも、ロシア側は時代考証したというし、史実に基づいているのだろう。日本側も、ロシアを刺激しないために少人数で来たのかもしれない。ペリーの浦賀に比べると、江戸からかなり遠いし。

原作未読。あの井上靖さんの作品。かなり端折って映画化されたらしい。
 映画に関しては、上記のような小さな違和感がふつふつと・・・。壮大なる絵巻なのだが、上滑りしている感もなきにしもあらず。

それでも、役者の迫真迫る演技には胸を打たれる。芸達者と名高い人々をこれだけ揃えている映画としても見どころある。
 特に、緒形さんは、背筋も凍るような極悪人から、この映画のような人を魅了してやまない実直な人物まで演じきり、改めてすごい役者だと鳥肌がたつ。
 そして、女帝の前での歌(語り)。『俊寛』とみた。能舞台か?流刑に会った俊寛が、島から離れていく船を、京=故郷に帰りたい一心で見送る場面。義太夫なら、許されて帰れるはずが、若いカップルにその権利を譲ってしまい、一生帰れない選択を自らする。それなのに、それだからこそ、いざ船が出てしまうと、帰りたい気持ちがあふれ出てくる場面。プロとしての洗練された芸ではなく 、想いの限りをぶつける。それでいて、パントマイムのような振り。見事。女帝が迫力負けして退散しようとする気持ちがよくわかる。

映像も迫力満載。

大黒屋光太夫。その生涯は色々な人の心を惹きつけ、井上靖さん以外の小説もあると聞く。
 映画のキャッチコピーは「ロシアで見たことは夢だったのかー」「鎖国の世に世界と出会った男がいたー大黒屋光太夫」「壮大な時空の中で男達は何を見たのか」
 映画では光太夫と生死を共にした仲間との顛末に心を揺さぶられる.
 だが光太夫はただ”故郷に帰りたい。家族をはじめとする親しい人に会いたい”だけではない。回船(運輸船)の船頭親方でもあるからか、元々の性格からか、好奇心が強く、希望を捨てない。おろしやで見たこと学んだことを日本に持ち帰って、皆に知らせたい、役立たせたい。先見の明。そんな思いにも溢れている。
 そんな大黒屋の想いに対する、異国での人々の温情。故国での政府の非情。やるせない。
 ロシアでは壮絶な苦労も語られるが、筋だけ追えば、上にも記したように、比較的スムーズに運んでいるように見えてしまう。光太夫は実直な人柄として描かれ、その想いに周りが動かされたかのように、物語は進む。ロシア側の人情にあふれている。
 だが、恋焦がれた日本を目の前にした途端・・・。この落差を際立たせたいがための、ロシアの描写?

国の威厳。
 余裕で他者を受け入れる帝政ロシア。
 他者を受け入れられない日本。そして今のロシア。
 どちらが、国の威厳を示せるのだろうか。

こんな風に、お互い利権・思惑はありつつも、こんな風に交流で来ていたら、戦争なんて起こらないのになあ。

とみいじょん