お引越しのレビュー・感想・評価
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傑作!痛いくらいリアル、そして幻想的!
この作品を4Kリバイバル上映されるまで見逃していた(知らなかった)ことに後悔してます!たぶん子持ちの家族の方が鑑賞されたら、私みたく身につまされ胸が辛くなる人も多いかもしれません。
関西弁(京都弁?)ですし、人物の配置からして名作「じゃりン子チエ」の実写版かと思い、ヒューマンコメディを想像して最初気楽な感じで鑑賞しはじめたんですけど、全く逆でした。
最初の三角テーブル(こんなんどこで買う?)のシーン、「関係崩壊した夫婦間の凍てつき重い空気の中で、必死に場を和ませようと要らんこと話す、レンコ(若き田畑智子さん)の姿」が印象的でした。この違和感アリアリの雰囲気を一瞬で表現しこの家族の関係性を明確に示す演技は、父役の中井貴一さんは勿論素晴らしかったですが、びっくりしたのが妻なずな役の桜田淳子さんの演技です!もう、名演って言っても良いくらいの迫真の演技じゃないでしょうか。冷徹な妻(笑)と優しい母の演じ分けがあまりに自然過ぎてちょっと恐ろしいくらいでしたよ。思えば作品公開ほぼ同時期に彼女の身辺で起こった出来事により、彼女の芸能活動が実質不可能になってしまったことが悔やまれてなりません。
シナリオも秀逸で夫婦間の関係崩壊の理由が、ステレオタイプで分かり易い「男の浮気」とミスリードさせつつ、「妻の不倫」も匂わせつつ・・・一番厄介な「感情的な嫌悪感の継続による人格否定」に落ち着いちゃうのが、リアルすぎで男性側として個人的に胸が痛いです(笑)。
各々のアイデンティティやプライドの保持の為に大人になると何だか難しい手順や駆け引きが必要なのに対し、レンコの小学校の男友達が「レンコが転校したら困るわ〜」って、なんの飾りもなくストレートに自分の言葉として伝えているのを観て、ほんま良い友達やなあ、と胸が熱くなりました。
物語終盤は、古来から続く日本の祭りをモチーフにしつつ幻想的なシーンで締め括られていて、レンコの自立が暗示されてて良かったと思います。
この機会にぜひ映画館でご鑑賞ください!
大人の都合に振り回される子供の心情と実情
冒頭、加速度に満ちた躍動感を見た時、この映画の成功を確信した
京都を舞台に、それまで家族だった3人の心が離れて、初めて過ごしたひと夏の物語。
冒頭から、11歳の主人公のレンコ(オーディションを経て選ばれた田畑智子)が躍動する。その加速度に満ちた走りを見た時、この映画の成功を確信した。この高い運動性は、無駄な悩みや不安を駆逐するから。ただし、レンコは、両親が別居することになり、父親であるケンイチ(中井貴一)が家を出て行き、母ナズナ(桜田淳子;好演)と暮らし始める。テーマは、子の旅立ちにあると思われ、その背景に家族や社会、自然、ひいては宇宙が存在しているのだと思った。一言で言えば、テーマは生きること。いつもの相米慎二の長回しだけでなく、室内の会話では、鏡を利用した展開もあり、コッポラの影響かと思った。
一番目立つのは、自然界の水と火。引越しの前夜の梅雨からはじまり、梅雨の上がる直前には豪雨(黒澤の映画を思わせる)があり、京都の夏を告げる祇園祭がはじまると、庭には水が打たれ、山向こうの琵琶湖のお祭りでは、おじいさんに水をかけられる。この船幸祭の祭礼は、湖上で行われる。一方、引越しの時のゴミ出しにくすぶる火に始まり、小学校の実験室のアルコールランプ、夏の終わりを告げる京都の大文字焼き、琵琶湖の祭りの花火、湖上で燃えさかる船。水と火が何を意味するのかは知っているから、映画の終盤はひたすら、何が起きるのかと思い怖かった。
心に残るのは音、梅雨や豪雨の雨音に始まり、夏の到来を告げる祇園祭のコンチキチンの鉦(電話の背景に聞こえ、相手とつなぐことも)、琵琶湖のほとりで坂を駆け上がる時の下駄の響き、炎がはじける音、でもそれだけじゃない。室内でも、紙を破る音、話し声の背景で、大根をおろす音が伴奏になっていた。しかも、前半には、リュート(あるいは琵琶)の響き、中盤では二胡を弾いているらしい音楽も聴こえた(これは、三枝さんの考えだろうか)。この映画がヨーロッパでいち早く再評価されたのも、音楽から連想されるシルクロードを思わせる世界観も一翼を担ったのかも。どだい祇園祭の背景には、ペルシャを含む世界がある(インバウンドの人々の圧倒的な支持を得ている理由でもある)。レンコとナズナの二重唱も、爆発的な世俗曲の歌唱もあったが。実は、これだけ、自然界の音や音楽が聞こえると、逆に静寂が極めて強い印象を与える。躍動感と静寂の強い対比。
役者さんでは、中井貴一は、いつものように飄々としていた。彼は、日本を代表する2枚目俳優であった父、佐田啓二と比較されて、どれくらい苦しかったことだろう。桜田淳子が秋田美人であることも改めて意識したが、体型の変化に触れていたことが可笑しかった。これがキャリアの最後になるなんて、あり得ないことだ。バッシングを気にする必要は全くない。信教は、個人の自由だ。田畑智子には、現在ではありえない相米の強い演技指導があったに違いない。
相米慎二が私たちに遺してくれた傑作をまた一つ知ることができたことを何よりの喜びとしたい。
田畑智子ちゃん、えらいなあ
いい映画に出させてもらって、たくさん走って、逆立ちして、ボクシングして、水ん中に入って、台詞も覚えて。ちゃあんと主役演技して立派でした!中井貴一も桜田淳子もよかった。桜田淳子はミニスカートの脚の形も美しく演技もナチュラル。もったいないなあ。同世代のアイドルにはこんな役、誰もできなかったと思う。未来の彼女の演技を見たかった。
京都の人達のコミュニケーション・スキルは小学校のあのワシャワシャ状態で鍛えられるんだなあ。「・・・じゃん!」を気持ち悪いってはっきり言うし。
今は年末です。「おめでとうございます!」の時季がもうすぐ来る。染之助染太郎、二人ともとっくに亡くなってしまった。
おまけ
レンコ(田畑智子)がトイレに閉じこもったときでしたっけ?その時、オー!とびっくりしたのは、洋風トイレの横に男性用小便器があったことです。実家にも部屋別セパラートで両方あったんですが大昔。なんか驚きました。
田畑智子氏がデビュー作とは思えない『じゃりン子チエ』竹本チエのような元気ハツラツとしたレンコを演じており白眉
Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下さんにて「第80回ベネチア国際映画祭」クラシック部門で最優秀復元映画賞受賞した相米慎二監督作品『お引越し』と『夏の庭 The Friends』の4Kリマスター版が《凱旋》公開。上映後には『セーラー服と機関銃』で助監督デビューした黒沢清監督、行定勲監督、瀬田なつき監督、森井勇佑監督、山中瑶子監督、映画ライター金原由佳氏のトークショーも開催。
『お引越し』(1993)
両親が離婚を前提とした別居生活に入り、父親(演:中井貴一氏)が家を出たため、母親(演:桜田淳子氏)とふたり暮らしになった小学6年生レンコ(演:田畑智子氏)の新生活に馴染もうとする少女の揺れる心の葛藤と成長を描いた京都を舞台にしたドラマ。
本作がデビュー作の田畑智子氏がデビュー作とは思えない『じゃりン子チエ』竹本チエのような元気ハツラツとしたレンコを演じており白眉。相米監督『ションベンライダー』『台風クラブ』同様に、ごく短い期間(夏休み)の主人公の成長を見事に体現していましたね。
桜田淳子氏も本作が現時点では最後の出演作。女優としても脂が乗ってきた時期だっただけに惜しかったですね。
本作は海外(フランス)でも人気とのことですがソフィ・マルソー『ラ・ブーム』(1980)みたいに離婚率の高いフランスのお国柄もあるのかもしれませんね。
田畑智子の存在と、え⁉︎桜田淳子
おめでとうございます
独り一晩中、歩き続ける非常に長いシーンを経て、こちらも半ばまどろむ中で、明るむ湖畔に描き出される幻想的な画に繰り広げられる悲しき定め、自身の体験が重なりあって心が締め付けられる刹那に、それを切り裂く「おめでとうございます」の声。最初見て、訳もわからないぐらい泣けたのを思い出す。自分の幼さを抱きしめ、大人になった自分を積極的に受けとめる主人公。初潮と水に浸かるシーンはションベンライダーにも出てきたが、単に一少女のイニシエーションではなく、さまざまな祭りをモチーフに生と死を繰り返してきた人類の営みをも包含する名シーンである。
京都を舞台に田畑智子の表情が映える。日本の名画を立て続けて観たような表現の豊かさ。こちらが捨ておけない目力の強さを持つ。
桜田淳子も負けてはいない。ガラスを叩き割った後の形相。確かに「なんやその眼は」、しかし母親の眼の方が更にいっている。中井貴一も甲斐性なさをよく演じている。彼なりの一所懸命、役に罪を着せない演技。
男女関係の破綻ぶりも群を抜いた描き方で、その空気のいたたまれなさ、もはや修復不可能である様をこれでもかというほど盛り込んでくる。「良かったときみたいに3人で揃ってしもうて」と涙する桜田淳子。生理的拒否反応。殺傷力高し。
光と影のコントラストがついた画作り、鏡への映り込みだとか、急に大雨だとか、田畑智子の走る姿だとか、印象的な画が多い。監督作品初期に目立った奇抜さは不自然さがとれ、円熟味を増したというか、これまでやってきたことをうまく承継しながら、ここに大輪の花を咲かせた。
どうでもいいが、主人公の作文発表に続く子供の作文が酷すぎる。笑いもしっかりとってくる。
子供から大人へ
『お引越し』というタイトルは、物理的なお引越しという意味ももちろん含んでいますが、精神的な、つまり子供から大人へのお引越しも含みます
この映画の主人公の年齢である12歳という年齢は、子供から大人へと移り変わるちょうどその境目となる年齢です
スタンドバイミーに登場する少年たちもちょうどこの年齢です
彼らは、それまでは大人に引っ張ってもらい人生を歩んできた訳ですが、この年頃になると少しずつ親からの自立を始めます
この映画は端的に言えば、ある少女の親からの自立物語です
最終的に彼女が自立出来たことは、最後、お母さんと2人で電車に乗って帰るシーンから感じ取ることができます
2人は電車の中で童謡『森のくまさん』を歌います
ある日(お母さん)
森の中(お母さん) 森の中(レンコ)
くまさんに(お母さん) くまさんに(レンコ)
出会った(お母さん) 出会った(レンコ)
花咲く森の道くまさんに出会った(一緒に)
くまさんの(レンコ) くまさんの(お母さん)
言うことにゃ(レンコ) 言うことにゃ(お母さん)
お嬢さん(レンコ) お嬢さん(お母さん)
お逃げなさい(レンコ) お逃げなさい(お母さん)
短いシーンですが、1番と2番でお母さんとレンコの順番が入れ替わっています
これまでお母さんに引っ張ってきてもらったレンコが、自立してお母さんを引っ張って行く側になった事をたった30秒程で表す素晴らしいシーンでした
もう1つ、印象的なシーンがあります
同じクラスの敵対している女の子と和解するシーンです
それまで、その女の子が仲のいい親を僻む様子を理解できず、いじめに近い行動を取ってしまいます
しかし、自分自身が親の離婚を経験することで、その女の子の気持ちが分かるようになります
その結果、その女の子と和解することができました
痛みを知っている人間は人の痛みが分かるようになります
人の痛みが分かる人間は人に優しい人間になれます
その事を経験した彼女はきっと誰よりも強く優しい大人になっていくことでしょう
そんな希望を感じさせる素晴らしいシーンでした
母がこうであって欲しいと望む娘を、大人になった漆場レンコが演じ、その漆場レンコを役者の田畑智子が演じる、まるでマトリョーシカのような強烈な名シーンです
相米監督の看板というべき、ワンカットワンシーンの撮り方は本作では誠に自然で、逆にそれを感じさせない程です
本作の登場人物達と同じ時間を共有して私達は映画の中に入り込んでしまったかのような錯覚をもたらしています
主演の11歳の田畑智子演技は最早役の人物が乗り移ったかのようです
祇園の生まれ育ちだからこそのネイティブな京都弁が心地良いです
中井貴一の京都弁は方言指導を受けたことが分かります
しかし驚くべきことに秋田県出身の桜田淳子が極めて自然な京都弁を自在に操っているのです
恐ろしく自然な京都弁を話しています
驚嘆しました
そして演技もまた驚嘆すべきレベルでした
俳優としても一流です
もったいないことです
彼女はこの直後統一教会の合同結婚式で家庭に入ってしまったのですから
瀬田のロイヤルオークホテルに家族が揃ってからの展開がクライマックスです
彼女は花火を見上げていた時に大人の女性に心も体も成長したのだと思います
山中をさまよい歩き湖水に吸い込まれようとした時に彼女はおめでとう!と繰り返し大きな声を上げます
彼女は自己を第三者の目で客観的にみる大人になったことを自覚したのです
終盤の列車の車中で童謡を母と歌うあどけない彼女の姿は演じているものです
母が求める娘の姿を演じて見せているものなのです
母がこうであって欲しいと望む娘を、大人になった漆場レンコが演じ、その漆場レンコを役者の田畑智子が演じる、まるでマトリョーシカのようなシーンなのです
彼女がシームレスに重なりあって渾然と一体化していたのです
強烈な名シーンだと思います
ラストは、見た目も行動も変わらない子供のままのヒマワリ柄のワンピースです
ヒマワリとは太陽に常に顔を向ける花なのです
そして中学生の制服姿のラストシーンです
光線は夕日を思わせます
彼女は見た目は中学生でも心はもはや夕日を知る大人になっていたのです
傑作です
全35件中、21~35件目を表示