お早よう

劇場公開日:1959年5月12日

解説

「彼岸花」につづいて野田高梧と小津安二郎が書いた脚本を、小津安二郎が監督した、大人と子供の世界を描いた一篇。撮影は「春を待つ人々」の厚田雄春。

1959年製作/94分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1959年5月12日

あらすじ

東京の郊外--小住宅の並んでいる一角。組長の原田家は、辰造、きく江の夫婦に中学一年の子・幸造、それにお婆ちゃんのみつ江の四人暮し。原田家の左隣がガス会社に勤務の大久保善之助の家。妻のしげ、中学一年の善一の三人。大久保家の向い林啓太郎の家は妻の民子と、これも中学一年の実、次男の勇、それに民子の妹有田節子の五人暮し。林家の左隣・老サラリーマンの富沢汎は妻とよ子と二人暮し。右隣は界隈で唯一軒テレビをもっている丸山家で、明・みどりの若い夫婦は万事派手好みで近所のヒンシュクを買っている。そして、この小住宅地から少し離れた所に、子供たちが英語を習いに行っている福井平一郎が、その姉で自動車のセールスをしている加代子と住んでいる。林家の民子と加代子は女学校時代の同窓で、自然、平一郎と節子も好意を感じ合っている。このごろ、ここの子どもたちの間では、オデコを指で押すとオナラをするという妙な遊びがはやっているが、大人たちの間も、向う三軒両隣、ざっとこんな調子で、日頃ちいさな紛争はあるが和かにやっている。ところで、ここに奥さん連中が頭を痛める問題が起った。相撲が始まると子供たちが近所のヒンシュクの的・丸山家のテレビにかじりついて勉強をしないのである。民子が子どもの実と勇を叱ると、子供たちは、そんならテレビを買ってくれと云う。啓太郎が、子供の癖に余計なことを言うな、と怒鳴ると子供たちは黙るどころか、「大人だってコンチワ、オハヨウ、イイオテンキデスネ、余計なこと言ってるじゃないか」と反撃に出て正面衝突。ここに子供たちの沈黙戦術が始まった。子供たちは学校で先生に質問されても口を結んで答えないという徹底ぶり。この子供たちのことを邪推して近所の大人たちもまた揉める。オヤツをくれと言えなくて腹を空かした実と勇は原っぱにおヒツを持出して御飯を食べようとしたが巡査に見つかって逃げ出し行方不明となった。間もなく子供たちは駅前でテレビを見ているところを、節子の報せで探しに出た平一郎に見つかった。家へ戻った子供たちは、そこにテレビがおいてあるのを見て躍り上った。停年退職した富沢が電機器具の外交員になった仕事始めに月賦でいいからと持込んだものだった--。

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(C)1959 松竹

映画レビュー

4.0 子供たちの反乱

2025年8月10日
PCから投稿

庶民の家庭にもテレビが普及し始める頃
親の言いなりになるだけじゃない子供たち
その吸収力に戸惑いタジタジとなる大人たち

小津監督はその生意気で愛すべき姿を捕らえ
彼らと彼らに振り回される大人を映画にした。

この作品に限らず子供たちの言葉に注目している。
皆、小生意気でも案外理に適っているのが分かる。

'60年代に入るとテレビは色々なものを発信し
映画の時代は衰退、新しいメディアの時代になる。
子供たちはさらにアップデートし羽ばたいてゆく。

これは子供たちの反乱の始まり
怒られてもへこたれない
彼らのルールにのっとり
上手くやっているのだ。

当時の日本の生活文化の姿は
いい時代であり戻れない時代
それで良いと今思う。

良い俳優が多数出演し
さりげなく演じている。

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星組

4.5 大人の挨拶

2025年2月23日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1年前にDVD観賞した小津監督「彼岸花」(58)がツボにはまり、今作を観てみました。あとで知りましたが、製作年が1959年なので、ちょうど当時の人達と同じ間隔で「彼岸花」と「お早よう」を観ることができました。両作品の題材は全く違いますが、当時の日本人の日常生活に在る些細な出来事を丹念に拾い上げて、あるがままをフィルムに焼き付けているような印象を受けました。今作では、昭和30年代の三種の神器(白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫)のうち、白黒テレビをモチーフにちょっとした騒動が起きます。町内会費の滞納、子供のハンガーストライキ、ボケ老人の存在などがコミカルに描かれていて、クスクス笑ってしまいます。鍵のかかってない玄関から近所の人が入ってきて声をかけ合う日常は隔世の感がありますが、やっかみや誤解から変な噂話が盛り上がっていくところは今も変わらないようでもあり、古い中に新鮮な発見もあってとても面白かったです。小さなエピソードから成る構成の妙でとても引き込まれました。タイトルにある「お早よう」の意味が終盤からラストにかけてリフレインされる展開がすばらしく、何ともいえぬ穏やかな気持ちになりました。小津監督のやさしい眼差しを感じる作品でした。

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赤ヒゲ

4.0 おでこをつつくと屁がでる芸

2024年12月29日
PCから投稿

1932年の無声映画「大人の見る繪本生れてはみたけれど」をセルフリメイクしたものだそうです。彼岸花につづいて2本目のカラー映画になるそうです。Plexという無料ではありますがCMの多いストリーミングサービスで見ました。

小津安二郎お得意の父娘哀話ではなく、平屋がならんでいる郊外で、お隣と密接に関わって暮らしている人々が巻き起こす、謂わば長屋風のコメディになっています。
舞台は助産婦という看板が目立つ公社住宅風の家並みです。昭和半ばごろまで、子供を産むのに病院へ行くのではなく地域の助産婦さんがそれぞれの自宅へ赴いて分娩を手助けしていたそうです。

中学生と小学生の兄弟、実と勇は、勉強もそこそこにしてテレビのあるお隣宅へいりびたって相撲を見るのが日課になっています。
しらべてみると1953年にシャープが国産第一号テレビを発売したそうです。1959年の映画公開当時、テレビはまだ高嶺の花だったことでしょう。

テレビ所有者であるお隣の男を大泉滉が演じていました。昭和時代、よく見たクォーターの喜劇役者で、顔がダリっぽくダリ髭をつけるとそっくりでした。概してダメ亭主を演じる俳優でしたが、ここでもボヘミアン風の男で、夜職風の女と同棲しています。

この男女はその賤業気配や風体によって近所の主婦たちから白眼視されています。実と勇の父母(笠智衆と三宅邦子)もそこへの出入りを禁じようとしますが、兄弟は隣へ行かせたくなければテレビを買ってくれと駄駄をこねます。

要求を塞がれてしまった兄弟はしまいには結託して緘黙(しゃべらないストライキ)を実施し、兄弟がしゃべらなくなったことで親たちや学校へ不協和が波及していくというドタバタ劇になっています。

子供のころ、友達や兄弟と遊びでなにかの取り決めをしたとき「タイム」を設けておくことは重要でした。たとえば「だべさ縛り」で話すことにしても「タイム」を宣言すると縛りが解除され、親や学校と接するときは「タイム」にしておくことで、取り決めを破棄することなくやり通せるわけです。

しかし実と勇のしゃべらないストライキは基本的にタイムなしでした。弟・勇は緘黙にタイムはありかと兄・実にたずねますがタイムなしと言われてしまったので、学校でも律儀に黙ったままやり通します。ただし常にタイムのサイン──所謂okサインを出して口を開く許可をもとめていました。その姿がけなげで勇を演じた豊頬の子役(島津雅彦)は映画の実質的な主役といえるアイキャンディになっていました。

兄弟の反抗期を通じて、小津安二郎が言いたかったのは、大人の会話のもどかしさです。
父親に「余計なことを言うな」としかられた実が「大人だって(余計なことを)言うじゃないか、お早う、こんばんは、こんにちは、良いお天気ですね、って」と反論したことが題名になっていますが、挨拶はともかくとして大人の会話が目的や立場や状況などによって余計な枝葉をつけるのは社会の理です。ご近所づきあいとテレビ騒動を通じて大人の会話の非合理性が諷刺的に描かれています。

近所に福井という姉弟(沢村貞子と佐田啓二)が住んでいて、その家も実と勇の遊び場になっています。佐田啓二は、実と勇の叔母である久我美子に恋心をいだいていますが、本心を言うことはありません。駅のホームで会ったふたりのそらぞらしい会話がスケッチされています。

福井(佐田啓二)『ああ、いいお天気ですね』
節子(久我美子)『ほんと、いいお天気』
福井『この分じゃ二三日続きそうですね』
節子『そうね、続きそうですわね』
福井『あ、あの雲、面白い形ですね』
節子『あ、ほんと、面白い形』
福井『なにかに似てるな』
節子『そう、なにかに似てるわ』
福井『いいお天気ですね』
節子『ほんとにいいお天気』

ただし諷刺を本題に据えているわけではなく軽いコメディとして着地しています。
映画の起と結になっているのは学校で流行っている、おでこをつつくと屁がでるという芸です。この芸には軽石を削った粉が効くとされているので兄弟は軽石粉を食べています。軽石とはお風呂でかかとなどの角質をおとすものです。今はそうでもありませんが昔はたいてい風呂場にありました。母親は軽石が日毎目減りしていくので軽石ってネズミがかじるものかしら──と夫に相談したりします。
この芸がうまくできない近所の「こうちゃん」は屁じゃないものがでてきます。屁じゃないものがでてきて立ち往生してしまうのが映画の起と結になっているわけです。

映画お早うの笑いはダウンしたテンションの謂わばアレクサンダーマッケンドリック風orジャックタチ風、現代で言うならジャームッシュ風の笑いです。ブラックユーモアともちがう、大人っぽく、笑わせようとしない、穏やかで温かみのある、現代の日本映画では見たことのない笑いでした。

佐田啓二がよかったです。昔の人の意見風に聞こえるかもしれませんが、現代の美男子にはない正統な感じがあり、まるで昔のグレゴリーペックのようです。おそらくこれを見たらご賛同いただけることでしょう。

『息子の中井貴一は、当作品中の佐田について「小賢しくない、余計な芝居のない演技をしていて、父の出演する小津映画の中では一番好きです」と評している。』
(ウィキペディア「お早う」より)

黒澤明の映画をみんなおなじという人はいないでしょうが、小津安二郎の映画をみんなおなじという人はいるでしょう。わたしも東京物語と晩春と、二つ三つ見て、わかった気になっていましたが、しっかり見ていくとそれぞれ主題がちがうものです。わたしは映画をよく見るので、わかった風なことをレビューに書きますが、こうして一人の監督をひとつひとつ見ていくと、よくわかっていなかったことがわかります。
IMDB7.8、RottenTomatoes88%と87%。

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津次郎

4.0 おばあちゃんで笑いが止まらない

2024年10月27日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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piper