「メロン騒動の名場面に集約された、人を思いやる人情劇で浮き彫りになる男寅次郎の現実」男はつらいよ 寅次郎相合い傘 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
メロン騒動の名場面に集約された、人を思いやる人情劇で浮き彫りになる男寅次郎の現実
”男はつらいよ”シリーズ第15作の秀作。寅さんのマドンナでは最良の相性をみせる浅丘ルリ子が二度目の登場で、寅さんとの関係が深まるようで進展しない焦れったさが残るも、永遠の独身男寅さんの甲斐性なしに悲哀を漂わす。その二人に加わる中年男船越英二の一流企業に勤めるエリートサラリーマンの設定が、最後に飛び切りの名場面を生む。エスカレーターに乗るだけの人生に疲れ無気力になった中年男、家庭の枠に収まらず結婚に失敗した歌手リリー、自由気儘ないつもの寅さん、と社会からドロップアウトしたこの三人の道連れが物語を深め、最後は二人を立ち直らせた寅さんが非難されるという、なんとも割の合わない人生だが、それが寅さんなのだという潔さと哀愁があった。
このメロン騒動の人間描写の深さと面白さは余りにも素晴らしく、傑出している。船越からもらった高級メロンを寅さんが居ない間に6等分にしてみんなが食べようとした時、偶然にも寅さんが帰ってくる。おいちゃん、おばちゃん、さくら、博、満男、そしてリリー。丁度いい切り分けが出来る人数なのだ。そこで貰った本人がひとり外された口惜しさを怒りに任せてぶつける寅さん。うっかり寅さんのことを忘れて数に入れなかったことを詫びるおばちゃんとさくら。それでも怒りが収まらずしつこく追及する寅さん。ここで凄いのは、登場人物ひとり一人の立場や役割が丁寧に明確に描かれていることだ。おばちゃんの、こんなことになるんだったらメロンなんて貰わなければよかったの台詞。お金を出して、好きなだけ買って食べろと最終手段に出るおいちゃん。ひとりメロンを食べる満男。そして、それまで一人傍観していたリリーの岡目八目の視点が場面を収める。たかがメロンか、されどメロンか。メロンで駄々をこねる寅さんの幼さと、いや高級メロンの人数に入れないとらやの人たちの不注意がいけないとする、その相反する解釈をのこしたまま、リリーが寅さんを叱り付ける。それは寅さんを愛するリリーだから言えるのだ。その為に前半のお話があったと言えるくらい、この場面の集約した密度の高い表現力はなかなかない。
結末は寅さんの良いところも悪いところも好きになってしまったリリーが求婚するのだが、寅さんは冗談として受け付けない。独り身の世間体にこころを悩ますとらやの人たちと、夢見ることなく現実の自分に正直な寅さんとのふれ合いが、人を思いやる家族劇として見事に完結した男はつらいよであった。
1978年 4月3日 郡山松竹