「香川京子の花嫁姿」おかあさん(1952) よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
香川京子の花嫁姿
ラスト近くに、叔母の髪結いモデルとして花嫁姿になる香川京子。そこへたまたま思いを寄せるパン屋の息子が現れるが、香川が本当に嫁いでしまうと早とちりをしてしまう。
この時のウィンクに舌をペロッとする香川のチャーミングなことと言ったらない。映像はモノクロではあるが、現代にも通用する明るさ、清潔さ、愛嬌の良さを湛えている。例えば、結婚情報誌の広告にしても十分に通用するだろう。
自宅の座敷で花嫁を感慨深げに見つめるシーンは、言うまでもなく小津安二郎の戦後の作品にお決まりのパターンのように繰り返し現れる代名詞的な映像である。
しかし、同じような花嫁支度が整ったシーンに、この快活な現代性を表現した監督は成瀬巳喜男である。ただのモデルを買って出ただけとはいえ、あっけらかんとした香川もそうだが、この花嫁支度がシミュレーションに過ぎないという物語上の設定も、戦後10年も経たないうちにすでに時代がかったイベントになっていたことを告げている。
小津の作品に嫁ぎ先探しの話が出てくるようになるのは、もちろんこの「おかあさん」よりも10年ほどあとのことである。小津の描いた首都の中産階級層ではのちのちまで旧来の婚礼衣装が残され、成瀬の描く町はずれの貧しい人々の間では、すでにそのようなものは「つくりもの」として捉えられている。
つまり、婚礼や婚姻というものが急速に変化しているのは、比較的裕福な人々よりも、貧しい生活をしている人々のほうであるように見える。あくまでも、小津と成瀬の映画を比較すると、そう見えるだけであって、現実の文化の変化がどうであったかを確かめることは、文化史・社会史の問題として非常に困難であろう。
重要なのは、小津が保守的な中産階級の人々を好んで表現し、成瀬はもっと貧しいが、合理的な生活をしている人々を描いているということである。
それは、婚礼衣装についてだけではない。香川とパン屋の息子・岡田英次とが「デート」をしたり、岡田が「オーソレミーヨ」という外来の歌を口ずさむことからも見えてくる。