劇場公開日 1970年3月14日

「美はただ乱調にある。はずなのだが…」エロス+虐殺 osmtさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5美はただ乱調にある。はずなのだが…

2023年7月6日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

公開当時のフィルム・ヴァージョン。
DVDのロング・バージョンと比べて、尺も随分とコンパクトとなり、テンポも幾分はアッパーになり、タイトで観やすくなるか?という淡い期待は…
全く甘かった。
ちょっと、というか、やはり、というべきか、かなりの冗長に変わり無し。

そもそも、大杉栄も伊藤野枝も相当にアッパーな人たちだったはず。
なんてったって「美はただ乱調にある」なんだから、大正時代のシークエンスこそ、ロックでパンクな疾走感だったと思うけど。

現代の方のシークエンスで使われていた最高に超イケてる!エイプリルフール(当時の彼らをフックアップしたセンスも凄い)のブルージーでサイケデリックなロックを、大正時代の方に、あえて当てた方が面白かったと思うが。

一柳慧の音楽も、結構よかったのだが、センチメンタルなテーマ曲は、なんだかなあ。
あれはあれでレクイエムということ?
こればっかりは好みかの問題か。

まあ、とにかく痴情の絡れに尺を取りすぎ。
なんで、甘粕事件より前の日蔭茶屋事件を後半のクライマックスにしちゃうかなあ。

「エロス+虐殺」なのに、虐殺を観念的に舞台演劇的に表現するだけでは、全く物足りない。
(野枝の夢想で、大杉が数人の刺客たちに現代の幹線道路のような空間で襲われるシーンは、虐殺というほど殺伐としたイメージがない)
別に激しい拷問シーンは必要ないとは思うが、
昔から取り沙汰されていた陸軍による陰謀論をカスリもしないのは、やっぱり物足りない。
子供まで容赦なく虫ケラのように殺してしまう当時の軍組織の異常性を全く取り上げなかったのは何故?

とはいえ、やはり今回も映像のセンスは只事ではない。
あの日蔭茶屋事件でのクライマックスで見せる岡田茉莉子のローアングルからのアップ!
間違いなく映画史上、最高峰の名ショット。
あれだけでも本作を見る価値がある。

当時のカウンター・カルチャーにとって大きなファクターだったセックスの革命(セックスの解放)と大杉栄の自由恋愛論を交差させ、近代日本の男と女(あるいは国家?)の「支配/被支配」の問題を取り上げるというアイデアは、確かに当時としては、世界レヴェルで高揚していた時代の潮流(パリ五月革命からの反体制派の共同幻想)とエンゲージして、かなり挑発的だったと思う。
当時、アヴィニョン映画祭では、オリジナル版(3時間45分!)が上映され、フランス人にとって、相当に難解だったはず(大杉栄と関係者たちのトリビアなネタが多すぎる!)なのだが、観客たちは帰ることなく(シネマテーク・フランセーズのアンリ・ラングロワも含んで)字幕付きの日本映画を観続けた。
終映後の深夜1時半から始まった討論はなかなか終わらず、翌日の朝に再び、その討論は続けられたという。

本当に、この年の吉田喜重は尋常でない。
この半年後に『煉獄エロイカ』の公開なんて、本当に凄すぎる。

osmt