エロス+虐殺のレビュー・感想・評価
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価値観は移り変わる
ある映像作家(現代芸術家)と話した時、映像作家として若くは映画監督として本当にキャリアを始める時に撮り初めは大概がピンクだって話しを聞いたことがある。
このピンクで、ただ単なるピンクに終わらせるか、ピンク以上のないようにできるのか?が監督としての今後の力量として測られる所。そんな話をしたような記憶が本作を観ていると、ありありと浮かび上がってきた。
そう思うと二枚目か?と思いきややはり三枚目の原田大二郎とそのパートナーの配役は、最良の伴侶として岡田茉莉子を得てからの吉田喜重監督の野望と目指す姿を示していたのかな?と思った◎
まぁ、大正にしては随分なアバンギャルド映画だったなぁ🎞️
美はただ乱調にある。はずなのだが…
公開当時のフィルム・ヴァージョン。
DVDのロング・バージョンと比べて、尺も随分とコンパクトとなり、テンポも幾分はアッパーになり、タイトで観やすくなるか?という淡い期待は…
全く甘かった。
ちょっと、というか、やはり、というべきか、かなりの冗長に変わり無し。
そもそも、大杉栄も伊藤野枝も相当にアッパーな人たちだったはず。
なんてったって「美はただ乱調にある」なんだから、大正時代のシークエンスこそ、ロックでパンクな疾走感だったと思うけど。
現代の方のシークエンスで使われていた最高に超イケてる!エイプリルフール(当時の彼らをフックアップしたセンスも凄い)のブルージーでサイケデリックなロックを、大正時代の方に、あえて当てた方が面白かったと思うが。
一柳慧の音楽も、結構よかったのだが、センチメンタルなテーマ曲は、なんだかなあ。
あれはあれでレクイエムということ?
こればっかりは好みかの問題か。
まあ、とにかく痴情の絡れに尺を取りすぎ。
なんで、甘粕事件より前の日蔭茶屋事件を後半のクライマックスにしちゃうかなあ。
「エロス+虐殺」なのに、虐殺を観念的に舞台演劇的に表現するだけでは、全く物足りない。
(野枝の夢想で、大杉が数人の刺客たちに現代の幹線道路のような空間で襲われるシーンは、虐殺というほど殺伐としたイメージがない)
別に激しい拷問シーンは必要ないとは思うが、
昔から取り沙汰されていた陸軍による陰謀論をカスリもしないのは、やっぱり物足りない。
子供まで容赦なく虫ケラのように殺してしまう当時の軍組織の異常性を全く取り上げなかったのは何故?
とはいえ、やはり今回も映像のセンスは只事ではない。
あの日蔭茶屋事件でのクライマックスで見せる岡田茉莉子のローアングルからのアップ!
間違いなく映画史上、最高峰の名ショット。
あれだけでも本作を見る価値がある。
当時のカウンター・カルチャーにとって大きなファクターだったセックスの革命(セックスの解放)と大杉栄の自由恋愛論を交差させ、近代日本の男と女(あるいは国家?)の「支配/被支配」の問題を取り上げるというアイデアは、確かに当時としては、世界レヴェルで高揚していた時代の潮流(パリ五月革命からの反体制派の共同幻想)とエンゲージして、かなり挑発的だったと思う。
当時、アヴィニョン映画祭では、オリジナル版(3時間45分!)が上映され、フランス人にとって、相当に難解だったはず(大杉栄と関係者たちのトリビアなネタが多すぎる!)なのだが、観客たちは帰ることなく(シネマテーク・フランセーズのアンリ・ラングロワも含んで)字幕付きの日本映画を観続けた。
終映後の深夜1時半から始まった討論はなかなか終わらず、翌日の朝に再び、その討論は続けられたという。
本当に、この年の吉田喜重は尋常でない。
この半年後に『煉獄エロイカ』の公開なんて、本当に凄すぎる。
日本には珍しき実験映画。
日本ではあまり知られていないカルト映画。「ツィゴネルワイゼン」で知られる寺山修司や「スウィート・ムービー」で世界に衝撃を与えたマカヴェイエフは、この前衛的な映画を見たのだろう。
しかし、脚本がつまらない。全編、ダラダラとした実験に終始している。まあ、立派な映画ではあるのだが。
前衛にして古典
製作はもう半世紀以上前の1970年だが、当時の烈々たる映画芸術を本気で追及する気迫と、端正な美的完成とが同居した傑作。
白くハレーションを起こしたような映像美の中で、(当時の)現代と大正時代とが同じ画面に同居する大胆な構成。
日蔭茶屋事件という実際にあった事件を一応そのまま描くのと、こうもありえたのではないか、いやこうあるべきだったのではないかという具合に少しづつ違う三パターンを繰り返して描くなど、自由奔放な想像力とそれに対する批評精神とが絶えず同居する。
大正時代のアナーキストというモチーフ自体、貴重でもあり興味深い。
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