「遅れてきた青年が青春の学生運動の夢を総括」うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0遅れてきた青年が青春の学生運動の夢を総括

2021年11月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

押井が政治好きなのは有名だと思うが、その原点は大学に入ったらキャンパスにはもはやヘルメットを被った各セクトの学生はいなかったということだろう。大江健三郎のいう「遅れてきた青年」。それが押井である。
その欲求不満を彼はさまざまな形で映像化しているが、もっともオリジンに近い具現化が本作ではないか。

高度成長の後、東西冷戦構造ががっちり固められた何一つ変わらない日本には、永遠なる日常の倦怠が支配する。
その倦怠を密かに打破したいという願望を、あろうことか永遠なる日常の代表作マンガの中で達成するという野望が、本作の最大の動機である。

映画はお馴染みの学園ドタバタ騒ぎで始まるものの、そもそも学園祭の前日が果てしなく続いているという設定だから、それが「終わりなき永遠なる日常」という現実の比喩であることは明らかだ。
ところが、雨上がりの通学路の水たまりに溺れてみると、永遠だった日常が突然、非日常の様相を呈し始める。

その果てにあるのが、階数がしょっちゅう変化する学校校舎や荒廃した世界の中で繰り広げられる非日常の自由と解放、無政府主義的全学連的安田講堂占拠的wな世界である。
本作のハイライトは、間違いなくメガネが語る似非革命コミューンの年代記だろう。それ以外のカメや夢邪鬼やらのエピソードは、単なる辻褄合わせに過ぎない。

学生運動で存分に遊んだ押井は、最後に日常に戻らなければならない。青春は終わった。そろそろ現実に戻って、人々とちゃんと向き合って、付き合った女性にも責任を取らないといけない。
押井はそうした私的思い入れを、ラムの「責任取ってね」のセリフで示唆している。交際女性の妊娠でも連想させるかのように、わざわざラムを幼女の姿にまでして…。その意味で本作は、彼の青春の「総括」なのである。

高橋留美子がそれに気づかないはずがない。自分の作品の中で、他人に勝手に青春の総括などされてはたまったものではない。原作者激怒必至の怪作というしかあるまいw

徒然草枕