海と毒薬のレビュー・感想・評価
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臓器が重くなった錯覚をおぼえた
あまりにも重い真実。
そして当時あまりにも軽かった人間の命。
空襲がどうの原爆がどうのと
説得している言葉は言い訳に過ぎない。
この事件が起きた、あるいは被害者の立場は
戦争だからってのも
もちろんあるけれど
社会的図式は現代だってありえる構造ではないだろうか。
学校でも会社でも、病院でも
それぞれの社会の中で
組織に組み込まれて流され、感覚が麻痺し…。
殺人事件でなくたって
加害者にはいつだってなりうる。
または被害者にも。
生々しい手術シーンに吐き気も覚えたし
見終わったあとも息するのさえも苦しく
内臓がもったりと砂でもつまったように重くなった気がした。
また見るだろう
生かす手術も生かさぬ手術も淡々と同じ工程を踏む異様。
悩もうが悩むまいが結局同じ隘路にはまる戦時下の異様。
ではテンパってはいない筈の今の私は正常か?と考えると堪らなく怖い。
と思わせるから本作は成功作なのだ。
また見るだろう。
今日的なテーマであるのかもしれません 海と毒薬のタイトルの意味とは 大海原に毒薬を一滴垂らした所で、何ほどの事があるのか?との問いかけなのだと思います
強烈な映画でした
打ちのめされました
映画自体の内容にも、熊井啓監督の演出、出演者の演技、美術、その全てにです
医学を舞台にした映画の金字塔「白い巨塔」すら凌駕するほどのリアリティです
延々と続く手術シーンはもう逃げ出したいほどです
その反面、主人公達が取り調べを受ける、鉄格子の牢など、ある種のシュールレアリズムなセットなのです
1986年公開の作品です
しかしまるでその30年も昔1950年代に撮影されたかのようです
白黒フィルムで撮影だけでない、粒子の粗さが醸し出す風合というか肌触りがそうなのです
80年代やそれ以降にも白黒作品はいくつかあります
しかし、国内作品だけでなく、海外作品も含めて
同じ白黒映像であっても根本的に違うのです
記録映画的な印象をもたらす意図でしょう
あるいは50年代に撮影されるべき映画であったという告発なのかもしれません
暗くて、重くて、難しい
これは熊井監督が特典映像のなかで本作をこう表現されていました
正にその通りです
原作の遠藤周二から映画にならないのではないかと言われたとも
倫理観
それがテーマだと思います
それは絶対的なものなのだろうか?
相対的に動くものなのだろうか?
絶対的なものだとしたらその基準はどこにあり、誰が定めるのか?
相対的であってはならないなのか?
神の存在を信じなければ、絶対的な座標軸を持ちえないものなのか?
それはキリスト教で無ければならないものなのか?
ならば劇中にあるように、広島長崎への原爆はどうなのか?東京や福岡などの都市無差別爆撃はどうなのか?
神を信じさえすれば、絶対的な座標を持てるというがそう言いきれるのだろうか?
だから倫理観など相対的なものなのだろうか?
人としての倫理観を踏み外さないための座標軸
それを見失わないようになるためにはどう生きれば良いのだろうか?
様々な思いが渦巻くのです
人体実験という異常な事件は戦争中だけのものでしょうか?
超一流企業のエリートと言うべき優秀な人々が不適切経理という不正に大勢が組織として、手を染めたり、おかしい!と声を上げ告発しようとする幹部を追い出したりする事件が少し前にいくつもありました
それらと、どこが違うのでしょうか?
倫理観の座標軸がずれたなら、その立場にいたならきっと本作のような恐ろしいこともやるでしょう
同じことです
戦争中の軍部や医学関係者を告発しているだけがテーマの底の浅い映画では決して有りません
倫理観が腐食して座標軸を見失っいつつある私達現代人全てに共通するテーマなのです
本作が1986年というバブルに突入しようという時期に公開されたのは偶然ではないと思います
バブルにより倫理観は麻痺させられ、座標軸はズレで傾き方向性を見失ってしまい、その結果一体何が起こったのか?
それはその後の歴史が物語っています
そして21世紀も20年も経過した令和の時代
私達の倫理観の座標軸はどこにあるのでしょう?
キリスト教徒であるから、きっと神を恐れ原罪を信じているような人間であったと思われる外国人のスーパーエリートでさえ倫理観の座標軸がズレていたのか逃亡劇を起こしたのもついこの間のことです
コロナウイルス禍の先の世の中はどんな座標軸になるでしょうか?
もっと流れ流されていく座標軸なのでしょうか?
極めて今日的なテーマであるのかもしれません
海と毒薬のタイトルの意味とは
大海に毒薬を一滴垂らした所で、何ほどの事があるのか?との問いかけなのだと思います
自分だけが、この部署だけが、会社が、多少間違ったことをしたところでなにも問題はない
実害がないのだから良いではないか?
そのような人間になってはいないか?という意味合いなのでしょう
あなたは海に毒薬を垂らしても平気な人間に決してならないと言い切れるのでしょうか?
それを本作は突きつけているのです
汗がでてくる思いです
自分ひとりの行動で、クラスターを作るかも知れない時代なのです
これこそ神に試されているのかも知れません
奥田瑛二と渡辺謙が主演でモノクロ。
この時期のモノクロ映画って意図的にモノクロであることを認識しづらい。
本人の同意を得ないことはもちろん問題外だけど、死刑になる人間を医学的に貢献させることのモラル的な問題は難しすぎて結論が出ないように思う。むしろ捕虜が死刑になること自体の方が問題だったんじゃないかと思うがどうなんだろうか。
原作を読んだ記憶があるが原作の方がテーマがスッと入ってきた印象。
人の心は時として毒にも薬にもなる。
第二次大戦中、捕虜を眠らせ人体実験を行った日本の医師達の記録。
戦争中の人体実験は各国で行われていた事ですが、映像でまざまざと見せられると、何とも言えない気持ちになります。
「これは人じゃない物だ」と語る言葉に、同じ日本人であっても腹立たしい気持ちで一杯になりました。
医療の未来のためという言葉で、全てを収めようとした医師達の無骨な精神に怒りを感じます。
そんな中、渡辺謙さんの飄々とした態度が印象に残りました。
これは、何年たっても色褪せることのない、後世に残したい作品の一つです。
3.8
非常に重たい映画。
扱っているテーマ自体かなりずっしりとしたものなのだが、演出や脚色によって何倍も重苦しくなっている。
戦時中アメリカ軍捕虜の解剖実験に加わる人たちの話。看護婦や医師など何人かの目線で描かれ、終始鬱な空気だった。
他にも危篤の患者を実験材料として使うことや、医学部長を巡る争いがあったり、主に病院の中で物語が進む。
でもこの映画の1番のテーマは「神なき日本人の罪意識」(引用)だろう。
無宗教であり、聖書のような統一の倫理や原理を持たない日本人にとって、大衆の流れや周りの人の目が聖書の代わりとなるものなのだろう。これは映画の中でも語られていたが、本当に納得させられた。
この映画の原作の著者である遠藤周作はキリスト教徒で、日本人の集団心理を考えたのがこの作品のモチーフであるらしい。
観終わったあとこの映画についてのレビューや解説を見たのだが、海と毒薬という題名について、しっくりくる説明がない。自分でも考えるほどよくわからなくなる。ちょくちょく映される海の映像の意味をぼくが理解している自信はない。
最後の手術のシーンは目を背けたくなる映像だった。もちろん生々しくグロテスクであるからなのだが、非人道的で恐ろしいく、うまく表現できないが、怖いからでもあった。
この映画を観て遠藤周作に興味がわいた。
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