「レズビアンは(目的を持って)男を誘惑して最後までいってもばれにくいだろうが、ゲイは女を誘惑しても最後でばれちゃうだろうなァ。川端先生は分かっておられたんでしょうねぇ。三島先生はどうだったのかな。」美しさと哀しみと(1965) もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
レズビアンは(目的を持って)男を誘惑して最後までいってもばれにくいだろうが、ゲイは女を誘惑しても最後でばれちゃうだろうなァ。川端先生は分かっておられたんでしょうねぇ。三島先生はどうだったのかな。
①日本の本格的レズビアン映画って珍しいのかな。京風屋敷の和室の中、襖・美しい着物に囲まれて生々しい描写は最小限に抑えられているのに溢れでてくる女同士の官能の匂い。②本作は1980年代にフランスでリメイクされているけれども、何となくどうして川端康成が海外(特に欧州)で愛されているのか分かるような気がする。③加賀まりこは、師匠といる時と男といる時との目の表情が全く違うことに感心。まだ若いのに雫ない着物姿の時の妖艶ぶりは後年の『泥の河』でのトンでもない年増の色気が突然変異でないことを伺わせる。④八千草薫は私達の世代には良い家庭の優しいお母さんというイメージが強いが、こんなに色っぽい役もやっておられたとは。表面的な色気ではなく楚々とした美しさの中に秘められた魔性のようなもの。それは描いている画にも現れているし、加賀まりこが復讐のことを口にする度に怒るが、実は心の底では加賀まりこを操って復讐を遂げさせたことを渡辺美佐子に見破られてしまう。⑧山村聡は貫禄もありながら壮年の色気も漂わせて適役。しかし自分のやってきたことに(不倫で16歳の娘に妊娠させ、挙句死産させて数年間精神病院に入院させた顛末を小説にして一気に有名作家に、その後も小説の肥やしか相手をとっかえひっかえ不倫は続けたらしい)あまりな無自覚なのは小説家ってこんなもん?川端康成の小説家というものへの一種の自虐的ネタかしら。昔自分が酷く傷つけた女性とただ除夜の鐘を聴くためだけに京都へ来るなんて何を考えているのやら。まあ、それが悲劇の始まりなんですけど。しかし、あの除夜の鐘の最初の音はインパクトありました。⑨渡辺美佐子はこの頃からエキセントリックな演技は得意だったんですねぇ。本能的なところで女は女の怖さが分かる、というところを実に自然に表現していたと思う。ただ、山本圭の母親役としてはちょっと若かったように思われ、例えば原節子が杉村春子級の演技派女優になっていてこの役を演じていたら面白かったのに、とか思ってしまった。⑩その山本圭演じる太一郎は加賀まりこ(兼八千草薫)の復讐の対象となってしまい哀れだが、この当時(1960年代)、良いところのお坊ちゃんでインテリで真面目だけれども内省的な青年を演じるのに山本圭はピッタリだったんでしょうね。『若者たち』でブレイクする前で、演技的にまだ硬いところはあるけれど、ビジュアル的には頬もスッキリしてこの頃が一番イケメンだったかも。⑪ラストの加賀まりこの涙は何の涙だったのだろう?罪悪感?後悔?自己憐憫?覚悟?