植村直己物語のレビュー・感想・評価
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歯車と私自身、アイデンティティ
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資金が足りず北極点に挑んだとき、”自分(植村自身)を見世物にして寄付を募っている”等と諭された後の台詞が刺さりました。
「見世物なんかじゃない。人間が自然と戦って、どこまでやれるか、その限界に挑むことなんだよ。知恵と体力を振り絞って、生きることの限界を試すことなんだよ。金使って近代的装備の助けを借りるのがいけないつんだったら、登山だって同じじゃないか。近代的装備と集団の力さえあれば、今は登れない山なんてないよ。でもそういう登山は人間を歯車にしちまうんだよ。俺が感じたいのは、たった一つのこの体、たった一つのこの頭なんだよ。生きる最小単位としての俺自身なんだよ。」
あれから何十年たった今、現代人は歯車以上か歯車以下なのか。俺自身をどう見出だせば良いのだろうか。
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山伏の荒行
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不世出の冒険家であることは彼の実績が物語っているが、それを支えた兄や妻の気持ちを考えると身勝手な自己中男、劇中でも倍賞さんが道楽亭主と怒っていましたね。
単独行や犬ぞりなど昔ながらのやり方に拘るのが植村流、南極物語もそうだったが犬たちが不憫、身重の雌犬を同行させたり、極寒の中頑張っている犬に鞭打つ姿は頂けません。冒険はコンプレックスの克服だったのでしょうか、山伏の荒行にも思えます。
南極探検が頓挫した段階で引退すべきでした、妻と北海道に野外学校を建てる約束は守らねば、遭難は最後の冒険だからと彼らしくない無茶をしたと探検家の野口さんも言っていたが大好きなマッキンリーに抱かれて眠りについたのだから本望かも知れない。
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