稲妻(1952)のレビュー・感想・評価
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清濁の世界で腐敗せずに生きること
音と音楽が効果的な映画だった。バイクの音はお金と男セットの小沢栄太郎が嫌ったらしく登場するテーマ音だ。母親(浦辺粂子)の家の二階に下宿している上品な若い女性の部屋ではレコードのピアノ曲が流れる。部屋の中には本棚があって本が沢山きれいに並んでいる。彼女は働きながら家ではいつも勉強している。元気で明るくて両親は大恋愛の上、結婚したという。その話に主人公の清子(高峰秀子)は、憧れと尊敬の思いで耳を傾ける。
自分の家族と大違い!喧嘩ばかり、一番上の姉はきつくてだらしない、その次の姉は優しすぎてイライラする、兄は南方帰りを理由に就職活動も真面目にしてるのかなんなのか。四人きょうだい全員父親が違う!逞しい母だけど。
清子の二人の姉の性分の違いが着物の衿の合わせ具合から分かる。清子はいつも洋服、白いブラウスが似合ってバスガイドの仕事をしている。
清子が一人暮らしを始めた先は東京郊外。下町のガチャガチャ喧嘩から抜け出たくて「香川京子さん、早く出てきて~!」と念じていたら、清子が住まう家の隣人として現れた!清らかな風が吹いた、兄である爽やかな青年と共に。ピアニストの妹、その妹の手が荒れないように洗濯は兄の仕事。その兄は妹を先生にピアノも弾く。ピアノ曲が隣から聞こえてくると心が清められるよう。兄妹から自分の目を誉められ、清涼な山の話を聞き、清子は何を思ったろう。優しさと笑顔と仲の良さと品の良さへの憧れかな。
清子の住まいを訪ねる心配症のおかあちゃん。パーッと口喧嘩して清子もおかあちゃんも泣いて、後はすっきり、にっこり。二人並んで夕焼けの道。ルビーの指輪は本物だって。清子の父親は嘘をつかない誠実な人だっておかあちゃんは言ってくれた。
若い娘にはそれしか話題がないのかと思われる程に結婚話がつきまとう世間。女なんてつまらない、男はくずばかり!ではない世界もある。経済的に自立して理想と夢を持って生きていける世界もある。女を巡る両方の世界を滑らかに一つの映画にした成瀬監督。見ることができて本当に良かったと思える作品でした。
Gustavさん(お名前出して申し訳ありません)のレビューに尽きます。
とても面白かった
特異な家族構成の家庭崩壊劇に観る成瀬巳喜男監督の演出力が絶品
傑作である。この作品で成瀬巳喜男監督の真価に敬服してしまった。敢えて言えば、溝口健二の厳しい真実追求の人間ドラマの力強さと、小津安二郎の日本的社会に生きる人間を冷静ながら情愛深く描く優しさの両面がある。日本を代表する二大名監督の演出スタイルの、見事な調和を感じた。家族の在り方、家族それぞれの生活信条、理想と現実の乖離、それらの問題を抱えたある家族を主人公にして、日本的社会と闘う日本人の姿を表現している。これは、今日の多様化した情報化社会に対しても鋭い社会批評になるのではないだろうか。この成瀬演出の美しさと見事さは、映画を観て久し振りに経験する興奮そのものであった。
舞台は東京の下町。夫を四人持った人生経験豊富な母親に、それぞれの子供が一人ずつ社会人として成長している。男一人に女三人のこの兄弟は、母親の家を自分勝手に行き来する。長女は夫に見切りを付け末っ子の高峰秀子に世話した男と親しくなり、またお金儲けに没頭して喧嘩が絶えない。これを主軸にした話で物語を進展させるが、取り立てて劇的な展開をするわけではない。日常のさり気無い生活描写に見所がある。唯一、二女の夫が行方不明のまま最後病死して、その残された妻の前に現れたのが、、夫が隠れて交際していた女という件くらいだ。ただ末っ子の高峰は、結婚を前にした微妙な年頃の女性故に、家族の現実的な問題で価値観が狂わされて行く。
家族の幸せとは何か。心配することだけが母親の姿として、ささやかに描かれる。そして、男に期待するのを諦め独立して生活し始める末っ子が出会った、兄と妹だけの幸せそうな家庭との対比。両親を亡くして、さぞ大変であろうという世間一般の常識とは真逆で、その溌剌と生きる兄妹に見惚れる高峰。そこへ、二女が何処へ行ったか分からないと母親が訪ねてくる。映画は、ここで母と子の闘いをクライマックスとして描く。こうなるはずではなかった、子供を産む時は幸せになることを願い、いい子に育つよう努力したと呟き、嘆き泣く母。男を四人も変えたと母をなじる娘。ひと時、二階の窓から隣の兄妹の明るい庭先を覗く高峰の視線が、この映画の言いたいことを見事に表現している。それは生きる上で何が一番大切かを考えさせるに十分な意味を持った、映画の語りであり演出の揺ぎ無さである。
特異な家族構成を演劇的な演出で纏めた家庭崩壊劇。日本的な男女関係や生活慣習を組み入れて描いた闘う家族劇のドラマ演出の見事さ。しかも、ラストの母と末娘の涙の戦いを、かたい愛情にまで持って行った演出の巧さ、絶品である。この一作で成瀬巳喜男監督が大好きになってしまった。
1979年 9月27日 フィルムセンター
夏の夕立の稲妻は直ぐに収まるのです
庶民派の成瀬監督作品らしく、
下町の母と長男と三人姉妹の物語は下世話な世界です
その兄妹は全部父親が違う家庭という具合
高峰秀子は一番下の妹清子を演じます
彼女は家族全員どころか、一家に関わる男も女もみんな駄目駄目な連中だと嫌っています
まだ若い清子はこんな駄目連中と一緒に居たら自分まで駄目になると世田谷に下宿を借りて逃げ出します
とはいえ彼女だってお供えのブドウを行儀悪く食べて食べた皮と種を庭に放り投げるのです
地金はこの母にしてこの娘なのです
世田谷の下宿の大家の未亡人や隣家のピアノを弾く兄妹はまるで小津安二郎作品の登場人物のような衣装と上品な言葉遣いと物腰なのが面白いです
わざとや狙ってやってる風に思えます
稲妻は最後に光ります
なんでみんな駄目な人ばかりなのか
それはお母ちゃんがズルズルベッタリでだらしないから、そうなるのよ!と言い放ちます
私、産まれてこなければ良かった!とまで言います
きつい言葉で言いあって二人は泣きだまします
その時隣の家からピアノの音が流れて来ます
その時自分だってこの言動は隣家の兄妹とは大違いの所詮この母の娘だと気がつくのです
夏の夕立の稲妻です
直ぐに収まります
二人はケロリと泣き止みます
清子は浦辺粂子の演じる母を駅まで送ります
二人は夜道を歩きます
父が母に買って与えたルビーの指輪は本物だったと娘は母にいいます
母はお前のの父親は誠実な男だったと応えます
二人の歩く夜道は未舗装の道ながら、雨降って地固まったようです
下町の一家の家のある商店街はまるで三丁目の夕陽の街角です
参考にしたひとつかも知れません
高峰秀子28歳美しいです
しかし浦辺粂子の凄さがみんな持って行ってます
凄い女優です
この人のポジションは現代は誰が引き継いでいるでしょうか?
樹木希林さんだったかも知れません
しかしその次は?
残念なことに思い当たらないのです
女という生きもの
DVDで2回目の鑑賞。
初めて観た成瀬巳喜男監督作品だった。
高峰秀子演じる清子の家族が揃いも揃ってどうしようもない人たちばかりである。4回も再婚した母親。貪欲な長女。誠実だけどどこか崩れている次女。フラフラしている長男。「次こそは」が口癖の長女の旦那。浮気相手と子を成して急死した次女の旦那。長女と次女を翻弄する男。…
そんな人々が繰り広げる、醜く滑稽な人間模様がドライに描かれる。嫌になって出て行きたくなるのも無理は無い。出て行った先で悉く良い人に出会うのもまた皮肉な話であった。
女性の様々な面が描かれている。ダメな部分もあれば、チャッカリしているところもあり、頼りないなと思いきや案外狡猾だったりもする。それら全てを引っ括めて美しいと云うことなのかもしれない。女性の世界とはなんと奥深いのだろう。
ラストの清子と母親のシーンが印象的だった。想いが爆発し双方涙を流しながらの大喧嘩。でも次の瞬間にはにこやかに談笑しながら家路に着く母親を送る清子の姿が清々しい。
特にこれと言って何かが解決したわけでは無いが、なんだかんだありながらこの家族は上手くやっていくのかもしれないと思う。家族の奥深さに不思議な余韻の残る作品だった。
※修正(2025/03/25)
成瀬巳喜男恐るべし
はとバスのバスガイドが高峰秀子。
映画のほぼ70パーセントが登場人物達の“愚痴のこぼしあい”
それだけで映画になってしまうのだから凄い!
高峰秀子の素晴らしさは言わずがもななんですが、この映画では普段は女中さん役が多く、出番も少ない浦辺粂子さんの素晴らしさをたっぷりと堪能出来るところ。
「4人(姉妹)の中であんたが一番悪い子だ!」…クライマックスで、浦辺・高峰の壮絶な親子喧嘩による罵り合いが在るのですが、窓の外では2人の怒り心頭振りを表現するかの様な稲光が一筋光る。
すると、それまで腹に溜めていた“モノ”を吐き出した事で心の内がすっきりしたのか、途端に仲直りする親娘。
それまで、わんわん泣き叫んでいた浦辺粂子さんなんか突然ニコニコしてしまうんだから現金なもんだ(笑)
でもこんな親子関係って、ごくごく当たり前と言えるな関係なんですよね。
罵り合いが娯楽映画になってしまうなんて…。成瀬巳喜男の何という凄さよ。
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